2004年型以降のYZR-M1のクランクシャフトはいわゆるクロスプレーンになっています。
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/yzr-m1/yzr-m1-fi.htm
上の記事の中で、URSという先例についても触れました。
このマシンに乗るヘルムート・ファトが1968年のサイドカー世界選手権を獲得しています。
ファトについて、ドイツ語のウィキペディアでは、
http://de.wikipedia.org/wiki/Helmut_Fath
でドイツ人となっていますが、日本語のウィキペディアでは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9
スイス人になっています。
ファトの生地のUrsenbachですが、Ursenbachといえばスイスの地名が有名なので、ライター氏はスイス人と勘違いしたのでしょうか。ドイツにもUrsenbachがありますが。
http://de.wikipedia.org/wiki/Ursenbach_(Schriesheim)
それにしても、日本語のウィキペディアの記事、URSが2ストロークのマシンになっています。こんな記事は迷惑以外の何物でもないです。
公開公正にタイトルの記事を追加しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei17.htm
発行されてから5年になりますね。間違いを指摘しても商売の邪魔にもならないでしょう。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/honda50year.htm
で指摘したのと同じような間違いがあることから、同一ライター氏が関わっているようにも思います。
この本ですが、貴重な写真が非常に多く、よく売れた(?)のも当然でしょう。このようなものを発行していただいたことは感謝しています。
ただ、いつものことながら 「後世畏るべし」ではなく「校正恐るべし」だと思います。
さて、今回指摘した1961年ドイツGP125ccで6位入賞したのは誰?
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei17-2.htm
ですが、結局、当時のホンダチーム自身の記録、スターティンググリッドの写真、公式記録そのもの(雑誌の記事ではなく)、ライダー自身の証言(記憶間違いがあるので、検証が必要)等々まで確認しないと、本当のところは分らないと思います。
一度、間違われると、ずっと間違われる見本だと思います。
1960年代のGPの決勝は何日かに分けて行われることがありました。マン島はその典型ですが、例えば1965年であればマン島以外でも、US、ドイツ、東ドイツ、日本が2日に分けて行われました。しかし、MOTO-GP公式サイト中の http://www.motogp.com/en/Results+Statistics
の記録では、このことが全く無視されており、マン島ですら、全クラス同一日に行われたことになっています。
この公式サイトには、これ以外にも誤りがありますが、残念なことに、多くの資料がMOTO-GPのサイトの記録をそのまま安易にコピーしているようです。
実はHonda Motorcycle Racing Legend vol.3(2009八重洲出版)の公開公正を作成していますが、この本にもMOTO-GP公式サイトと同じ誤りがあります。「おそらく間違えているだろう」という箇所を間違えていますので、分りやすいといえば分りやすいですね。
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/fumio/fumio-60.htm
の中の、ザールGPの日程、コース名、ホッケンハイムGPの日程が判明しましたので、加筆しました。