レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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「市販レーサー・TR3/TZ350のクランクケースはRX350(R5)と共通」という記事を見るようになったのはこの20年くらいでしょうか。記憶が曖昧ですが、このような記事に最初から違和感を感じていました。というのは昔は「市販車と市販レーサーのクランクケースは別」という記事だったのです。
これはオートバイ誌76-4号に掲載されたRD350にTZ350、TZ750のパーツを組み合わせたマシン。
車体がRDでエンジンは当初RX350をベースに初期型TZ750(公表は694㏄、ボア×ストロークからの単純計算では695㏄)の2気筒分のシリンダー周りを組み付けることから計画がスタートしましたが、結局、TZ350のクランクケースを使用することになりました。この理由は「クランクケースは当初RXのものを流用しようとしたが、ウォーターポンプがうまくつかない~またクランクケースの強度もRXとTZでは異なっているので、思い切ってTZのものに変更してしまったという。」ということです。
この記事以外にもTZのクランクケースは市販車のものに似ていても異なるものという雑誌記事を読んだ記憶があります。
これらはいわゆる与太話なのでしょうか?
(続く)
なお、写真のマシンのオーナーは「石井重行」となっていました。石井さんはヤマハを1976年に退社しスポーツショップイシイを開店したのですが、http://www.oxgroup.co.jp/oxgroup_site/history.htmlでは開店は1976年6月です。掲載されたのが1976年4月号(発売は3月1日?)ですから、開店準備を進めていた頃に取材協力したのでしょう。 PR

この写真、ライダーの谷口尚己氏のアルバムに残るものだそうです。
https://www.instagram.com/p/BjjPMVzn4JK/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=drduq0m4uqaw
ブランデッシュコーナー(Brandish=ブランディッシュ)とされていますが、この風景はブランディッシュコーナーではありません。写真右下に構造物の一部が写っていますが、ブランディッシュコーナー周辺にはこのようなものはありません。また、写真右側のコース端とマシンの位置関係、マシンの向き・姿勢からここが低速コーナーと分りますが、ブランディッシュコーナーは高速コーナーです。
下の写真をご覧ください。路面の影(木陰)が上の写真と同じです。

https://www.motorcyclistonline.com/1959-isle-man-tt/
この場所はパークフィールドコーナーです。スタート地点からここまではマウンテンコースと同じですが、クリップスコースではここで右に曲がります。
現在のパークフィールドコーナー。

プリントされた写真を整理する段階で間違えてしまった例です。アルバムに貼られているだけなら個人の思い出ですが、公にする段階ではチェックが必要です。

1970年に登場した一般市販車RX350(R5)のエンジン打刻はR5で、350㏄空冷市販レーサーTR-3のエンジン打刻もR5、水冷市販レーサーTZ350のエンジン打刻も(いつまでかは私の中では不確かですが)R5でした。このことをもって「TR-3、TZ350のクランクケースはR5と共通」という記述もあるようです。RX350とDX250(DS7)のクランクケースは共通で、TD-3、TZ250のクランクケースも350㏄と共通ですから、250市販レーサーのクランクケースも一般市販車ものと共通ということになります。
下はR5のクランクケースです。
これは1977年ころの(R5の打刻のある)TZ350のクランクケースです。
青で囲んだ部分にねじ孔部分が追加されています(右側は実際には穴は開いていません)。また、クランクシャフトベアリング保持部周辺に赤線で囲んだリブが追加されているだけでなく、保持部そのものが太くなっているように見えます。
RX350と1977年ころのTZ350のクランクケースは、異なる型で製造されていることが分ります。エンジン打刻だけで同一部品かどうかの判断はできないのです。
そもそも一般市販車でも、エンジン打刻の型式を示す記号(下の例ではABC)が同じであっても、〇、△が異なるとクランケースの型が異なることがあります。
例
ABC-〇◇◇◇◇◇
ABC-△◇◇◇◇◇

1970年に一般市販車であるヤマハDX250(輸出名DS7)、RX350(同R5)が登場し、ヤマハの250ccと350ccの並列2気筒エンジンのクランクケースが共通化されました。そしてこれら一般市販車のエンジンをベースに空冷市販レーサーのTD-3/TR-3のエンジンが製作されたのです。
1973年には一般市販車がモデルチェンジしピストンバルブ吸気→ピストンリードバルブ吸気になりましたが、市販レーサーはピストンバルブ吸気のまま水冷化したTZ250/TZ350にモデルチェンジしました。
これらマシンのクランクケースの基本型は同じで、この基本型のクランクケースが用いられた最後のマシンは250cc一般市販車RZ250Rです。1988年にマイナーチェンジされたものが最終型となりました。このマシンの製造停止がいつかは知りませんが、このクランクケースが登場してから基本型を保ちながら約20年間、様々なマシンに用いられたことは特筆すべきことだと思います。
さて、基本型は同じであっても、全く同じではありません。例えば1979年に発表された水冷のRZ250/RZ350(RD250LC/RD350LC)では冷却水が通るごく短い経路がクランクケースを設けられましたから、以前の空冷版からクランクケースが変更されたことが分ります。
で、一般市販車が水冷になる前の空冷市販車、水冷市販レーサーについて、クランクケースの部品番号中の機種を示す3文字がどうなっているか整理しました。
一部、不明な機種もありますが、一般市販車とレーサーではクランクケースの機種記号が異なり、一般市販車/レーサー、それぞれの区分で250と350(400)のクランクケースが共通であることが分ります。
ですから、一般市販車とレーサーではクランクケースが異なると思われます。では、その差は「メーカーサイドで市販車用クランクケースに追加工してレース用にする」程度のものなのでしょうか?
(続く)

「1959年、ホンダチームはマン島に行って初めてクリップスコースが使われることを知ったって?」でMat Oxleyの誤った認識を取り上げましたが、その続編です。
これは1959年1月にマン島を訪れたホンダの新妻氏、Hunt(左2人)。
この場所は「Clypseコース」で紹介した場所です。二人が立っていた場所の現在はこちら。

奥の木々は下の写真のようにかなり伐採されています。
ここは上写真の左コーナーに続いて2つ上写真の短い直線と右コーナーがあるセクションで、「Nursery Bends」という名前が付けられていました。マウンテンコースとクリップスコースで共通の道路もありますが、ここはクリップスコースのみに用いられた道路です。
当たり前のことですが、ホンダは1959年1月の段階でクリップスコースの下見をしていたのです。