レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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前々回、MOTOGPのウェブサイトでは、
http://jfrmc.tou3.com/ネット情報/20200609_541
1980年350ccクラスのマニュファクチャラータイトルはビモータになっていることを紹介しましたが、FIM公式ヒストリーとされる
Motocourse: 50 Years of Moto Grand Prix: The Official History of the FIM Road Racing World Championship Grand Prix, Hazleton 1999
のマニュファクチャラータイトルの一覧表では、1980年350㏄はYamahaになっています。つまり、ビモータフレームによる4勝(Ekerold3勝、セコット1勝)の全て、あるいは3勝又は1勝がヤマハのものという整理です。次のいずれかの扱いでマニュファクチャラータイトルがヤマハのものになるからです。
〇Ekerold、セコットのマシンをヤマハと扱う(ヤマハ4勝)。
〇Ekeroldのマシンのみをヤマハと扱う(ヤマハ3勝)。
〇Ekeroldのマシン以外のビモータ/ヤマハをヤマハと扱う(ヤマハ1勝)。
また、同書のライダーランキング表ではビモータ、シュバリエは
ビモータ:Yamaha(年を問わず)
シュバリエ:Yamaha(1981)、Yamaha(1982: 250)、Chevallier(1982: 350)、Chevallier(1983)
と表記されています。同書ではビモータ/ヤマハはヤマハという整理です。
・・・1980年350㏄のマニュファクチャラータイトルはいったいヤマハなのかビモータなのか・・・ヤマハなら、ヤマハに認定証があるはずなのですが。
そもそも、MOTOGPのその他のデータにもいろいろ疑問があります。例えば1984年250ccランキング2位だったManfred Herwehのマシンは、MOTOGPのResultでは、レアルとされています。レアル(Real)はスポンサーのハイパーマート(ドイツ)です。現在、レアルが売っている商品にはRealブランドのモペッド、スクーターもありますが、実際の製造者はレアルなのでしょうか。
しかも、1984年のHerwehのマシン、エンジンはロータックスで、フレームはニコ・バカーなのです。このマシン名も認めてしまうようなメーカー名の取り扱い方法を尊重する意味を見出せません。
さて、Motocourseでのビモータ、シュバリエの表記はどうなっているか整理してみました
ビモータ
1979 各レース結果 Yamaha、Bimota/Yamaha、Bimota ランキング表 Yamaha
1980 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamaha
1981 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamaha
1982 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamah
シュバリエ
1981 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Yamaha
1982 各レース結果 Yamaha
ランキング表 Chevallier
1983 各レース結果 Chevallier ランキング表 Chevallier
と表記されています。
シュバリエに関しては、ヤマハ500勝のカウント方法に近いですが、ビモータについては、ヤマハ500勝のカウント方法とは全く別です。
なお、主要マシンの仕様に関する頁では、BimotaはBimotaとされています。つまり、車体がBimotaであることは把握したうえで、各レース結果、ランキング表はYamahaとしているのです。
これは、私の想像なのですが、結局、1977年以降の「ヤマハエンジン+社外フレーム」をどう扱うかについて、統一的な取扱いはされていなかったのではないかと思います。FIM自身も整理できなかったし、各GPの主催者も。
1976年のマニュファクチャラー登録制が1977年以降継続していたかどうかも疑問が残ります。
(続く)
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http://jfrmc.tou3.com/ネット情報/20200609_541
で、「ヤマハエンジンを搭載している社外フレーム車」で500勝にカウントされていないものが10勝あると書いていましたが、11勝の誤りです。1971年アルスターGPで優勝したレイ・マックロー(ヤムセル)が漏れていました。
上の記事はすでに訂正済です。申し訳ありません。
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前回、社外フレームであるがためにヤマハ500勝にカウントされなかったマシンがあることを示しましたが、ヤマハ500勝にカウントされているマシンの中にも社外フレームのマシンがあります。 例えば1971年、ヤマハTD-2に乗り250ccチャンピオンになったフィル・リードはその年に3勝しましたが、そのTD-2のフレームはCheney製です。 http://philreadyamaha.blogspot.com/2013/11/phil-read-yamaha-discovery.html
また、1975年350ccチャンピオンのセコットはTZ350で4勝を挙げましたが、内1勝はビモータフレーム車によるものです。 この二つの例は、例えばフレームがヤマハ製でなくとも、マシン名を「Yamaha」としてレースにエントリーしたからでしょうか、500勝にカウントされています。
他に500勝にカウントされた社外フレームには、記憶を頼るとマクストン、スポンドン、ニコ・バカー、シュバリエ、ROC等があります。
では、これらのマシンが全て「Yamaha」としてエントリーしていたのでしょうか?
