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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Voume 32

今日発売でした。
本号は2000年のスズキXRB0を中心とした、シュワンツ時代の後のスズキ500特集です。
新たな取材でわかったこと、図面等もあり非常に嬉しく思いました。

実のところ、この頃のレースは、私が純粋にレースをレースとして楽しみに見ていた頃です。この頃について新事実を知ったところで、それをきっかけにさらに調べなおす気力が少しづつ失われてきた気がします。私も年をとったのか。

とはいうものの、28頁下の2000YZR500の写真解説「優勝回数こそビアッジの1回に留まるが」が明らかに間違いだと分るくらいの記憶はまだあります。
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RACERS Volume 30(3)

公開公正しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei20.htm

でも、校正できないものがあります。「高速コースの3連戦」といった間違った認識を基にした記述です。

 でも、1990年のYZR250は好きなマシンなので、このマシンのストリップ写真が掲載されただけでも嬉しいですし、特に本間選手の記事は興味深かったです。これが1000円なのですから、お買い得なことは間違いありませんが・・・

 ところで、1986年の0W82についての記述もあるのですが、YPVSなしのバージョンがあったことの記述がありません。またいつかJFRMCで取り上げたいと思います。

RACERS Volume30(2) (加筆)

前回、オーストラリアGPでのコシンスキーの「最終戦オーストラリアGPでの「完璧な」勝利」が記憶に残っていると書きました。しかし、RACERSではそれが全く異なるように記述されています(36-37頁)。

 レースで、コシンスキーは明らかに余力を残しながらレースを展開します。決して
「サイドbyサイドの激しい戦いを繰り広げる」
「露骨に苛つくカルダスの前でコシンスキーはタイトル獲得に向かって全開の戦いを続ける」
ようなレース展開ではありませんでした。

 このレース、タイトルを手にするためには、コシンスキーは優勝するだけではなく、カルドゥスを3位以下にする必要があります。独走してしまえば、ブラドルが戦意を損失してしまい、例えチームオーダーがないとはいえ(コシンスキーにその確証があるはずもない)、ブラドルの上位にカルドゥスが来てしまう可能性があります。ですから、コシンスキーはブラドルの背後につき、ブラドルの闘争心を刺激する作戦を採ったのです。
 
 

 そして、残り2周に入りスリップストリームから抜け出したコシンスキーがトップに立つと、あっという間にブラドルとの差を広げ、最速ラップを記録、最終ラップにさらに最速ラップを更新し(ただ一人の1分36秒台=1分36秒681)、たった2周でブラドルとの間に1秒987もの差を稼ぎ出しトップでゴールしました。

 一方で、プラクティス2位だったカダローラ(YZR)も、カルドゥスを抑えるため、余力を残しながら3位争いを展開、終盤にカルドゥスを引き離しだします。
 

 まさに、コシンスキー、カダローラ、2人の作戦どおりの展開となったのです。カルドゥスのシフトペダルが破損したことが、この「作戦」にとって予想外で不要な結果でした。

 なお、カルドゥスのシフトペダルが破損したのは、残り2周に入ってからで、ピットインしたのはRACERSの記述「残り2周」ではなく、「残り1周」だった記憶です。リザルトではカルドゥスが26周のレースで24周したことになっていますが、25周でピットインしても(ピットがフィニッシュラインの手前にあるので)24周しかリザルトに残りません。
 

 コシンスキーに対する「残り1周ピットサイン」に書かれた「CARDUS OUT」(37頁)の「OUT」は、「カルドゥスがピットインした」という意味ではなく、「カルドゥスが大きくスローダウン」という意味です。

(23日夜加筆)
 
 第3戦スペインGPの記事(21頁)では「最終ラップ、最終コーナーひとつ手前。その前のコーナーでトップを奪いそのまま逃げ切りにかかったカダローラのインを、コシンスキーが鮮やかに差し返して劇的な勝利を収めたのである~「最終ラップの最終コーナーで抜いてくるなんて信じられない」と、カダローラも脱帽」
 
 いったい、ライター氏は、コシンスキーがカダローラを抜いたのは「最終コーナーひとつ手前」と「最終コーナー」のどちらと言いたのでしょうか。

 「最終コーナーのアウト」が正解です。あのレースの映像を当時見た人なら強烈に印象に残っているでしょう。ライター氏はスペインGPもオーストラリアGPも見ていなかったのかな。見ていなかったら間違ってもいいというわけではありませんが。
スペインGP http://www.youtube.com/watch?v=-Q58dDeweps
7分40秒あたりからご覧ください。






 

RACERS Volume30

今日、発売でした。

1990年のヤマハYZR250 0WB9を中心としたヤマハ250特集です。1990年、ジョン・コシンスキーが世界タイトルを獲得しましたが、このシーズンのコシンスキーで記憶に残っているのは
・第1戦日本GPのプラクティスで圧倒的なタイムを記録したのに、スタート直後に追突させ排気管を曲げてしまい、ピットイン、そこから14位入賞したこと。土曜日午後、雨中のプラクティスを淡々と走った姿。
・最終戦オーストラリアGPでの「完璧な」勝利。
です。

今回の記事の中では、本文書き出し(8頁)で
「ヤマハは1963年に開始した世界GP250㏄へのファクトリー参加」
と書き出しから間違えていますね。

また、1990年、PuigにYZRが与えられていたことが忘れられているように思います。
http://www.formulamoto.es/zona-competicion/2006/12/01/alberto-puig-1967/2442.html

また、公開公正したいと思います。



RACERS Volume 29

1987-88の全日本TT-F3特集、特にホンダ対ヤマハに焦点を当てています。

 私は世界GP中心としたレースファンですので、当時の全日本TT-F3について少し忘れかけていました。ですから、今回の特集は非常に興味深く読むことができました。また、前号のヨシムラ・スズキとは異なり、ホンダ、ヤマハからの技術情報の提供もある程度ありましたので、嬉しかったです。
 

 RACERSのブログ
http://racers.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/vol29-e987.html
では辛口のコメントが多いようですが、私は80点程度の評価です。

とはいっても少し気になる記述も。

79頁 「'70年代終盤に3年連続で世界耐久選手権を制覇した”不沈艦隊”RCB」
 
    
 世界耐久選手権が始まったのは1980年。

81頁 「(RCB400について)規則でフレーム形式は変更不可なので」 
 こんなレギュレーションあったか? FZ750(クレードル)→FZR750(ツインチューブ)の変更のように、レーシングマシンとしての基本規定さえ満たせば、TT-フォーミュラの車体は自由だったはず。ただ、何年かは忘れたが、ノービス(国内A)TT-F3では市販車と異なるフレームへの交換が禁止された記憶。ライター氏はこのノービスクラスのレギュレーションを誤って解釈し、さらに国際Aに適用されると勘違いしたのでしょうか。

82頁 「さて(RCB400)NX0の燃料タンクもラバー製ガスパックである」
 パック(pack)ではなくバッグ(bag)。ゴム製燃料タンク、あるいはゴム製バッグとした方がよい。男性の股間にぶら下っているのがbag(俗語)です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  




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