忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

JFRMC

https://jfrmc.ganriki.net/nkmenu.htm

のマシン編の多くの頁を一度削除しています。順次、再公開しますのでしばらくお待ちください。

PR

50cc世界最速は117km/h?(3)

近兼氏の数年前のマシン

無事50cc.125cc共に車検合格しました! 日本の精密加工技術を結集して、オートバイ世界最速記録更新に挑戦!(近兼拓史 (SMCプロジェクトリーダー) 2024/08/25 投稿) - クラウドファンディング READYFOR

 このカウルを改良するとしたら下のマシンになるのではないかと思います。





Bonneville Motorcycle Speed Trials 2014 (youtube.com)

 
 要点は次のとおり。

〇ライダーの前のカウルを凹凸をなくす
〇ライダー後ろのカウル前側を閉じてライダーの尻を密着させる。そのカウルの幅は腰幅より小さくする
〇ライダー後ろのカウル前側の高さを低くする
〇ライダー後ろのカウル後側高さを前側より低くする
〇ライダー後ろのカウルに必要最小限の空気取入口を設ける
〇ライダー後ろのカウル上部の突起(カメラ)を外す

 

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(8)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

に次の図を載せていました。



 しかし、左列は右列を修正したものである可能性があること、右列では1~5に最終案のコースが薄く示されていることから、右列のみを掲載し、関係する文を修正、加筆しました。


1961年ドイツGP125㏄6位は誰?

1961年ドイツGP125cc6位は誰? (ganriki.net)

に次の文を追加しました。

(8)島崎自身は次のように回想していた。
 「やはりホッケンハイムは忘れられません。タベさんはちょうど私くらいの体格でした。前に出たかったのですが、私のマシーンはカウルの穴が小さいままだったので、ヒートしてしまって、前に出ることが出来ませんでした」(グランプリ・イラストレイテッド1987-11)。

 この記述は、ドイツGP125㏄5位がタベリであること、右上写真のRC144のフェアリング(カウル)形状と一致する。


 当時のFIMはいい加減で、例えば

〇1967年日本GP50㏄で優勝した伊藤光夫が年間ランキングから漏れていた。
〇1964年に改定したレギュレーションをフランス語のみで発行し、英語版を発行しなかった(1967年250㏄のチャンピオン決定の混乱を招いた要因)。

りしています。ですから島崎→高橋の取り違えも十分あり得たことです。

ホンダF-1(1960年代)とクーパー・クライマックス

誤った歴史 (ganriki.net)

の末尾に以下の文を追記しました。クーパーからホンダへの出荷が1961年12月ということと符合します。



2024.6.16追記
 「語り継ぎたいこと-チャレンジの50年」(本田技研工業1999)274頁)によれば、クーパークライマックス1.5ℓを入手したのは1962年5月の半年ほど前とのこと。

 

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[03/26 野田]
[03/26 TFR_BIGMOSA]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 平野克美]
[03/12 平野克美]
[02/21 野田]
[02/21 TFR_BIGMOSA]
[02/06 Kuboi]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析