鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)
に次の文を図を追加しました。
参考として図3と図6を重ね合わせてみた。薄線が図3(フーゲンホルツ案)、濃線が図6(最終形)である。なお、前述のように出典は図を写真撮影したものであるため、図が若干歪んでいる。これを考慮して図を重ねたので、濃線と薄線のずれはあくまで参考とされたい。
もちろん、高低差の変化までは分りませんが、本文で書いたようにコース全般にわたって見直しがされ、「よく似たサーキット」になりました。
これだけ変わっているのに「コースレイアウトを決めたのはフーゲンホルツ」とされるのはいかがなものかと思います。
しかし、オランダからの返答では次の時期の記述がありません。
〇Moerkerkがホンダディーラーになった時期
〇フーゲンホルツSrがホンダと接触した時期
検証1で「FACEBOOKのオランダ・ベルギーでのホンダコミュニティ内で上記の2点を質問してみた」結果
「ロッテルダムにはホンダ販売店はなかった。ホンダを輸入するHonda Motors NV はロッテルダム近くにある都市Ridderkerkにある会社であったが、存在したのは1967年~1979年であった。1960年時点でホンダ代理店がオランダには存在していなかったのである。」
としたのは誤りでしたが、今回の調査も似たような検証方法ですので、このの誤りを引きずっている懸念があります。
そもそも、「ホンダの某氏がMoerkerkからフーゲンホルツを紹介される」と「既に飯田はフーゲンホルツと面識があった」は並立可能だと思います。
「第5案」とは1のコース図のE、6であるが、完成後の鈴鹿サーキットとどこが異なるのかよく分らない。
↓
(5)文献1・22頁「この図では第5案をもって最終とされているが実はその後もあるのである」
「第5案」とは1のコース図のE、6であるが、鈴鹿サーキット開業頃に公開されたコース図(下)とどこが異なるのか分らない。