レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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98頁に「~’80年には~最終戦西ドイツGPでカジバ1C2を~多くのエンジンパーツにTZ500の純正部品を使いながら、クランクケースはオリジナルで、吸入方式をロータリーディスクバルブにした異例の構成」とある。
エンジン写真は1981年型だが・・・1980年型はピストンバルブ、つまりTZ500のクランクケースがそのまま用いられたようだ。MOTOCOURSE 1980-81に写真が掲載されていた。
98頁最下段の「1970年にすでにTZ350×2基」・・・TZ350発売の3年前。
39頁左下写真説明「レギュレーション対策(騒音測定方法への対応)」ではなく、排気管の向きに関するレギュレーション対策。
31頁左上「Netherlands」ではなくオーストリア。
73頁左上「Austria」 この風景はオランダ。
ところで34頁に0W35について「~56×50.7mmへのボアストローク」とあり、最近は0W35=56×50.7mmになっている。しかし、1977年2月に記者発表されたときは「56×50.5mm」だった。僅か0.2mmの違いだが。
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84頁に0W53について「クランクケースは5A0のものをベースに~同じ砂型鋳造マグネシウム合金クランクケースでありながら、一貫してYZR500は無塗装/TZは黒塗装だったのに、0W53のクランクケースが黒いのは、このためだ」とある。
このライター氏、自身が記事を書いた14頁下の前方排気のYZRのクランクケースが黒いことに気が付いていない。このマシンはすでに書いたように
http://jfrmc.tou3.com/Date/20171127/1/
(記事解説の1979年ではなく)1980年型の0W48。そして、
0W48Rもクランクケースは黒い。
つまり、TZ500が登場した1980年シーズンからYZRもTZのクランクケースを使用していた。つまり上の記述は誤り。
そして84頁に0W53について「わざわざスタッドボルトを移植するという大きな手間をかけてまでフラットバルブ用シリンダーを装着した例もある」とあるが、すでに1980年からそうだった。
なお、同頁に「シリンダーはTZ500と同じ鼓型YPVSバルブを持つタイプが53/53Pの標準」とある。確かに1981年日本GPで高井が乗った0W53は鼓型バルブだった。しかし、0W53Pは
浅見のマシンも
Dulmenのマシンも
フラットバルブ。フラットバルブが例外のような書き方はいかがなものか。
なお、「0W48レプリカの5Y9が計画され、その先行開発と0W54のバックアップを兼ねた0W53の開発も同時にスタートした」とある。
1981年に木下が乗ったスチールフレーム・2気筒後方排気の500㏄4気筒マシン(公認車両TZ500の改造車としてポイント対象)が忘れられている。むしろこのマシンが1982年型TZ500(5Y9)のベースになっているように思う。
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68頁に(0W31について)「クランクと等速で逆回転するカウンターシャフトが通る」とある。
で、10頁にパーツリストの図もあるが、ライター氏はパーツリストそのものは確認しなかったのだろう。パーツリストには歯数も書かれており、減速比39/38で減速していることが分る。つまり「等速」は誤り。
当然、ジャックシャフト(カウンターシャフト)左端のマグネット駆動ギアは逆に39/38倍増速してる。
実はクランクギア等、動力を伝えるギアは、駆動ギア・被駆動ギアの歯数の組み合わせを「互いに素」にしていることが多い。逆に歯数を同数にすることはハードルが高かった。したがって、1970年代初めに設計されたエンジンであれば「等速」の可能性は少ないと思うべきだろう。
(12/23追記)
TZ500のクランクギア→ジャックシャフト(カウンターシャフト)ギアは減速比32/31で減速している。もちろん「等速」ではない。そしてジャックシャフト→クラッチギアは47/22で減速している。
したがって一次減速比は
(32/31)×(47/22)=2.205になる。
これは1980→1982年型いずれも同じ。
したがって、
http://www.tz350.net/bigbrothers.htm で一次減速比2.135とあるのは誤りということになる。
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http://jfrmc.tou3.com/%E9%9B%91%E8%AA%8C/racers%20volume%2048-3-
に追記しました。
さて、本誌ではF750規定が1974年まで「200台以上」だったことが忘れられている。
54頁の「200台以上」はアメリカのことでF750とは書かれていない。
そして、TZ750はF750、そしてアメリカでのレースに出場できるよう200台以上生産されたが、1974年、TZ750はシーズン直前にF750に適合しないとFIMに判断された。
この結果、イモラ200等、主要なレースはF750の看板を返上し、単なるノンチャンピオンシップレースとして開催された。TZ750なしにレースを開催してもレースファンの関心が低く興業が成り立たないという判断だった。
9頁の(1974年の欄)「ドッズ、
TZ750でFIM-F750でチャンピオン」はTZ350の誤り。
ついでに、1977年「TZ750改500エンジンのサイドカー登場」とあるが、すでに1975年には登場している。92頁には1974年となっているが、私は未確認(記憶にない、資料を探せば確認できる?)
なお、サイドカーなし(ソロ)でも1975年、フィンドレーが750改500に乗っている。
なお、54頁の「
’76年に~200→25台とハードルが下げられた」は’75年の誤り。KR750がデイトナやヨーロッパのF750に出場できたのもこのため。
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13頁で(750㏄の0W29について)「ライダーを引退してロバーツのチューナーに転じたケル・キャラザースが、♯1のチャンバーを中通しにするアイデアを実用化したのも’75年だった。中通しチャンバーはファクトリーマシンにも採用されることになり、0W29の車体を一新した0W31が76年に、その量産型のTZ750が’77年にデビューした」
68頁で「(このような)レイアウトを真っ先に採用したのが0W31だった」
要するにライター氏は、
●0W29は基本的に1番気筒中通し排気管ではない。中通し排気管はキャラザースがロバーツの0W29用に特別に製作したもの。
●1976の0W31でヤマハが中通し排気管を全面的に採用。
と言いたいようだが、これは誤り。52頁右下の1975デイトナでの河崎のマシンも中通し。
こちらはアゴスチーニのマシン(右チェンジ)。
http://www.classicyams.com/works-racers/works-racers/yamaha-yzr750-racers.html
そもそもモノクロスのヤマハ750が登場したのは1974年の日本GPで、その時点で既に中通しだった。
いつもは当時の技術者等の協力があるが、今回はそのような方は登場していない。そんな訳でライター氏の「想像力」に頼るところが多いようだ。
他の「0W23の車体に750エンジンを搭載したのが0W29で、これを改良したのが0W31」もライター氏の「想像力」によるものと推察する。
ところで、13頁左上の「ヤマハテストコースで撮影されたと思しき
記念写真」とある。当時の三栄書房の雑誌の記事では「去る2月16日、ヤマハ袋井テストコースで、同社の77年度ワークス・マシンと、ヨーロッパGPレースに出場するライダーの陣容が発表された」とあり、この写真はその時のもの。他誌でも同じような写真が多数掲載された。