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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハ0W35(1977-78年型YZR500)

 その1を公開しました。
ヤマハ0W35(1977-78年型YZR500) (ganriki.net)
 
 本ブログで書いた内容をまとめたものです。その2はブログの内容に現存するマシンの写真等を追加した上で年明けに公開します。

 1978年の0W35Kのシリンダー/シリンダーヘッドの組付け方に関心を持ったのは1979年のことです。ライダースクラブ79-5(1979年3月27日発売)に、1979年シーズン前に袋井テストコースで公開された0W45(1979年型YZR500)の写真が掲載されており、1977年の0W35と異なり、0W45のシリンダー/シリンダーヘッドが分離締めになっていることを知りました。


 内側シリンダーの脱着が面倒になるにも関わらず、このような組付け方を採った理由はそれがパワーバルブを収めるためだろうと考え、さらに、1978年型(当時は機種記号は知りませんでした)はどうなっているんだろうと思いましたが、1978年型のエンジン写真は手元にありませんでした。

 1979年6月になってMOTOCOURSE1978-79を入手し、ヤマハの広告頁に1978年型YZR500のストリップの写真(写真の質が悪い)があり、シリンダー/シリンダーヘッドの組付け方がその前後で異なるであろうことに気が付きました。
 そして、1978年シーズン中の写真を確認し、シリンダーヘッドのナット位置ががMOTOCOURSEの写真のマシンと異なることに気が付いたのです。
 
 そんなわけで、いつかは記事にしたいと思っていましたが、
0W54 YAMAHA (ganriki.net)
に続いてこんな形での公開になりました。0W35、そしてケニー・ロバーツの活躍について知りたい方には申し訳ありません。
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1961年ドイツGP125㏄6位は誰?

 表題の記事は公開校正の中のHONDA MOTORCYCLCE  RACING LEGENDO PART 3(リンク)からリンクしている
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei17-2.htm

ですが、気が付かない方もいるようなので、MENUの雑学からリンクするようにしました。

 記事の内容は次のとおりです。

・・・・・・・
1961年ドイツGP125㏄6位は島崎貞夫だと思っていたし、こちらの2RC143/RC144の記事(リンク)もそれを前提に書いた。

 しかし、HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND PART3の114、166頁では、6位は高橋国光になっている。この本が参考にしていると思われるMOTO-GPの公式サイトでも、6位は高橋になっている。

 過去の記録、記述等を確認してみると、

(1) モーターサイクリスト誌1961-7の64頁には「ルイギ・タベリ(原文のまま)と彼に続く高橋、レッドマンはホンダチームで、5、6、7位の地位を確保した」とあり、高橋が6位になっている。

(2) 同65頁の結果表では島崎が6位、オートバイ誌1961-12の166頁のランキング表でも島崎は6位。

(3) 日本のレーシングモーターサイクルの歴史(1973八重洲出版)258頁の結果表では島崎が6位。

(4) Grand Prix Motorcycle Championships of the World (by Maurice Bula, G T Foulis 1975 (スイスで出版された Les As du Continental Circus の英語版)ではK.Takahashiが6位。

(5)ホンダ/サーキットの覇者(クリストファー・ヒルトン、1992ソニー・マガジンズ(英語版はHONDA CONQUERORS OF THE TRACK, Patrick Stephens 1990)では、島崎が6位。英語版も同様。

(6) THE RACE FOR LEADERSHIP 世界のランキングを求めて(1962モータースポーツランド:私所有のものは英語版)38頁に「The only Japanese rider in the event was Shimazaki (Honda). He placed sixth.」とあり、島崎が6位としている。40頁のレース結果表、13頁の年間ランキング表でも島崎が6位。

(7)Mike Hailwood Seine legendären Rennsportjahre(2007Text & Technik Verlag)ではSadao Shimasaki(原文のまま)が年間ポイント5(ドイツGP6位をカウントしていない)。

(8)右はドイツGP125㏄でのRC144で、ライダーの顔は明らかに島崎。


 仮に(6)の「only Japanese rider」が誤りで、高橋も出場していたとすると、高橋のマシンは同書の「Taveri, the only man riding a late-1960 model Honda」から、1961年型のRC144になる。しかし、250㏄クラスで1961年型のRC162が2台しか出場していないのに、125㏄でRC144が4台も出場したことになる。

 これらのことからすると、MOTO-GPの公式サイトの記録は誤りの可能性が高い。日本人ライダーとして高橋が有名なので、どこかで島崎が高橋と間違えられ、そのままになってしまったのだろうか。

昨日更新した

http://jfrmc.ganriki.net/zatu/pvs/pvs.htm

ですが、バルブスプリングエンジンの設定最高回転数によって、損失トルク曲線が変わることを書いていました。

 わかりずらいので、イメージ図を追加しています。

 ところで、高回転型エンジンはバルブスプリング設定荷重も大きいのですが、高回転で使用するなら実バルブスプリング荷重は小さくなります。しかし、低回転では実バルブスプリング荷重は大きく、、設計上、(回転数が低いので油圧も小さく)カムシャフト等の摩耗に留意が必要になると思います。

バルブスプリングエンジンのバルブ作動系損失

http://jfrmc.ganriki.net/zatu/pvs/pvs.htm

 について質問をメールで受けました。「本文中ではバルブスプリングエンジンのバルブ作動系損失は回転上昇に伴い減少するように書いてありますが、補足3のグラフでは12000~13000rpmまでは損失が増加しているのはなぜ?」

 答えは簡単で、本文中では損失をトルクで表現しているのに対して、補足3は損失を出力で示しているからです。出力はトルクと回転数に比例するので、損失トルクが減少しても、それ以上に回転数が上昇すれば損失出力は増加します。
 ピストンであれクランクシャフトであれ、損失トルクが一定だったとしても回転数上昇に伴い損失出力は増加します。

 ドウカティ・ジャパンの発表で「回転上昇に伴い駆動ロスは増加するもののある回転数を境に減少」の赤字部分は当然のことを言ってるに過ぎません。

 そんな訳で、補足3に損失トルクの計算結果を示し、加筆しました。

ヤマハ0W60の車重

http://jfrmc.ganriki.net/ow54/ow54-2.html
中、ヤマハ0W54の車重についての記述ですが、RACERS Vol02を引用し、0W60の車重を「0W54から10㎏近くダウン」としていました。

 しかし、以下のヤマハのサイトで「約6㎏」とありましたので、関連する記述を修正しました。

https://global.yamaha-motor.com/jp/
race/wgp-50th/race_archive/machines/
yzr500_0w60/
 (2011年公開)

https://global.yamaha-motor.com/jp/
showroom/cp/exhibition/archives/2003_3/
pdf/yzr500_brochure-j.pdf
 (2003年公開)

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