忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(9)

 RACERS Volume 19(三栄書房2013)によると、81年にヤマハ0W54のライバルとなったスズキXR35(81年型RGΓ500)の半乾燥重量(オイル、冷却水のみ含む)は130.4kg(スチールフレーム型)です。では0W54の半乾燥重量はどの程度だったのでしょうか?

 
RACERS Volume 02(三栄書房2010)に、0W54について次のような記述があります。

「Q17 0W54の性能は前モデルである0W53を凌駕したか? A 最大出力は上がったが、車重も増えた。その重さたるや「開発ライダーの金谷、高井の両氏から”重戦車”と酷評された」と奥氏」

 RACERS Volume 19では
「エンジン形式の変化に伴って重心位置が大きく変わり、それに車重の重さも加わって、なかなか良好なハンドリングを実現できす~」

 これらの記述からすると、0W54の半乾燥重量は相当なものと思われるでしょう。
 
 
ヤマハの市販レーサー・80年型TZ500の半乾燥重量は145kg、ヤマハ0W48の半乾燥重量は135~138kgと思われます(末尾の「参考」)。

 0W54が、0W48をベースにした0W53より重くて「ハンドリングが重戦車」なら、0W54の半乾燥重量は145~150㎏辺りなのでしょうか?


 TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/ Parker House 2008によれば、500㏄第2戦ドイツGPの車検時、スズキの岡本満、Martyn Ogborneが0W54の重量測定を見に行ったところ、136kgだったということです。このとき、0W54に燃料が残っていた可能性もありますから、この数字は「136kg以下」と理解すべきでしょう。

 そして、RACERS Volume 02によると0W60は0W54より車重を10㎏近くダウンということです。0W54の半乾燥重量を136㎏とするなら、0W60の半乾燥重量は127㎏程度になり、それでもXR40(82年型RGΓ500)より6㎏程度重かったことになります。0W54の半乾燥重量を145~150㎏と仮定するなら、82年にもなって、ヤマハ500(0W60)がスズキ500より15~20㎏も重かったことになってしまいます。

 これらのことから、TEAM SUZUKIの記述は妥当であり、0W54はスズキXR35のせいぜい5㎏増し程度の半乾燥重量で、0W48とほぼ同じだった考えます。XR35のスチールフレームに対して0W54はアルミフレームですから、エンジン単体の重量差は8㎏程度でしょうか。

 冒頭のRACERS Volume 02の記述のうち、金谷、高井の「重戦車」評価はライダーの感覚評価(官能評価)ですが、「車重も増えた」はライター氏の想像のようです。

 0W54のハンドリングに対するライダー(ロバーツを含む)の評価が低かった原因は、その車重によるのではないのです。
(続く)
・・・・・・・・・・
参考
 ヤマハの市販レーサー・80年型TZ500の公表重量は138㎏で、水・オイル4kg、フェアリング3kgを足すと半乾燥重量145kgになります。1980年日本GPで3位入賞した水谷のTZ500のレース後の車重が147kg、レース前日(土曜日)の車検時の糟野のTZ500が145kgという数字がこれを裏付けます。

 一方、1980年日本GPで優勝した高井のヤマハ0W48はレース後に142kgでした。高井は独走、水谷は転倒し再スタートしての追い上げで、二人のマシンの燃料消費量に差があるでしょうから、0W48の半乾燥重量は135~138kg程度だと思われます。http://jfrmc.ganriki.net/ow48/ow48-1.htm
PR

ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(8)

 1979年500㏄イギリスGPに出場した2台のホンダNR500は前後ダンロップ16インチタイヤが装着されていました。NR500があまりにも他のマシンと異なる点が多かったこと、そして成績が散々なものだったために、16インチタイヤはそれほど注目されなかったと思います。しかし、翌1980年、ダンロップ16インチタイヤが影を潜めた一方、ミシュランが16インチ前タイヤを供給するようになり、1981年にはダンロップ、グッドイヤーも16インチ前タイヤを供給するようになりました。

 81年に0W54を与えられた3人のうち、ロバーツはグッドイヤー、シーンはミシュランを使用しましたが、シーズン後半参戦した高井幾次郎はグッドイヤー、ミシュラン、ダンロップをテストしたことが伝えられています。

 16インチ前タイヤが使用されるようになったとはいえ、全面的に16インチに切り替わったのではなく、18インチも使用されました。ロバーツの0W54に装着されたタイヤの内径はレース毎に次のとおり。写真等による判別ですので誤りがあるかもしれません。
レース 前タイヤ内径 備考
オーストリア 16
ドイツ 16
イタリア 18
フランス 16
ユーゴスラビア 16
オランダ 18
ベルギー 18
サンマリノ 欠場 体調不良
イギリス 16
フィンランド 16
スエーデン 18 ウェット

 もちろん、この表にはプラクティスでの使用タイヤは含みません。
(続く)



ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(7)(写真追加)

 これはシーズン前公表写真のキャブレター部を拡大したもの。フラットバルブです。


 これはバリー・シーンの0W54のもの。ピストンバルブです。


 第9戦イギリスのプラクティスでの高井の0W54、ドニントンパークでのテスト(第9戦の前)時のロバーツの0W54のストリップでもピストンバルブ・キャブレターです。

 走行中にフェアリングの端からキャブレター上端が見える写真がありますが、ピストンバルブのみ確認できます。ただ、ピストンバルブなら頂部の樹脂製の部品ははっきり認識できますが、フラットバルブタイプの頂部は確認しにくいので、フラットバルブタイプが実戦(プラクティスを含む)で用いられなかったかどうかはわかりません。

