忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

『忍者ホームページ』障害

古い記事(更新前の記事)が表示される障害は修復されたようです(5日7時現在)。
 ですが、記事の更新ができない状態は続いています(8時現在では修復済)。

 近々追加予定の写真(91東京モーターショー)です。

YZR500-E-9102/YZR500-B-9102

 エンジン/フレーム番号、カラーリングからするとレイニーのマシンでしょう。


PR

『忍者ホームページ』障害発生のおしらせ

https://www.ninja.co.jp/information/all_category/emergency/13902/




「本日14:30より『忍者ホームページ』上において、ストレージサーバの障害が発生しております。
復旧のためバックアップ機への切り替え作業をしている関係で、表示される内容が古かったり、更新ができなくなっています。」


ジェフ・デュークとホンダ

デュークがモーターサイクル出版社(現「八重洲出版」)の求めに応じて来日し各社を訪問したのは1960年4月ですが、細かい日程までは知りませんでした。

 https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei33.htm

で、デュークの日本訪問が1959年のホンダのマン島TT初出場の前だったという勘違い記事(143頁、151頁)を校正していました。


 デュークがホンダを訪問した日付が1960年4月22日(金)とわかりました(本田労組15年史 1968)ので、これを記事に加筆しました。


鈴鹿サーキットの設計者は誰?

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm

加筆修正しました。


●2-(3)鈴鹿サーキットの「設計者」 フーゲンホルツと塩崎の寄与比率の修正等
●3-(2)-虚偽2について フーゲンホルツの日本招聘に関し、ビザ取得の可能性について言及

等々です。


 外務省のウェブサイトからすると、短期であっても日本企業から報酬を得るならビザが必要です。
外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/

 1961年当時、現在よりビザの必要な条件が緩いとは考えにくく、フーゲンホルツは就労ビザを取得していた可能性が高いと考えます。


 ビザ申請にあたってはホンダからの招聘状が必要ですが、「PLEASE COME TO TOKYO」だけの電報は招聘状になりえません。また、観光等のビザではなく就労ビザとなれば申請からビザ交付まで1ヵ月以上は必要でしょう。とすると、1960年10月頃には招聘状がフーゲンホルツに渡っている必要がありますし、それなら塩崎、飯田らがフーゲンホルツに直接渡したと考えるのが自然です。

 また、フーゲンホルツの招聘に関しては、依頼内容、期間、報酬等をフーゲンホルツに提示する必要がありますし、それは「PLEASE COME TO TOKYO」だけ書かれた電報ではありません。塩崎、飯田らは1960年訪欧時にフーゲンホルツに会ったのですから、直接依頼したはずです。

 塩崎が語った「フーゲンホルツを連れて帰った」を「連れて帰ったようなもの」と解するなら、まさにそのとおりだと思います。







 



 


URSエンジン(クロスプレーンエンジン)の排気音

サイドカーではなくソロ仕様のURSの排気音です。

4分15秒から。

 こちらはヤマハYZR-M1。


 4本排気管と集合排気管の違いはありますが、似た排気音です。

カレンダー

02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2
11 12
17 18 20
24 27
30 31

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[03/26 野田]
[03/26 TFR_BIGMOSA]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 平野克美]
[03/12 平野克美]
[02/21 野田]
[02/21 TFR_BIGMOSA]
[02/06 Kuboi]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析