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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

カワサキ・スノーモービル用エンジン

  カワサキのスノーモービル用エンジンは1969年8月投入のKT150AERS(292㏄)に始まります。当時はアメリカのスノーモービルメーカーへのエンジン供給でした。
 1976年にはカワサキブランドのスノーモービルの生産を開始、1977年には新エンジンTC440A(435㏄70馬力が登場します。このエンジンは改良されTC440B、TC440Cとなり、1980年にTC440Dになります。

 TC440Dの諸元(内燃機関1981-2、山海堂)

形式:水冷直列2気筒
ボア×ストローク:68×60mm
吸気制御:ピストンバルブ
排気量:436㏄
圧縮比:7.0
最高出力:77PS/8200rpm
最大トルク:6.73kgf・m/8100rpm

 最高出力は近似的に排気量に比例し、気筒あたり排気量の1/3乗に反比例するとしてTC440Dの出力を換算すると

400㏄2気筒:73PS/8400rpm
350㏄2気筒:67PS/8800rpm
250㏄2気筒:53PS/9900rpm

あたりになります※。ヤマハRZ250の35PS(1980年国内発売)、RZ350の45PS(1981年国内発売)はもちろん、1983年発売のRZ250R(43PS)、RZ350R(55PS)に比べてもかなりの高出力です。

 このエンジンはもちろん分離給油ですが、燃料消費量/オイル消費量は

アイドリング時 300:1程度
全開時 30:1程度

でした。


※2ストロークエンジンで小排気量エンジンの出力を大排気量エンジン(同気筒数)に換算すると、大排気量エンジンの実測出力の方が少な目になるので、この換算結果より出力を上げることは容易でしょう。
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カワサキ新2ストロークエンジン?

https://young-machine.com/2025/01/27/614448/

 カワサキUSAがいう2ストロークがどんなものがわかりませんが、カワサキモータースが特許出願した2ストロークエンジンについて。

 カムシャフトで作動される掃気バルブ(出願資料では吸気バルブ)で開閉される掃気ポート(出願資料では吸気ポート)、普通の2ストロークエンジンと同じくピストンで開閉される排気ポートを有します。
 
 4ストロークエンジンのカムシャフトはクランクシャフトの1/2の回転数ですが、2ストロークエンジンのカムシャフトはクランクシャフトと同回転になります。

 例えば4ストローク1000㏄4気筒エンジンの回転数を10000rpmとします。これを2ストローク化すると、カムシャフトは4ストロークの20000rpm相当になります。これだけで高回転化が困難なことがわかります。

 4ストロークエンジンのバルブ開閉期間は250度程度(クランク回転角)ですが、2ストロークエンジンの掃気ポート開閉期間は120~130度です。特許エンジンではバルブで制御されますので150度とします※。

 4ストロークではクランクシャフトが250度する間にバルブが開閉するのに対して、特許エンジンではクランクシャフト150度回転でバルブを開閉する必要があります。単純に考えて回転数を150/250=0.6倍に抑える必要があります。

 もちろん、低回転で高トルクが出るエンジンは(同出力の)高回転エンジンより加速がよくなりますから、その存在価値はあるでしょう。


 特許出願資料に燃料を水素とすることについて触れられていますが、水素燃料の場合、プレイグニッション(過早着火)が懸念されます。シリンダーヘッドに高温熱源の一つである排気ポートがないので、水素燃料に適しているように思えます。

 どんな用途を想定しているのでしょう?

