レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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24頁の1963年の記述「50㏄9戦1勝~250㏄9戦4勝」とあります。50㏄クラスは9戦開催でホンダファクトリーは1戦出場し1勝ですし、250㏄は10戦開催で10戦にファクトリーで出場し4勝しています。なお、250㏄クラスの他の勝者はプロビーニ(モリーニ)4勝、ヘイルウッド(MZ)1勝、伊藤(ヤマハ)1勝です。
25頁の写真02、04が1963年とあって、写真03が「~日本GP350。この年の350でMVに乗った♯14ヘイルウッド~」とあるので、ライター氏は1963年日本GP350にヘイルウッド(MV)が出場したと考えたのでしょう。1963年日本GP350はホンダ3台しか出走せず、レース不成立になったことを知らないのでしょう。もちろんこの写真は1965年日本GP350の誤りです。
25頁写真04「63スペインGP250で市販250㏄レーサーCR72に乗る♯28ロブと♯40レッドマン~」とあります。
これが1963年スペインGP250の写真。1列目は右奥からプロビーニ、レッドマン、ロブ、タベリ、高橋で、タベリ、高橋のマシンがCR72です。
実は写真04のマシンはCR72ではなくCR93(125㏄)です。ではスペインGP125㏄かというとそうではありません。消去法で判断するとベルギーGP125㏄のような気がします。 PR
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ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡 24頁の1963年250㏄のランキングを見て、シェパードのランキングが砂子より上にあるのに違和感を感じました。シェパードが11ポイントになっていますが、確認すると私の資料では9ポイント。
wikipediaでは11ポイントですし、FIMのリザルトのサイト
https://www.motogp.com/en/Results+Statistics/1963/JPN/250cc//World+Standing
でも11ポイントです。
しかし、FIMのこの頁を見てすぐおかしなことに気が付きます。世界GPが8戦しかないのです。つまり第1~3戦のスペイン、西ドイツ、フランス、そして最終戦の日本がなかったことになっています。
記載された8戦でのシェパードのポイントは東ドイツの6とイタリアの3の計9ポイント。無記載の4戦でシェパードは無得点でしたので、残り4戦を考慮しても9ポイントです。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei17.htm
の最後でも指摘しましたが、このFIMのリザルトはいい加減なものです。いろんな記事がFIMの誤りをそのまま引用するので困りものです。
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22頁の1962年についての記述、50㏄のクライドラーが東ドイツのマシンになっています。MZと勘違いしたのでしょうか? もちろん、西ドイツの誤りです。
23頁の写真3がマン島T.T.の250になっていますが、アルスターGPの125の誤りです。
写真8が62年のマン島T.T.250予選になっていますが、レース本番の誤りです。
250㏄クラスのゼッケンは緑地に白数字というようにクラス毎にゼッケンの色が異なっていたのですが、UK、マン島でのレースは(世界選手権以外でも)前ゼッケンのみ白地に黒数字でした(写真3のように)。ただ、マン島の公式練習では前ゼッケンもクラス毎の色だったのです。写真8のマシンの前ゼッケンは白地に黒数字ですからレース中であることが分ります。当時のマン島は2台ずつゼッケン順にスタートしますから、写真のゼッケン9、10は同時スタートで、ゼッケン10レッドマンが9北野を(タイム上でも)少しリードしているところです。1周目と思われます。
ところでofficial practice を予選と訳すことが多いのですが、通常のレースでは(スタート位置がpractice のタイムで決まるので)それでもいいでしょうが、マン島の場合はそうではないので、やっぱり「公式練習」と訳してほしいところです。
八重洲出版から発売されていました。
21頁下の写真が「1962 イタリアGP350」となっており、「62年~レッドマンが~ダブルタイトルを獲得~」とあります。
写真のライダーがレッドマンかのような説明ですが、写真のライダーはボブ・マッキンタイアです。そしてイタリアGP350ではなくオランダGP(ダッチTT)350です。この風景がイタリアGPに見えるのは困りものです。また、イタリアGPが行われたのはマッキンタイアの死後です。
"Moto GP Technology" by Neil Spalding, David Bull Publishing 2006 11頁に"The 2002/3/4 fuel load maximum was 24 litres, and for 2005/6 22 litres."とあります。
https://www.crash.net/motogp/news/72670/1/2004-motogp-machines-unchanged-fuel-cut-in-2005 によると、2003年7月10日に2004年のレギュレーションは2003年のままとなることがアナウンスされ、燃料タンク容量が24リッターのままとなることが確定。これはメーカーからの"upon unanimous request "によるとのこと。つまり2004年から22リッターになる予定が延期されることが決まったという記事です。
で紹介した記事のライター氏が2004年当時のレース状況をよく知っていれば、間違えるはずはないと思います。
ところで、レギュレーションの施行が延期された例として思い出すのは、世界GPの騒音規制です。1976年シーズンから実施されるはずだった世界GPの騒音規制が、各チームの体制が整わないため、第1戦からではなくシーズン中盤のベルギーGPまで延期されたことがあります。スズキは準備を整えており、消音器装着マシンを第1戦から走らせましたが。