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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

オールドタイマー誌2022-2

 60~61頁に1960年代のスズキのGPレース活動の記事があります。

 61頁に、1963年マン島TTは伊藤光夫が50㏄で優勝し、その後に125㏄レースが行われたように書かれていますが、これは誤りで125㏄が先です。


 この頃、マン島TTは
月曜日 サイドカー、250
水曜日 125、350
金曜日 50、500
の順に行われるのが通例で、1963年も例外ではなく、6月10日(月)にサイドカーと250、6月12日(水)に125と350、6月14日(金)に50と500が行われました。

 なお、1967年は世界GPとは別にプロダクションレースも行われましたが、レース日はサイドカー、250の2日前の土曜日です。



 また、1962年型125㏄レーサーのRT62について「’62年のRT62(125㏄)はデグナーの影響もあり単気筒であったが~」
 とありますが、これも誤りです。

 スズキの中野広之氏によると
1962-世界選手権レ-ス 本文-2 (iom1960.com)

「1961年出場のRT61は「空冷2気筒・ロ-タリ-バルブ」エンジンであったが、トラブルだらけで、ベルギ-GPをもって参加を中止したが、後半戦出場を目指して、125cc単気筒エンジンの開発を進めていた~当時優勝を争っていた2サイクルの東ドイツのMZもEhrlich(エ-リッヒ)博士の設計によるEMCも単気筒ロ-タリ-バルブエンジンだったことにも影響された。単気筒エンジンは、1961年4月中旬から、概案設計にとりかかり、5月20日には、RT62Xエンジン(125cc単気筒56φ×50.5ロ-タリ-バルブ)として、出図、7月4日には試作エンジンが完成し、ベンチテストを開始した。RT62Xは、その後改良されてRT62Yとなり、これに新加入のDegnerの要望・意見を採り入れ、RT62となったのである。」とあります。


 そして、東京モーターショー(1961年10月25日~11月7日)にRT62(RT62XまたはRT62Y)が展示されたこと(下写真)が、中野氏の語るスケジュールを裏付けます。



 さて、デグナーがスウェーデンGPで亡命したのは9月17日です。そしてデグナーが来日したのは11月1日。
デグナ-の追想 (iom1960.com) 

 ライター氏はデグナーがどのようにしてスズキ125㏄レーサーの単気筒化に関与したというのでしょうか?
 亡命する前のデグナーがスズキ1962年型125㏄レーサーを単気筒にするようスズキに要望したとでもいうのでしょうか?








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