レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
https://young-machine.com/2025/01/27/614448/
カワサキUSAがいう2ストロークがどんなものがわかりませんが、カワサキモータースが特許出願した2ストロークエンジンについて。
カムシャフトで作動される掃気バルブ(出願資料では吸気バルブ)で開閉される掃気ポート(出願資料では吸気ポート)、普通の2ストロークエンジンと同じくピストンで開閉される排気ポートを有します。
4ストロークエンジンのカムシャフトはクランクシャフトの1/2の回転数ですが、2ストロークエンジンのカムシャフトはクランクシャフトと同回転になります。
例えば4ストローク1000㏄4気筒エンジンの回転数を10000rpmとします。これを2ストローク化すると、カムシャフトは4ストロークの20000rpm相当になります。これだけで高回転化が困難なことがわかります。
4ストロークエンジンのバルブ開閉期間は250度程度(クランク回転角)ですが、2ストロークエンジンの掃気ポート開閉期間は120~130度です。特許エンジンではバルブで制御されますので150度とします※。
4ストロークではクランクシャフトが250度する間にバルブが開閉するのに対して、特許エンジンではクランクシャフト150度回転でバルブを開閉する必要があります。単純に考えて回転数を150/250=0.6倍に抑える必要があります。
もちろん、低回転で高トルクが出るエンジンは(同出力の)高回転エンジンより加速がよくなりますから、その存在価値はあるでしょう。
特許出願資料に燃料を水素とすることについて触れられていますが、水素燃料の場合、プレイグニッション(過早着火)が懸念されます。シリンダーヘッドに高温熱源の一つである排気ポートがないので、水素燃料に適しているように思えます。
どんな用途を想定しているのでしょう?
なお、30年以上前、トヨタがDOHC4バルブの2ストロークエンジンを発表し一部記者に試乗させたことがありましたが、市販はされませんでした。掃気ポンプはルーツブロワーでした。
※2ストロークディーゼルエンジンでは排気ポートをポペットバルブで開閉し、掃気ポートをピストンで開閉するようですが、特許エンジンではこの逆になっています。この利点として、ピストン下降行程、上昇行程で開閉時期を合わせる必要がないため、掃気期間を長くすることができると思われます。
カワサキW1が登場した1966年、そのレーサーがMCFAJ第7回クラブマンレース(3月、富士スピードウエイ)のジュニア350㏄で金谷秀夫の手により走りました。賞典外ですが2位でゴールしたとのこと。
1966年3月クラブマンレース (iom1960.com)
こちらにもW1レーサーについて書かれています。
M-BASE エムベース | カワサキWの誕生から終焉まで (mikipress.
カワサキOBの古谷さんのブログにも
W1の時代 カワサキ単車の昔話 - 雑感日記 (goo.ne.jp)
モトクロスに出場したこともあります。カワサキの種子島さんの回想(ライダースクラブ1982-3)では
〇ライダーはテストライダーの山本信行
〇1971年春の全日本選手権関西大会(神鍋(兵庫県))
〇ノービスクラス、他に竹沢正治、杉尾良文、清原明彦なんぞのカワサキテストライダー勢もひしめく
〇予選で転倒し負傷したが決勝に出場し転倒・リタイア
神鍋では全日本選手権モトクロスが3回行われたようです。
1970年11月3日
1971年9月12日
1972年6月3-4日(日本GP、ホンダ初優勝としても有名)
「神鍋観光60年史」(神鍋観光協会)では「モトクロス大会(45・11)も大好評であったが、山肌を荒廃させるため2回で中止となった」(2回は3回の誤り)とあり、1970年11月3日が1回目で間違いないと考えられます。
さて、種子島氏のいう「1971年春」に全日本選手権はありませんし、「春」に限っても全日本選手権は行われていません。
神鍋で関西選手権が行われた可能性もありますが、1971年のレースカレンダーの3~5月を見ても神鍋でモトクロスが行われた様子はありません。
また、1970年に竹沢、杉尾、清原はノービスで、1971年にジュニアになります。
こうしたことからW1モトクロッサーが神鍋大会に出場したのは1970年11月3日の可能性が高いのではないかと考えます。
この大会のノービスクラスは50、90、125、250、オープンの5クラスが行われ、W1が出場したのはオープンクラスでしょう。