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JFRMCブログ

JFRMCについてのメモです。

勘違い記事

RACERS Volume45 92頁に、ヨシムラに関する次の記事があります。
(記事はこちら。http://www.mika-y.com/upload/images/20170607061608.pdf

 「(1978)鈴鹿8耐を制したポップ吉村は、翌’79年、再び日本に帰ってきた。少し前にスズキの設計者・横内悦男(悦夫の誤り)氏との運命的な出会いがあり、すでにGS750、GS1000をターゲットにチューニングに着手していたのだ」

 この記事からすると、ライター氏は「1978年の鈴鹿8耐の優勝マシンはヨシムラ・カワサキで、その後にスズキとの関係ができた」と勘違いしているようです。
 
 また「翌’78年、(ヨシムラが)デイトナスーパーバイクを4年連続で制覇」ともあります。
 
 Wikipediaがあるので、専門外のライター氏でもそれなりの記事が書けてしまいますし、Wikipediaの誤りもそのままになっている例もあります。でも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E7%A7%80%E9%9B%84
の記事を参考にしたのなら、こんな誤りはしないと思いますが・・・

 この頁前後の記事は人間模様に重点を置いたものであることは認識していますが、現実が無茶苦茶で人間模様を描ける訳がありません。

 ライター氏は交通事故、司法問題が専門ということです。
http://www.mika-y.com/
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忘れられたヤマハ0W17

1973年、ヤマハは水冷市販レーサー・TZ350/TZ250を登場させる一方、新たに350㏄、250㏄のファクトリーマシン0W16/0W17も登場させました。700㏄/500㏄4気筒プロジェクトはプロジェクト名・0W19で機種記号はそれぞれ0W19、0W20でしたが、2気筒350㏄/250ccもプロジェクト名・0W16だったと思われます。

 250㏄クラスでは1973年第1戦フランス、オーストリア、ドイツとサーリネン+0W17が
3連勝、第4戦イタリアの事故でサーリネンが死亡すると、シーズン後半からランシボリに0W17が与えられました。
 また、350㏄の0W16もシーズン後半(多分)に登場、ランシボリに与えられました。
 1973年後半、ランシボリが全てのレースで0W16/0W17に乗ったのかどうかは分りませんが、ランシボリは1973年後半、250㏄クラスで2勝、350㏄クラスで2勝しています。

 1974年に0W17は姿を見せず0W16のみが走り、アゴスチーニが5勝、ランシボリが1勝しています。

 1975年には前年の0W16をベースにした0W17(ツインショック)がセコット、高井(シーズン前半のみ)に与えられ、セコットが1勝、そして第6戦オランダで1975年型0W17(モノショック)が登場して第7戦ベルギーで1勝します。

 なお、0W16は350㏄クラスでアゴスチーニ、金谷が各1勝しています。

 こんな戦績の0W16/0W17ですが、
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
では0W17が全く登場しませんし、0W16も1974年のみ6勝したことになっています。

 1972年の水冷YZ634/635(350CC/250CC)も忘れられていますし・・・

ヤマハ 0W23は1974年に1勝したか?

https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
 0W23が1974、1975年に6勝したことになっています。1975年にヤマハは500㏄クラスで5勝していますので、0W23が1974年に1勝したということになります。

 ヤマハ0W23は1974年ベルギーGPで登場しアゴスチーニが乗り2位でしたが、チームメイトのランシボリは0W20に乗りました。次戦スエーデンGPでランシボリが優勝したのですが、ランシボリは0W23に乗ることはなく、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア(最終戦)と0W20に乗りました。つまり0W23は1974年に1勝していません。したがって、同頁中の0W20の優勝回数も誤り。
 詳細はこちら。http://jfrmc.ganriki.net/ow23/ow20-2.htm

「0W23がベルギーGPで登場したのだから、その後のヤマハの戦績はライダーに関係なく0W23によるもの」とヤマハのサイトのライター氏(委託?)が思ったのでしょう。あるいは従来の誤り記事をそのまま写したのでしょうか。

 写真はチェコスロバキアGPでのランシボリ。0W20と0W23の区別がつかない方には無意味ですが。

ヤマハRD56は1969年に1勝したか?

1964、1965年の世界GP250㏄チャンピオンマシン・ヤマハRD56は1966年以降、各国の輸入元等に貸し出されレースに出場しました。市販レーサーとV型4気筒ファクトリーマシンRD05/RD05Aの間を埋めるマシンという位置づけでしょうか。

 フィル・リードが優勝した1969年イタリアGP250㏄についてのオートバイ誌1969-10の記事では「~P・リードが、ツインのヤマハ旧型工場レーサーで久しぶりに登場~」とあります。これだけ読むと、リードのマシンは市販レーサーTD2ではなくファクトリーマシンRD56ということになります。

 で、ヤマハのGP500勝記念サイトでもリードのマシンはRD56になっています(62勝目という位置づけ)。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories
 マシン編の
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
でRD56が優勝した年に1966年があるのは1969年のつもりなのでしょう。RD56は1966年に勝っていません。ヤマハが1966年に250㏄で挙げた1勝はRD05によるものです。

 1969年イタリアGP250㏄の画像をネットで探したのですが見つかりませんでした。でも燈台下暗し、私が持っている本にその写真がありました。左コーナーを走るリードを右斜め後方から写したもので、マシンは明らかに右チェーンのTD2(同時に写っているベネリ4気筒は左チェーンで正しく写っているので、ネガの裏焼きではない)。
 
 そんな訳で、1969年イタリアGP250㏄で優勝したマシンはRD56ではなくTD2である可能性が高いと思います。

※「可能性」としたのは写真が予選のもので、レースでは別のマシンが用いられた可能性が否定できないからです。
 ただ、件のサイトの他の誤りから推定できるライター氏の仕事ぶりからすると・・・

SUZUKA Sound of ENGINE

http://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/

SUZUKA Sound of ENGINE が開催されます。スポンサーの関係か4輪中心のイベントになっているのが残念です。ただNSR500等が走行することも今月になって発表されています。昨年の例からもさらに走行する2輪が増える可能性もあります。

私が見に行くかどうかは今のところ未定ですが・・・

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