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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

液冷と油冷

スズキ独自の「油冷エンジン」ってナニ? ドコが凄いの?(バイクのニュース ) | 自動車情報・ニュース - carview!

「とはいえ「熱いエンジンオイルを吹き付けても、さほど冷えないのでは?」とも感じますが、これは簡単な実験で理解できます。手の平にハァ~とユックリ息を吹きかけると暖かく感じますが、口をすぼめてフーッと勢い良く吹き付けると冷たく感じます。息の温度は同じなのに冷たくなるのは、手の平の表面の暖かい空気の層を吹き飛ばしているからです。」


実験開始前の状態は
 赤文字 息の温度>手の平の表面温度
 青文字 息の温度<手の平の表面温度

と読めてしまいます。


 実験してみました。

1 手の平で口を覆い、ゆっくり息を吹きかける→手の平は暖かく感じる
2 手の平で口を覆い、口をすぼめて勢いよく息を吹きかける→手の平は1より暖かく感じる
3 手の平から少し口を離して、口をすぼめて勢いよく息を吹きかける→手の平は1より冷たく感じる

 3は、息の流れが周辺の空気(冷たい)を引きずって手の平にあてるからでしょう。

 さて、元スズキの横内悦夫氏(故人)は次のように語っていました。
「そんなころ、ふとしたことから第二次世界大戦で日本が誇ったゼロ戦を負かしたアメリカの戦闘機P51ムスタングが社内で話題になった。エンジンの冷却方式に話を向けると、誰かが「あれは液冷だよ」と言った。私は「液冷だよ」の“液”の一語に気持ちを奪われた。そして、こう考えた。水冷式の水は液の中の一つにしかすぎない。水以外の液はないものかと。すると、エンジンには潤滑用のオイルがあるではないか。これも“液”だ。このようにオイルを使った“液冷エンジン”はできないものか、と発展していったのである。」出典:世の中の流れを変えよう81-90

 P51のロールスロイスのマーリンエンジンをアメリカのパッカードが生産した「パッカード・マーリン」ですが、マーリンエンジンの冷却液はエチレングリコール97%から水70%+エチレングリコール30%に変更されました。


ウチューじん・ささき on X: "ロールスロイス・マーリンもアリソンV-1710も初期型は高濃度(97%)エチレングリコール冷却液でしたが、パワーアップに従って冷却能力が不足し、水70%+グリコール30%(不凍液)を加圧して沸点を100°C少し上にした冷却方式に変更されました。" / X

Pilot's Flight Operating Instructions, P-51-D-5


  P51のパッカード・マーリンはP51B以降の型に搭載されましたが、出力から考えてパッカード・マーリンは当初から水70%+エチレングリコール30%だったと思われます。

 スズキの油冷エンジンの多くが消え、替わりに多くの水冷エンジンが登場しました。歴史は繰り返す。
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スズキRZ63Ⅱ(1963年型250㏄スクエア4気筒)

については元スズキの中野さんのウェブサイトをお読みください。
1963-世界選手権レ-ス 本文-2

  鈴鹿サーキットで3回のテストを重ねた上で日本GPに出場したとのことですが、米津浜テストコースでもテストが行われたようです。
 サイクルワールド(アメリカ) DECEMBER 1963 | Cycle World にテスト中の写真があり、撮影場所は鈴鹿になっていますが、この風景は米津浜テストコースです。
 
 この写真は日本のThe Motor Cycle(誌)の提供によるものとのことですが、モーターサイクリスト誌のことだと思われます。TEAM SUZUKI by Ray Battersby(Osprey 1982/Parker House2008)によると写真を撮影したのはYori Kandaです。
 Yori Kandaは神田頼樹(かんだ よりき)さんのことで1970年代以降、いわたげんというペンネームでも有名でした(故人)。

 「鈴鹿」とされた理由ですが、
〇サイクルワールド側の勘違い。
〇「米津浜」とすると、スズキ関係者の責任問題になることを避けるためにモーターサイクリスト誌側で「鈴鹿」とした。

の何れかでしょう。



スズキの部品番号体系

SUZUKI XR 

に次の文を書いていました。

 スズキの一般市販車の部品番号は上の写真の部品番号と同様、「○○○○○-△▽▲○◎」という方式であり、△▽▲が機種、○◎が仕様変更、○○○○○が部品の部位(例:「11111」がシリンダーヘッド)を示している。1966年以前のレーサーの部品番号体系はこれらとは全く異なるので、スズキの部品番号体系が1967年から市販車、レーサー共に変更されたものと思われる。レーサーの部品番号体系上の機種記号として、R(レーサー)、そして開発順に01、02と番号を付けたようだ。そして、1969年頃に「R」の前に「X」を付け加えた新たな機種記号が始まった。記念すべき最初のXR01は4輪のLC10(フロンテ)用キットパーツである。


 この文の下に次の文を加筆しました。

 スズキ社内報1966-10(No59)によると、部品番号体系の変更日は次のとおり(2025年10月加筆)。
1966年10月1日  図面関係、部品発注伝票
1966年11月1日 部品納入伝票、部品管理(資材課)
1967年4月1日  サービス関係




1980年型スズキGS1000R(XR69)

 1980年鈴鹿8時間耐久について JFRMCブログ 1980年型カワサキKR1000 で触れましたが、同レースで優勝したのがスズキGS1000R(XR69)です。

 スズキ歴史館に展示されているGS1000R。





エンジン番号80006(GS等の文字はない)、フレーム番号不明

 この展示マシンが1980年鈴鹿8時間優勝マシンそのものかどうかは分りませんが、ゼッケン12なので優勝マシンの姿にレストアしたものです。

 ただ、レストアの出来がよくないですね。一番の問題は以前も触れましたが、フェアリングの黒と赤の境界辺りの白線が優勝マシンでは1本線なのに、これは2本線になっています。レストアを担当した方(元ヨシムラ)が「(1980年当時)本当は2本線にしたかった」という理由で2本線にしてしまったのです。事前にスズキの了承を得たようですが、提案する方も、了承したスズキも、このマシンの存在意義をどう考えているのでしょう。
 なお、当時2本線だったのはゼッケン20(リチャード・シュラクター/マイケル・コール)のGS1000Rです。

 他にも
〇フェアリング左右両側の「SUZUKI」の文字の位置が当時と少し異なる
〇前フォークのDUNLOPステッカーは当時はなかった
〇フェアリングのスクリーン下端(左右両側)のDUNLOPステッカーがない
〇テールカウル後部・左右両側のBEL RAYの文字の代わりにSUZUKIになっている

等々の違いがあります。

XR41(83GS1000R)

https://jfrmc.ganriki.netekkan/s/xr41/xr41.htm

を追加しました。

 2025鈴鹿8時間の生中継(BS12)を見ながら書いています。

 当時の映像は

 テレビ東京系のモータースポーツダイジェスト3回放送分をまとめたものですね。
 2025年の映像を見ると、1983年の走行シーンがツーリングに見えてしまいます。

 この頃、私はスタート時はピット上で見て、1時間30分ぐらいで移動を開始し、最終コーナー→ヘアピンと観戦場所を変え、終盤はピット上で見てました。

 1978年の観客数は7万人で1980年は10万人と観客数が増加し、年々、移動経路が混むようになり、1984年にはヘアピンへの移動途中、全く人流が止まってしまい、ヘアピン行きを諦めました。ですから、8耐をヘアピンで見たのは1983年が最後になりました。

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