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JFRMCブログ

JFRMCについてのメモです。

RACERS volume 48(9)

68頁に(0W31について)「クランクと等速で逆回転するカウンターシャフトが通る」とある。

 で、10頁にパーツリストの図もあるが、ライター氏はパーツリストそのものは確認しなかったのだろう。パーツリストには歯数も書かれており、減速比39/38で減速していることが分る。つまり「等速」は誤り。
 当然、ジャックシャフト(カウンターシャフト)左端のマグネット駆動ギアは逆に39/38倍増速してる。

 実はクランクギア等、動力を伝えるギアは、駆動ギア・被駆動ギアの歯数の組み合わせを「互いに素」にしていることが多い。逆に歯数を同数にすることはハードルが高かった。したがって、1970年代初めに設計されたエンジンであれば「等速」の可能性は少ないと思うべきだろう。

(12/23追記)

 TZ500のクランクギア→ジャックシャフト(カウンターシャフト)ギアは減速比32/31で減速している。もちろん「等速」ではない。そしてジャックシャフト→クラッチギアは47/22で減速している。
 したがって一次減速比は

(32/31)×(47/22)=2.205になる。

これは1980→1982年型いずれも同じ。

したがって、
http://www.tz350.net/bigbrothers.htm で一次減速比2.135とあるのは誤りということになる。

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RACERS Volume 48(8)

http://jfrmc.tou3.com/%E9%9B%91%E8%AA%8C/racers%20volume%2048-3-
  に追記しました。

 さて、本誌ではF750規定が1974年まで「200台以上」だったことが忘れられている。
54頁の「200台以上」はアメリカのことでF750とは書かれていない。

 そして、TZ750はF750、そしてアメリカでのレースに出場できるよう200台以上生産されたが、1974年、TZ750はシーズン直前にF750に適合しないとFIMに判断された。
 この結果、イモラ200等、主要なレースはF750の看板を返上し、単なるノンチャンピオンシップレースとして開催された。TZ750なしにレースを開催してもレースファンの関心が低く興業が成り立たないという判断だった。
 9頁の(1974年の欄)「ドッズ、TZ750でFIM-F750でチャンピオン」はTZ350の誤り。

 ついでに、1977年「TZ750改500エンジンのサイドカー登場」とあるが、すでに1975年には登場している。92頁には1974年となっているが、私は未確認(記憶にない、資料を探せば確認できる?)
 なお、サイドカーなし(ソロ)でも1975年、フィンドレーが750改500に乗っている。

 なお、54頁の「’76年に~200→25台とハードルが下げられた」は’75年の誤り。KR750がデイトナやヨーロッパのF750に出場できたのもこのため。

RACERS Volume 48(7)

13頁で(750㏄の0W29について)「ライダーを引退してロバーツのチューナーに転じたケル・キャラザースが、♯1のチャンバーを中通しにするアイデアを実用化したのも’75年だった。中通しチャンバーはファクトリーマシンにも採用されることになり、0W29の車体を一新した0W31が76年に、その量産型のTZ750が’77年にデビューした」

 68頁で「(このような)レイアウトを真っ先に採用したのが0W31だった」

 要するにライター氏は、
●0W29は基本的に1番気筒中通し排気管ではない。中通し排気管はキャラザースがロバーツの0W29用に特別に製作したもの。
●1976の0W31でヤマハが中通し排気管を全面的に採用。

と言いたいようだが、これは誤り。52頁右下の1975デイトナでの河崎のマシンも中通し。
こちらはアゴスチーニのマシン(右チェンジ)。
http://www.classicyams.com/works-racers/works-racers/yamaha-yzr750-racers.html

 そもそもモノクロスのヤマハ750が登場したのは1974年の日本GPで、その時点で既に中通しだった。

 いつもは当時の技術者等の協力があるが、今回はそのような方は登場していない。そんな訳でライター氏の「想像力」に頼るところが多いようだ。

 他の「0W23の車体に750エンジンを搭載したのが0W29で、これを改良したのが0W31」もライター氏の「想像力」によるものと推察する。

 ところで、13頁左上の「ヤマハテストコースで撮影されたと思しき記念写真」とある。当時の三栄書房の雑誌の記事では「去る2月16日、ヤマハ袋井テストコースで、同社の77年度ワークス・マシンと、ヨーロッパGPレースに出場するライダーの陣容が発表された」とあり、この写真はその時のもの。他誌でも同じような写真が多数掲載された。

EACERS Volume 48(6)

  40頁で紹介されたソノートカラーのTZ7501983年に現物を見たことがある。今回記載されたフレーム番号と同じだった。1996年に別冊モーターサイクリスト誌で紹介されたマシンも同一と思われる。

 

TZ750D/E/F~合わせて250台超という生産台数は~」の生産台数はフレーム番号からの推定だろう(フレーム番号は101から始まるので)。一方で写真説明「'77年製造のTZ750Dと考えたい」とあるのはフレーム番号からすると理解しがたい。

 

 この生産台数について「Yamaha: All Factory and Production Road-Racing Two-Strokes from 1955 to 1993」では、フレーム番号を

TZ750D 200101

TZ750E 200131

TZ750F 200197

としている。そして生産台数は、「TZ750D30台が販売」、「D/Fはさらに162台が生産」としている。計192台になる。

 

一方、1978年のモトライダー誌に、3月にヤマハが菅生で行ったTZ750購入チームに対する講習の取材記事が掲載されているが、4台のマシンのフレーム番号は

「~331」から「~341

だった。19783月時点でこのフレーム番号が現認されているのだから、先の「YAMAHA~」の記事は誤りということになる

 

 そして、先のSONAUTOカラーのマシンも、フレーム番号からすると、少なくとも1977年型ではなく1978年型または1979年型(おそらく1979年型)と思われる。

 

 なお、パワージェット付キャブレターについて「後年のTZ500用~を取り付けたものと思われる」とあるが、1979年の実戦写真でもパワージェット付を確認できる。

 

TZ750Fがパワージェット付キャブレターでないなら、この写真のキャブはヤマハから特定のチームに供給されたものだろう。

 


(12/4追記)
 このマシンのエンジン番号も1983年にメモしたが・・・私がメモをミスしたのでなければ、クランクケースはTZ750D/E/Fではないことになる。 

RACERS Volume 48(5)

29頁下の方のロバーツの0W35K、レクトロンのキャブについて書かれているが、さらに重要なのは「パワーバルブがない」こと。

 78年型YZR500といえば「パワーバルブ」だが・・・この写真は第1戦ベネズエラのものだが、パワーバルブ仕様エンジンを与えられたのはセコットのみで、ロバーツ、片山はパワーバルブなしだった。当時の三栄書房の雑誌にもその記述がある。

 どうも最近のライター氏が当時の記事を書くときは、メーカーの公表資料だけをたよりに想像を膨らますようで、当時の雑誌を読み返すことはないようだ。だから、28頁の「開幕戦、~スペイン(ハラマ)までは、ケニーは大人しかった。なんだ大したことはないじゃないか・・・・・」という記事になる。
 スペインでロバーツは独走していたがマシントラブルで2位に後退したことを、「ケニーは大人しかった」と書いて欲しくない。

 ところで、26-27頁の写真は「1980~Belgium」とあるが、1980年フィンランドの誤り。この雰囲気が公道レースに見えないのだろうか。

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