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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

バイカーズステーション誌の記事

今月号のバイカーズステーション誌に「1950年代のMVアグスタ125ccGPレーサー詳細写真集」という記事があります。で、69頁の記事ですが、

「~夢がかなって(125㏄)チャンピオンになったのは1952年だった。ところがこのころからドイツのNSUが力を増し、1953年はメーカータイトルを守ったものの1954年には両タイトルを奪われてしまう。しかし、MVは見事に巻き返に(原文ののまま)に成功し、1955~1960年まで125㏄クラスを守った」

 1955年にMVが125㏄タイトルを奪還できた原因は、「NSUがファクトリーマシンを撤退させたから」です。そして、1955~1960年のうち、1957年はライダータイトル、メーカータイトルいずれもFB-モンディアルに奪われています。

 
 

 ところで、今回紹介されたマシンですが、私はこの頃のレーサーについてあまり詳しくありません。ただ、68頁等の写真で、フレームのスイングアームピボット付近に「410」というフレーム番号のプレートが貼られていることがわかります。

 
 
 
 1983年に開館し1991年頃に閉館した「フジ・モーターミュージアム」に展示されていたマシンのフレーム番号も同じ「410」でしたし、外観もあまり差が認められないので、これらは同じマシンだと思います。

 
 また、69頁に「マリオ・コロンボの著書には」とありますが、この本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/MV-Agusta-Mario-Colombo/dp/8879113879

 私が購入したのは1992年ですが、気が向いたら確認します。
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漫画家の記事

バイカーズステーション誌に漫画家の「えのあきら」氏の連載記事があります。ちょっと古いですが、今月号の記事に

「(MVアグスタ)350㏄の6気筒は、強敵となった日本車に対抗すべく、多気筒化を試み、1968年に完成したマシ-ンでした。しかし、1969年に行われたレギュレーションの変更により350㏄は3気筒まで、と制限されてしまったため、レースに出場することなく消えた、幻のマシーンとなってしまいました」

とあります。
 
えのあきら氏は、350㏄の気筒数制限がされたのは1969年と思っています。そして、MVアグスタの350㏄4気筒レーサーが1971年の終盤に姿を現し、1972-74・76年に用いられたことも知らないのです(1972年は3気筒も用いられた)。3気筒に制限されているのなら4気筒がGPで走る訳はないですからね。

えのあきら氏は漫画家ですから、(原稿料をもらって書いた記事であっても)こんなもの、ということなのでしょうが、よく考えれば、この記事はえのあきら氏個人のブログに掲載されたのではなく、雑誌に掲載されたものですし、雑誌編集者がチェックすべきものです。
 「漫画家だからこんなもの」ではなく、「雑誌だからこんなもの」と言うべきですね。

カーグラフィック誌の記事

今月号のカーグラフィック誌に宮川秀之氏の回想記があります。

「オーストラリア人のジャック・フィンドレイが、スズキ500㏄を駆って1973年のマン島TTレースに優勝したことは、二輪のロードレース世界選手権(グランプリ=GP)500㏄における日本車の初勝利になった」

 1971年のアルスターGP500㏄クラスで、ジャック・フィンドレイがJADA-スズキに乗り優勝しています。このフレームは日本製ではないので、「日本車」ではないともいえますが、その次々のレース・スペインGP500㏄クラスでデイブ・シモンズがカワサキH1Rに乗り優勝しています。


「翌’74年シーズン、フィンドレイは~加えて750㏄フォーミュラにも参戦した。そこでも彼は抜群の速さで他を寄せ付けず、最後はスズキのマシーン同士のバトルとなって、英国スズキ・チームのバリー・シーンを抑えて優勝~」

 1974年、ヤマハTZ750が市販されたのですが、結局、このマシンはF750の出場資格を失いました。このため、F-750の各レースの主催者はTZ750ライダーのエントリーを確保するため、F750シリーズから外れることを選択、結局、F750シリーズとして行われたのは3レースにとどまりました。この年のチャンピオンはジョン・ドッズ(ヤマハTZ350)で、フィンドレイはスズキに乗りランキング3位でした。
 
 翌1975年、TZ750がF750出場資格を得ると、F750シリーズも9レースが開催され、スズキではなく、ヤマハTZ750に乗るフィンドレイがシーンを1点差(有効得点)で退けタイトルを手にしたのです。

 つまり、宮川氏の記憶は1974年と1975年がごちゃ混ぜになってしまっています。

 この様に、当事者であっても記憶はいい加減なものです。

スズキTR750Rの記事

先日公開したタイトルの記事
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei12.htm

ですが、別冊モーターサイクリスト2013-7の記事をよく読むと、「ライター氏は「XR20」を知らないわけではなく、1975年のレースを走ったスズキ750をXR20と勘違いしている」のだと思うようになりました。

 そのため、タイトルの記事を修正しています。まあ、当時の写真を全く確認せずに記事を書くのは、雑誌屋らしいといえばそうなのですが

ライディングスポーツの記事

RC211VのV角
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/92nsr/92nsr-fi.htm

の末尾に次の文を追加しました。

補足2 ライディングスポーツ2012-9の記述

 「このエンジンは2気筒同爆エンジンではあるが~68度-292度間隔で2気筒ずつが同時に爆発するため~NSR500のVバンク角が112度であることから、理論的には一次振動をゼロとすることができ、このため、1992年型ではバランサーシャフトが不要となり、3軸構成となったことで、エンジン単体での剛性と精度もアップされていた。」(58頁)

は、補足1-(2)と同様に、ライター氏が1992年型NSR500がバランサーシャフトなしに1次慣性力が完全に釣り合うと勘違いしたことによるのだろう。「3軸構成」は・・・「NSR500 ハイパー2スト・エンジンの探求」(つじ・つかさ、1995グランプリ出版)その他の出版物にバランサーシャフト(つまり4軸構成になる)のことが書かれているので、ライター氏の1次振動に関する誤った認識による想像の産物と思われる。


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