 さて、上の写真ですが、フロート室部に「4」と書かれています。このキャブレターは左後気筒のもの、つまり、気筒番号は「3」なので、取付気筒を示しているわけではありません。よく見ると「4」の前に微かに「3」が見えます。ベンチュリー径34mm、つまり、このキャブレターがミクニVM34であることを示しています。わざわざ書いてあるのは、他の径のキャブレターと区別するためです。ヤマハの500㏄4気筒のキャブレターは34mmがよく用いられましたが、遅くとも79年から36mm等、他の径も用いられるようになりました。
  なお、市販レーサーTZ500は、80、81年型がVM34で、82年型(最終型)でVM36になりました。


 さて、これはイギリスGPプラクティス時の高井の0W54のクラッチ。
 
 クラッチカバーがシーズン前公表写真(下)のものと同じ形です。



 これはシーンの0W54のもの(レース名不明)。クラッチカバー形状、クラッチカバー材質(マグネシウム合金→アルミ合金)が異なります。


 ロバーツ、高井、金谷のマシンは変速機シフトレバーが左にありますが、シーンのマシンは右です。シーン用に右シフトにするために右クランクケースカバーに追加工し(あるいは新たに右クランクケースカバーを製作し)、シフトシャフトを右側に突き出させ、シフトリンクを装着したために、当初のクラッチカバーが付かなくなったのではないか・・・と想像します。

 シーズン終盤、イギリスGP以降、シーンの0W54のフェアリング前ゼッケン部に通風口が設けられます。「7」の数字の下両側の2か所の長方形部分ですが、穴がテープで塞がれているようです。


 その裏側のメーター下にサブラジエーターが設けられています。


 イギリスGP前、ドニントンでのヤマハのテストセッションでシーンのマシンでテストされ、イギリスGPで姿を見せました。このサブラジエーター、ロバーツ、高井のマシンでは確認できません。
(続く)

ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(6)

 ヤマハ0W54に幾つかCFRP(カーボンファイバー強化プラスチック)製部品が使用されたことが知られています。これは500㏄第6戦オランダGPのプラクティスでのC型フレーム車の前フォーク頂部の拡大写真。インナーチューブが黒くCFRP製と分ります。MOTOCOURSE、当時のライダースクラブ誌でも記述がありますし、MOTOCOURSEではロバーツのコメントも若干あります。
 
 このCFRP製前フォーク、第7戦ベルギーGPのプラクティスでもC型フレームに装着されています。なお、0W54では前フォークにエアバルブが装着されるのが基本仕様ですが、このCFRP製前フォークではエアバルブが装着されていません。

 ヤマハのCFRP製前フォークが登場するのはこれが初めてではありません。下は1980年第1戦イタリアGPプラクティス時のロバーツの0W48で、トップブリッジの下側が黒いのと、上部分の上にも少し黒い部分があります。


 1981年、前フォークだけでなく、後ブレーキディスクもCFRP製が使用されました。これは5月に菅生で行われた全日本選手権レースで、金谷の0W54の後ブレーキローター。


 ただし、全日本選手権でこの後に用いられたかどうか、世界選手権で使用されたかどうかは分りません。おそらく用いられることはなかったのではないかと思います。
(続く)

ヤマハ0W54(1981年型YZR500)(5)

 これら実戦写真で確認された3種のフレームのうち、B改修型(補強型)はシーンのみが使用したようです。ロバーツ用のこのフレームは確認できていません。

 第6戦オランダの車検時、ロバーツのマシンが3台あります。手前からA型、B型、C型のような気がします。第6戦以降、ロバーツはA型フレームを使用しなくなり、B型とC型のみを使用したと仮定します。

 第6戦オランダ、第7戦ベルギーではB型が使用され、第8戦サンマリノは欠場、第9戦イギリスで初めてC型が、第10戦フィンランドではおそらくC型が、第11戦(最終戦)はC型が使用されました。

 C型は、オランダでシーンにも与えられ、ベルギーのプラクティスでC型も使用していますが、シーンはこのフレームを好まなかったようで、B改修型をよく使用しています。

 また、シーズン後半、高井幾次郎が参戦しますが、高井のマシンはC型のみが確認できます。

 フレームだけでなく、ステアリング・トップブリッジ(三又の上側)も外観上、3種あります。これは第3戦イタリアのプラクティス時のロバーツのマシン。シーズン前公表写真のものとよく似ています。これを仮に1型としましょう。


 これは第9戦イギリス(レース時)のロバーツのC型フレーム車。オフセットが小さく、前フォークを締め付けるボルトが付く部分が前に突き出していません。これを2型とします。


 そして、3型。下のオランダ・プラクティス時の2台のマシン共、トップブリッジが1、2と異なり平板状で、オフセットも小さい。なお、前述のように手前のB型フレーム車がレース本番で使用されました(スタートできず)



 ベルギーでもB型フレームに3型を装着しレース出場しましたが、イギリスではC型フレームに2型が装着されレースに出場しています。
 シーンは1型を好んだようです。

 この1~3型ですが、さらに細かい寸法が異なる派生型があると思われます。
(続く)

 

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1
3 5 6 8
10 11 12
19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[10/24 野田]
[10/24 平野克美]
[10/22 野田]
[10/22 平野克美]
[10/18 Www.Portotheme.Com]
[10/18 https://Lvivforum.PP.Ua/]
[09/02 野田]
[09/02 hoge]
[09/02 野田]
[09/02 TFR_BIGMOSA]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析