レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
ヤマハは1973年、1975年に250ccファクトリーマシン0W17を走らせましたが、1976年以降、市販レーサーTZ250、あるいはTZ250エンジン搭載車が250cc世界選手権を走るヤマハ車でした。そして、1982~84年はヤマハ車に乗るライダーがタイトルを手にしました。
しかし、1985年、ホンダが世界選手権250ccクラスにファクトリーマシンRS250RW(NSR250)を登場させ、フレディー・スペンサーが第9戦までに7勝を挙げるようになると、ヤマハ市販レーサーベースのマシンではホンダに対抗することはできなくなってしまったのです。
そして、第10戦イギリスで待望の250ccファクトリーマシン・0W82が登場、カルロス・ラバードに与えられました。
これは0W82の1986年シーズン前公開写真です。エンジンは0W81・500㏄V型4気筒のエンジンの右側半分のような250cc2軸60度V型2気筒で、後気筒は後方排気でテールカウル内にサイレンサーがあります。
ラバードは第11戦スエーデンでも0W82に乗りましたが、この2GPでは優勝できず、最終戦サンマリノではTZ250に乗り優勝しました※。
そして1986年、世界GPでヤマハはラバード、マーティン・ヴィマー、平忠彦の3人に0W82を与え、ラバードが6勝を挙げタイトルを手にし、平も最終戦サンマリノで優勝しました。
この頃、ヤマハの2ストロークレーシングエンジンといえばパワーバルブ(YPVS:ヤマハ・パワー・バルブ・システム)が装着されるのが当然だったのですが、1986年型0W82にはパワーバルブの無い仕様もありました。
上に示したシーズン前公開写真のマシンのエンジンは、無パワーバルブ仕様です。
もちろん、実戦ではパワーバルブ仕様も登場しましたが、ラバードがレース毎にパワーバルブエンジンと無パワーバルブエンジンを使い分けしていたことが当時から知られていました。
現存するYZR250-B-602(フレーム番号)です。
Carlos Lavado Yamaha YZR250 | With Phil Anysley | MCNews
このエンジンはパワーバルブ仕様ですが、ラバードの無パワーバルブエンジンとの使い分けについて
He used this bike, which was fitted with power-valves, for wet weather races, winning two. His other bike, with no power-valves and used for dry races, had four wins.
と書かれています。
1986年、ラバードが優勝したのはスペイン、ドイツ、オーストリア、ユーゴスラビア、オランダ、スエーデンで、ウエットレースだったのはスエーデンだけです。
他のウエットレースはベルギー、イギリスで、ベルギーではリタイア、イギリスでは2位でした。
ですから、上の記述は誤りです。また、ウェットレースだったスエーデンでは無パワーバルブエンジンが使用されたものと考えています。
ただ、
パワーバルブエンジン:2勝
無パワーバルブエンジン:4勝
に関しては、そのとおりだと考えます。
・・・・・・・・・・・
※
ヤマハ世界GP500勝記念サイト
Movistar Yamaha MotoGP |Bikes
では0W82の優勝回数を「8」、優勝年を「1985、1986」としています。これは1986年の0W82の7勝に加えて、1985年のサンマリノGPをカウントしたものです。
誰が編纂したのか知りませんが、当時のヤマハ自身の記録どころか雑誌や年鑑の記事を調べることなく、「0W82は1985年イギリスグランプリで登場したのだから、それ以降の戦績は全て0W82によるもの」と決めつけて数字を「創造」したのでしょう。この程度の方が編纂していますので、他にもかなり誤りがあります。
これは1985年最終戦サンマリノの映像です。
2分40秒あたりから見ると、ラバードのマシン下側左右に排気サイレンサーが見え、テールカウルにサイレンサーが見えないので、明らかにTZ250( 直列2気筒)と分ります。ただし、1985年型TZ250はスチールパイプフレームですが、ラバードが乗ったのはアルミ・ツインチューブフレームのTZ250プロトタイプです。
(続く)
1978年シーズン当初、セコットには2台のマシンが与えられ、片山、ロバーツには1台しか与えられませんでした。ロバーツには第10戦イギリスから2台体制になりましたが、片山は?
さて、ロバーツは第7戦ベルギーのプラクティスでセコットのマシン(カラーリングもヤマハカラーそのまま)に乗ったことが知られています。
このことについて、RACERS Volume 02(2009三栄書房)では、その写真と共に次のような説明があります。
「~初めて走る苦手の公道コース、しかもウェット路面という悪コンディションの予選で転倒、Tカーのない彼は、同じ0W35Kに乗るチェコットのマシンを借りて予選通過を果した」
MOTORCOURSE1978-79(Hazleton 1979)によると
The day before the race, the rain stopped and was replaced by a warm sun. Seizures had been the fashionable problem during the earlier practice and on the Saturday they set in with a vengeance.
Roberts's 250 seized, and then his 500, after one lap of the final practice.~~~Roberts was out on the track, on Cecotto's spare bike.
です。
つまり、晴の最終プラクティス1周目でエンジンが焼き付いてしまったために、セコットのマシンにも乗ったとのことです。これからすると、RACERSの記述は誤りということになります。
さて、セコットに与えられた2台のマシンには、2台のマシンを区別するための印がつけられており、ロバーツが乗ったのは1号車です。セコットが乾燥路面のプラクティスで1号車に乗った写真(おそらく最終プラクティスの前のプラクティス)もあります。
なお、セコットはレースで2号車に乗りました。
また、セコットのマシンのタイヤはミシュラン、ロバーツのマシンはグッドイヤーですが、次の理由からロバーツが乗ったセコットのマシンはミシュランのままだったと考えます。
〇後タイヤのハイトが大きくミシュランに見える。
写真はこちら(リンク)。
〇セコットの0W35Kは前5本スポーク(カンパニョーロ)、後7本スポーク(モーリス)を装着することが多く、ロバーツの0W35Kは前後7本スポーク(モーリス)でしたが、ロバーツが乗ったセコットのマシンは、前5本スポーク、後7本スポーク。
MOTOCOURSEの記述からすると、金曜日のプラクティスは雨、土曜日のプラクティスは晴れでした。ロバーツが土曜日1回目のプラクティスで十分なタイムを出しているなら、2回目(最終)でセコットのミシュランタイヤ装着の、つまり乗りなれてないセコットのマシンに数周乗る必要はないと思えます。
また、レース本番では本来のロバーツのマシン+グットイヤーで走るのですから、ミシュランタイヤを履いて走ったとしても、本来のマシンのセッティングの参考になるとも思えません。
考えられることは
ケース1
土曜日1回目のプラクティスで、ロバーツが転倒かマシントラブルで、クオリファイされるタイムが出せなかった。あるいはかなり低順位のタイムしか出せなかった。RACERS の記述はこのことを指しているのかもしれません。
ケース2
土曜日1回目のプラクティス、晴れたとはいえ路面のあちこちが湿った状態だったため、クオリファイされるタイムが出せなかった。あるいはかなり低順位のタイムしか出せなかった。
どちらにしても、ロバーツにとって切羽詰まった状況だったようです。