1975年世界GPのマニュファクチャラーランキング表(モーターファン別冊)を見ると、350㏄クラスでマン島TT優勝の「ダグデイル マクストン ヤマハ」がランキング3位に、250㏄クラスでマン島優勝の「ダンフェイ ヤマハ」がランキング2位になっています。この2勝はヤマハ500勝にカウントされています。
この2クラス、他にも「マック ベイッヒ ヤマハ」、「チャット ヤマハ」、「オークレイ ヤマハ」といったマニュファクチャラー名なのか、チーム名なのか、スポンサー名なのかわからない「マニュファクチャラー」も記載されています。
また、優勝マシンではありませんが、例えば1971年の250㏄クラスのランキングhttps://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/season1970_79/1971/
に、Yamsel、Yamasaki、Padgett Yamahaがあります。
これらの表の原典がFIMなのか雑誌(海外or日本)なのか分りませんが、おそらく正しいのでしょう。というのは1976年のマニュファクチャラーチャンピオンシップに関して、FIMは「マニュファクチャラーの登録制」を採りましたが、このような雑多なマニュファクチャラーでない「マニュファクチャラー」を排除する目的だったと考えられるからです。
中野広之氏がまとめられた1969~83のマニュファクチャラーランキング表http://www.iom1960.com/other/maker-point-2.htmlで、1971~75年頃にヤマハ関係と思われる雑多なマニュファクチャラーが記載されているのに、1976年に姿を消したのは、その効果なのでしょう。
1976年のマン島TT350㏄で優勝したモーティマーのマシンはマクストン・ヤマハですが、マニュファクチャラーランキング上はヤマハにカウントされています(そうでないと中野氏の頁のランキング表でヤマハ84点にならない)。
簡単にまとめるなら「1975年以前はマシンの名前(マニュファクチャラー)は出場者(チーム)が勝手に付けることができたが、1976年には勝手に付けることができなくなった」です。
おそらく、FIM(というかMOTO-GP運営会社)が過去のリザルトを再整理する際、ヤムセル(Yamaha-Seeley→Yamsel)は、車名に「Yamaha」がないのでヤマハではないと分類し、1974年マン島TT250、1975年マン島TT250及び350優勝マシンは、車名の一部に「YAMAHA」が入るのでヤマハと分類したのでしょう。
私は、ヤムセルもマクストン・ヤマハも、ヤマハかどうかの区分上は全く同じ扱いが適切だと思います。
では、1977年以降のマシンはどうなのでしょうか?