 なお、
30年以上前、トヨタがDOHC4バルブの2ストロークエンジンを発表し一部記者に試乗させたことがありましたが、市販はされませんでした。掃気ポンプはルーツブロワーでした。

※2ストロークディーゼルエンジンでは排気ポートをポペットバルブで開閉し、掃気ポートをピストンで開閉するようですが、特許エンジンではこの逆になっています。この利点として、ピストン下降行程、上昇行程で開閉時期を合わせる必要がないため、掃気期間を長くすることができると思われます。

現存するカワサキKR500(加筆あり)

1982 KR500 KAWASAKI (ganriki.net)

  の現存するマシンの「その他1」に次の文を追加しました。

 補強フレームのために燃料タンクが上に上がってシートとの段差がある。燃料タンクの左右の窪み(膝が当たる部分)の形状が上の8103、下の「その他2」と異なり、上のこの写真のKR500と同じ。

 2024年9月にもてぎで展示されたマシンは上写真のマシンと思われるが、The Mizz氏によるとフレーム番号TF603-820133とのこと。 The Mizz on X: "KR500 '82 フレームNo.TF603-820133(CPコレクションラベルより) 清原明彦さんが'82年の日本GP(全日本の鈴鹿戦)にエントリーした車両、決勝は台風の影響で中止になったため決勝は走らず https://t.co/GdYNv1w0iL" / X

「その他2」も次のように修正しました。

 ~テールカウルは新型(穴開き型)で、前フォーク、前ブレーキローター、排気管等は「その他1」と同型である。燃料タンクとシートの段差がないので、補強フレームではないようだ。


 それにしてもThe Mizzさんの熱意には感服です。

カワサキW1レーサー

 カワサキW1が登場した1966年、そのレーサーがMCFAJ第7回クラブマンレース(3月、富士スピードウエイ)のジュニア350㏄で金谷秀夫の手により走りました。賞典外ですが2位でゴールしたとのこと。
1966年3月クラブマンレース (iom1960.com)

 こちらにもW1レーサーについて書かれています。
M-BASE エムベース | カワサキWの誕生から終焉まで (mikipress. 

 カワサキOBの古谷さんのブログにも
W1の時代  カワサキ単車の昔話 - 雑感日記 (goo.ne.jp)


 モトクロスに出場したこともあります。カワサキの種子島さんの回想(ライダースクラブ1982-3)では
〇ライダーはテストライダーの山本信行
〇1971年春の全日本選手権関西大会(神鍋(兵庫県))
〇ノービスクラス、他に竹沢正治、杉尾良文、清原明彦なんぞのカワサキテストライダー勢もひしめく
〇予選で転倒し負傷したが決勝に出場し転倒・リタイア


 神鍋では全日本選手権モトクロスが3回行われたようです。
1970年11月3日
1971年9月12日
1972年6月3-4日(日本GP、ホンダ初優勝としても有名)

 「神鍋観光60年史」(神鍋観光協会)では「モトクロス大会(45・11)も大好評であったが、山肌を荒廃させるため2回で中止となった」(2回は3回の誤り)とあり、1970年11月3日が1回目で間違いないと考えられます。

 さて、種子島氏のいう「1971年春」に全日本選手権はありませんし、「春」に限っても全日本選手権は行われていません。
 神鍋で関西選手権が行われた可能性もありますが、1971年のレースカレンダーの3~5月を見ても神鍋でモトクロスが行われた様子はありません。

 また、1970年に竹沢、杉尾、清原はノービスで、1971年にジュニアになります。

 こうしたことからW1モトクロッサーが神鍋大会に出場したのは1970年11月3日の可能性が高いのではないかと考えます。
 この大会のノービスクラスは50、90、125、250、オープンの5クラスが行われ、W1が出場したのはオープンクラスでしょう。










 

カワサキKR500

その3 1982 KR500 KAWASAKI (ganriki.net)

の続きを書きました。昨年5月にその3の前半を公開してから10カ月も要してしまいました。いろいろあって、仕事以外で込み入ったことを考える気力が落ちていましたが、何とか公開できました。

 で、1982年型KR500は6台が現存しているようです。エンジン単体はカワサキワールドに展示されている1基がありますが、このエンジンは1983年に雑誌に掲載されたエンジン単体とは別のものですので、もう1基、現存している可能性もあります。

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