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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

50cc世界最速は117km/h?

JFRMCブログ 50㏄世界最速は117km/h? (tou3.com)

 以前に取りあげたこの記事に関してですが、TFR_BIGMOSAさんがFIMの速度記録、クラス分けについて書かれました。

FIM ランドスピードレコードレギュレーションについて(クラス分け)|TFR_BIGMOSA (note.com)


 これを参考にFIMの50㏄速度記録についてまとめてみました(クリックすると大きくなります)。

つまり、近兼(CHIKAKANE)氏のマシン、過給でありながら無過給のマシン(kreidler)の2/3の速度です。

 このkreidlerの映像はこちら。


 ただ、この記録もそれほど大したものではありません。何しろ、同じ50㏄単気筒のKreidlerが1973年世界GPベルギーGPで平均ラップ速度160km/hを超えたのですから。

 近兼氏のマシンが低性能な理由については
JFRMCブログ 50㏄世界最速は117km/h?(4) (tou3.com)

で、空気抵抗が大きいことを書きましたが、マシンの重量配分にも問題があるのではないかと考えます。ライダーが車体中心より前、エンジンが車体中心より後にありますが、乗車状態で前後重量配分が前寄りのようです。ですからボンネビルの塩路面では十分な後輪トラクションが得られなかった可能性があります。

 それにしても50㏄で100km/hを少し超えるだけの記録を「50㏄最速」と謳う根性には感心させられます。


備考
 上の速度記録リスト作成にあたってはサイドカーは除外しました。また、TFR_BIGMOSAさんの記事からリンクするFIMの次のページ

Results - World records (fim.ch)

では、

1981-08-03  Jan HUBERTS Lelystad - NLD  Casal Plompen I.A3.C V.1 50cc 1 km: 139.547 mph 1 km: 224.580 km/h

がありますが、赤文字はA1の誤りですので除外しました。
 このマシンです。
1981, CASAL, the 50cc world speed record (motospot-oldnews.com)





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鈴鹿サーキットの設計者は誰?(12)

 フーゲンホルツが修正する前のレイアウト案(ホンダ案)とフーゲンホルツ案を重ねてみました。薄線が図3(フーゲンホルツ案)、濃線が図2(フーゲンホルツ修正前のホンダ案)です。


鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net) にもこの図を追加して加筆しました。

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(11)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

 に次の文を図を追加しました。

 参考として図3と図6を重ね合わせてみた。薄線が図3(フーゲンホルツ案)、濃線が図6(最終形)である。なお、前述のように出典は図を写真撮影したものであるため、図が若干歪んでいる。これを考慮して図を重ねたので、濃線と薄線のずれはあくまで参考とされたい。


 もちろん、高低差の変化までは分りませんが、本文で書いたようにコース全般にわたって見直しがされ、「よく似たサーキット」になりました。
 
 これだけ変わっているのに「コースレイアウトを決めたのはフーゲンホルツ」とされるのはいかがなものかと思います。

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(10)

2024年8月1日、中島氏は
鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)
を読みMoerkerk等について知り、オランダの知人に問い合わせたところ

「His(フーゲンホルツJr) father had contact with Honda long before Hans Moerkerk became  Honda dealer. 」

との返事を受けたことをもって、

「ジョン・フーゲンホルツ氏はハンス・モーカルク氏がホンダ・ディーラーになる以前からホンダとコンタクトを持っています。よって野田健一氏の主張する「モーカルク氏がフーゲンホルツ氏をホンダに紹介した」は時系列的におかしいということが判明しました。 」

としています。


検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?→実在した!しかしホンダとのコンタクトはフーゲンホルツ氏が先行していた!|Takahiko Nakajima (note.com)


 しかし、オランダからの返答では次の時期の記述がありません。
〇Moerkerkがホンダディーラーになった時期
〇フーゲンホルツSrがホンダと接触した時期 

 検証1で「FACEBOOKのオランダ・ベルギーでのホンダコミュニティ内で上記の2点を質問してみた」結果

「ロッテルダムにはホンダ販売店はなかった。ホンダを輸入するHonda Motors NV はロッテルダム近くにある都市Ridderkerkにある会社であったが、存在したのは1967年~1979年であった。1960年時点でホンダ代理店がオランダには存在していなかったのである。」

としたのは誤りでしたが、今回の調査も似たような検証方法ですので、このの誤りを引きずっている懸念があります。

そもそも、「ホンダの某氏がMoerkerkからフーゲンホルツを紹介される」と「既に飯田はフーゲンホルツと面識があった」は並立可能だと思います。



鈴鹿サーキットの設計者は誰?(9)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

 に次の画像を追加しました。フーゲンホルツ修正案と最終形を対比したものです。


 上のフーゲンホルツ修正案に最終形のコースが薄く見えますが、メインストレート、スプーンカーブ、西ストレート、最終コーナーの位置が異なります。そしてS字カーブのカーブ数が異なる(4→3)のをはじめ、各カーブの形、曲率が変更され「よく似たサーキット」になりました。

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