(続く)
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1980年350ccのチャンピオンはJon Ekeroldで、マシンは車体がビモータ、エンジンはヤマハTZ350です。当時のヤマハニュース
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/library/yamaha_news_jpn/pdf/index/
208YamahaNews_J_1980.pdf
では「350ccとサイドカーの2クラスでもヤマハ、メーカー選手権獲得! メインレース500ccクラスとは趣を一変し、世界最強の市販レーサー”ヤマハTZ350”を駆るプライベートライダーとカワサキファクトリーマシンの対決がファンの目を釘づけにした350ccクラス。注目のメーカー選手権は、J・エクロルド、J・チェコットなど圧倒的台数を誇る”TZ勢”の活躍によって3年ぶり、6度目ヤマハの手にするところとなった。」
とヤマハのタイトル獲得として報じています。
しかし、MOTOGPのウェブサイト
https://www.motogp.com/en/Results+Statistics
ではEkeroldのマシンは「Bimota」、350ccクラスのメーカーチャンピオンも「Bimota」になっています。このため、1980年にEkeroldが挙げた3勝はヤマハ500勝にカウントされていません。
このように「ヤマハエンジンを搭載している社外フレーム車」であるがために500勝にカウントされていないのは、次のとおりです。
年 クラス 勝数 ライダー マシン
1971 350cc 1 ジェフリーズ ヤムセル
250cc 1 マックロウ ヤムセル
1980 350cc 3 Ekerold ビモータ
1 セコット ビモータ
1981 350 2 Ekerold ビモータ
1 Fernandez ビモータ
1983 250 1 バルデ シュバリエ
1 ラディゲ シュバリエ
計11勝です。この11勝をヤマハの勝利数にカウントするなら、500勝達成は2015年になります。 (続く)
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https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=class&filter=250cc&order=desc
では1973年に登場したYZR250(0W17)の名前が全くありません。0W17の戦績は「YAMAHA 250」として、TD-3、TZ250の戦績とまとめてカウントされています。YZR350(0W16)も1974年のみ6勝したことになっています。
また、1972年、サーリネンはTD-3とYZ635(水冷)に乗り250㏄チャンピオンになりました。サーリネンがこの年の250㏄クラスで挙げた4勝はYZ635によるものですが、サーリネンの戦績はTD-3としてカウントされています。350㏄クラスでもYZ634がサーリネンの手により優勝していますがTR-3としてカウントされています。
YZ634/YZ635は1973年に市販されたTZ350/TZ250のプロトタイプというべきマシンで、それ以上の説明の必要もないと思いますので、0W16/0W17について少し触れます。これは2017年11月2日の記事
http://jfrmc.tou3.com/Date/20171102/1/を修正したものです。
0W16/0W17はTZ350/TZ250とエンジンの基本設計が異なる、全く別のマシンです。1972年、250㏄クラスでアエルマッキ(ハーレーダビッドソン)と激しいタイトル争いが演じられたことへの回答、そして、350㏄クラスでMVアグスタからタイトルを奪えなかったことへの回答なのでしょう。
OW16/0W17の戦績は
1973年250㏄:第1戦フランス、オーストリア、ドイツとサーリネン+0W17が3連勝。Lnsivuoriがシーズン後半挙げた2勝も0W17によるものと思われる。
350㏄:0W16がシーズン後半に登場、ランシボリが2勝。
いずれも前後ドラムブレーキ。
1974年250cc:0W17は姿を見せず。
350cc:0W16に乗るアゴスチーニが5勝しチャンピオン、ランシボリも1勝。
前輪のみディスクブレーキ。
1975年250cc:セコットに前年の0W16ベースの0W17が与えられ1勝、オランダで新型0W17が与えられベルギーで1勝。
350cc:新型0W16でアゴスチーニ、金谷が各1勝。
新型は何れも後サスペンションがモノショック(モノクロス)、前後輪ディスクブレーキ。
http://home.kpn.nl/twostrokes/works%20twins%20vervolg.htm#YAMAHA 250 OW17 / 350 OW16 1973-197
にいくつか写真がありますが、TZと比べますと、クランクケースがコンパクトになっていますし、それ以外にも細かい差が幾つもあることが分ります。TZとは全く異なるエンジンです。このマシンをTZ350/TZ250ベースとするライター氏がいるのが残念です。
1973年、サーリネン、金谷に与えられた0W17は3台で、フレーム番号は
0W16-B-305
0W16-B-306
0W16-B-307
と思われます。マシンが0W17なのにフレーム打刻が0W16なのは、OW16/0W17の2種のマシンに関するプロジェクトは同一で、そのプロジェクト記号が0W16だったからです。500㏄4気筒・0W20のフレーム打刻が0W19だったのと同じ理由です。
(続く)
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