レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
Hugh Andersonは2020年にMotoGP殿堂入りしています。アンダーソンを紹介するMotoGP公式映像。
https://www.youtube.com/watch?v=ztOV4__Gniw
4秒 ゼッケン2はエルスント・デグナー
11秒 ゼッケン5はデグナー
20秒 ゼッケン2はデグナー
45秒 左端の人物はケント・アンダソンKent Andersson(スエーデンのライダー)
48秒 ゼッケン2はデグナー
次に
https://www.motogp.com/ja/news/2020/01/16/158249
では「60年8月に北アイルランド・ベルファストの公道コースで開催された第6戦アルスターGPでデビューすると」とありますが、誤りです。
英語サイト
https://www.motogp.com/en/news/2022/10/06/hugh-anderson-becomes-a-motogp-legend/18214
では「Anderson made his first GP appearances in the 500cc and 350cc classes in 1960, taking a podium in the 350cc class」
とあり、これは正しい。アンダーソンの初GPは1960年第1戦フランスGP500㏄で、初表彰台がアルスターGP350㏄です。
こちら
lhttps://www.suzuki.co.jp/100th/history.html
によると、社歌の制定は1966年です。おそらく、この頃に社員に配られたソノシートの紙ケース。
ソノシートには
〇鈴木自動車工業株式会社社歌(作詞 藤浦洸 作曲 古関裕而)
〇ツーストロークのトップ スズキの唄(作詞 伊藤アキラ、作曲 越部信義)
が収められていました。
スズキが2ストローク車(二輪、四輪)しか製造していなかった頃です。この10年後に4ストロークのGS750、GS400が登場します。
http://jfrmc.ganriki.net/xr29-2/xr29honbun.htm
に現存するXR24らしきフレームの写真を追加しました。
スズキ単気筒レーサーのフレームをもう1台分見たことがありますが、撮影はできませんでした。他にも現存するものがあるようです。
また、XR21のこの写真も追加しました。
https://jfrmc.ganriki.net/rs67/rs67-2.htm
に次の写真を追加しました。
1983年タイムトンネル(筑波)でのRS67Ⅱ
2024年現在、現存するRJ66(125㏄3気筒)クランクケース
1960年代にスズキに乗り50㏄2回(63、64)、125㏄2回(63、65)世界チャンピオンになったライダーです。
1966年最終戦日本GPを最後に世界GPから引退したのですが、スズキ時代に彼のメカニックを務めたのが永田選さん(故人)です。
永田さんはスズキのGP撤退後の1968年7月にスズキを退社し永楽モータースを経営されたのですが、アンダーソンとの親交は続いていたようです。
アンダーソンは1991年に来日し筑波サーキットのレースに出場しましたが、
http://iom1960.com/other/anderson-1991.html(元スズキの中野さんのサイト)
レースの翌日にアンダーソンは永田さんと会ったようです。永田さんが持っていたアンダーソンのサイン入りジャンパー(ブルゾン)。
To Nagata San
From Your Good
Friend 24.11.91
Anchung
と書かれています。日付はレースの翌日です。
Anchungは「アンちゃん」です。アンダーソンがスズキチームの面々から「アンちゃん」と呼ばれていたことが中野さんのサイトに書かれています。
http://iom1960.com/other/anderson.html
アンダーソンの自伝にもAnchungと呼ばれていたことが書かれていたので、このブルゾンの文字はアンダーソンが書いたものです。
このジャンパーはアンダーソンと永田さんの深い関係を如実に表すものといえるでしょう。