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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

16式機動戦闘車が公道を走る際の手続

https://x.com/doboku_shizuoka/status/1922564

読んでいてすぐには理解できませんでしたが、次のようです。

(1)道路法第47条第2項で、政令で定める規模をこえるもの道路を走れない。

(2)この政令が「車両制限令」。
(3)車両制限令第14条第1項により、緊急自動車等、国土交通省令で定める自動車に車両制限令は適用されない。緊急自動車等には「政令で定める規模」がないことになるので道路法第47条第2項は適用されない。
(4)この国土交通省令が「車両の通行の許可の手続等を定める省令」。
(5)車両の通行の許可の手続等を定める省令第7条第1項第7号に自衛隊車両が示されているので、自衛隊車両に道路法第47条第2項は適用されない。

 赤文字はXに書かれていなかった項番号です。

 実際には建設省と防衛庁との覚書により、自衛隊から道路管理者に走行する内容を通知することになっています。
https://x.com/doboku_shizuoka/status/1922564948225360105
 
 一つ疑問なのは、道路管理者が自治体の場合、自治体が通知を受理する根拠です。1999年の地方自治法改正(2000年4月施行)までは、法に基づく自治体の事務の多くが機関委任事務で、自治体は国の出先という扱いでしたから、建設省・防衛庁の覚書の効力が自治体に及んだのでしょうが、現在、国と自治体は対等とされていますから、建設省・防衛庁の覚書の効力が自治体に及ぶとは考えにくいです。

 ですから、自治体としては「法令上は根拠のない通知だけど、自衛隊が出すといっているのだから受理しておこう。その際、自衛隊を指導できることがあれば指導しよう」ということではないでしょうか?

 改正地方自治法施行前後に建設省(現「国土交通省」)から自治体に何らかの通知がされているかもしれませんが、それも「お願い」ではないかと思います。

 ところで、
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/f_fd/1973/fz19731117_00083_000.pdf

の通知見本に


74式戦車「単車」

とありますが、これは

74式戦車がトレーラーに搭載された状態で走るのではなく、74式戦車自らが走る

という意味ですね。

 バイク用語の「単車」は英語のsoloの訳で、本来はサイドカーが装着されないバイクの意味だったのと同様です。



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二輪車用チェーンの国内トップメーカー大同工業が椿本チエインの完全子会社に

https://news.yahoo.co.jp/articles/aba7aff454215ee5a2b4eba9cd16f9959d3ef3ed

 現在、椿本チェインは二輪車用チェーンを製造していないようですが、1970年代後半には片山敬済選手のチームスポンサーになっていましたし、バイク雑誌に二輪車用チェーンの広告が掲載されていました。

 これは1978年オランダGP350㏄での片山。
http://highsider.com/textlager/japan_textlager/Katayama_78_06.htm

 マシンは1979年型ヤマハTZ350プロトタイプをベースにしたものと思われます。


ホンダRC181(1966-67年型500㏄4気筒)

 1966年、67年、ホンダ・4ストローク500㏄4気筒・RC181/2RC181で世界GPを戦い、1966年はメーカータイトルを手にしたものの、重要な個人タイトルは手にできず、1967年には僅差でメーカー/個人タイトルを手にできませんでした。

 ホンダ500㏄4気筒に乗り1966年に3勝、1967年に5勝したマイク・ヘイルウッドはこのマシンのハンドリングに不満で、1967年シーズン初め、そして1967年シーズン後に独自に車体製作を外注します(両車とも世界GPでは走らず)。

 1967年GPシーズン終了後にヘイルウッドがケン・スプレイソンに製作させたのがこちらのマシン。解説では1967年シーズン前に製作されたことになっていますが、誤りです。
https://www.mcnews.com.au/honda-rc181-as-raced-by-mike-hailwood/

エンジン番号は RC181 303 です。

 1968年に入ってすぐ、ホンダが世界GP撤退を発表、ヘイルウッドは世界GP以外のレースに出場する条件でホンダと契約し1967年型の250/350/500マシンが与えられたのですが、スプレイソン製作の車体に1967年型500㏄エンジンを搭載し、1968年、リミニ(イタリア)で行われたレースに出場し2位となりました。

 そして、1週間後のイモラ、プラクティスでエンジンが故障、翌日の決勝までに1966年型に積替え、優勝。これがこのマシンの最後のレースになりました。

 日本のレーシングモーターサイクル 栄光の歩み(八重洲出版1988)では、(当時)現存するこのマシンのエンジン番号を103としていました。

 現存する2台の1967年型の2RC181Eのエンジン番号は

RC181E-301
RC181E-302
ですので、103は1966年型と考えられ、1968年イモラで1966年型エンジンに積み替えられたことと符合します。

 しかし、現在は303エンジンになっていますので、イモラで下ろされた303が補修され、スプレイソンフレームに搭載されたものと思われます。ただ、排気管は1966年型です。

 1967年シーズン初めに製作されたマシンについてはこちら。

https://jfrmc.ganriki.net/rc181/rc181-1.htm




GRAND PRIX ARCHIVES 02 エディ・ローソンの一強支配  1986-1990

 レース名等を校正しました。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei37.htm


 前回の「ケニーとフレディーの時代 1978-1985」
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei36.htm

と比べると、誤りが減っていますね。

 ところで、ローソンは1986-1990年の5年間で3回、チャンピオンになったのですが、これを「1強支配」とされると「?」になります。こんな書名を付けず、単に「GRAND PRIX ARCHIVES 1986-1990」の方がいいと思います。
 このような本を買う人の多くは、当時、レースファンだった人でしょうから、これが最適ではなかと。



ペーハーかピーエッチか

https://x.com/choikichi_/status/1919202519609200703

 私はペーハー世代ですが、英語の文献を読むようになって自然にピーエッチになりました。
 それより、ペーハーを「ペーパー」と書く人にびっくりです。

 pHのpが何の略かはいろんな説があるようですが、英語ならpotentialかなと思います。私のpH(Hのポテンシャル)は風前の灯かな・・・あったとしても使い道はないのですが。


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