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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

スズキXR34M1とXR34M2(2)

 XR34Mは1980年第2戦スペインで登場しましたが、下は第3戦フランスGPでのマルコ・ルッキネリのXR34M。これを仮にA型としましょう。


 そして、これはシーズン後に雑誌の取材に供されたXR34M。これを仮にB型とします。


 後サスペンションのロッカーアームピボット付近を拡大すると、
A型


B型 

 ピボットから前に伸びるパイプがBにはありません。MOTOCOURSE 1980-81でイギリスGPで登場したとされるフレームに関する記述のとおりです。
 また、ロッカーアーム、クッションユニットも異なります。

 次にバックボーン部。

A型

B型


 略図で示すと
A型


B型


 ステアリングダンパーが取り付けられるパイプとシートレールパイプの位置関係が異なり、B型ではバックボーンパイプ前後でほぼ同じなのに対して、A型では段があります。
 また、略図上で白丸で示すフェアリングステー取付部の位置が異なります。
(続く)




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スズキXR34M1とXR34M2

 XR34は1980年型スズキRGB500の機種記号で、XR34Mはフルフローターサスペンション車です。

 私が
XR34 SUZUKI (ganriki.net)
を書いたのは2003年7月です。もう18年以上経ったのですね。
 この記事の中でXR34M1とXR34M2の区別について触れていますが、現存するXR34Mに関する他サイトの記事では私の解釈とは逆の説明になっています。


Q&A with Top Fuel Motorcycle Champion Ian King | Dragbike.com
あるイアン・キング所有のXR34はXR34M2とされています。


 こちらのXR34MもXR34M2とされています。
(20+) モトサイクレットサワダ - 投稿 | Facebook

 さて、XR34M1とXR34M2という名称を(おそらく)世界で初めて記述したTEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008の234頁のストリップ写真のマシンはXR34M2とされています。

 私にはこれらのマシンは何れもXR34M1に見えます。

  そしてこちらのXR34はXR34M1とされていますが、私にはXR34M2に見えます。

British GP and Senior TT winning XR34 Suzuki | MCNews

 そこで
XR34 SUZUKI (ganriki.net)
を補足する意味でXR34M1とXR34M2の区別について詳しく触れます。

  まず、TEAM SUZUKIの記述を紹介します。

The first monoshock Suzuki was the XR34M1, first raced in Spain but quickly superseded by the later XR34M2.

  では、XR34M2はいつ登場したのでしょうか?

 MOTOCOURSE 1980-81では、500㏄第2戦スペインで登場したモノショックのフレームとは別の新型のモノショックのフレームがイギリスGPで登場したことが書かれています。

 He(注 Mamola) had a new machine for Silverstone~. The new frame for his RG500 Suzuki was slightly lighter as it had two less tubes supporting the rocker arm pivot. More importantly, it had a slightly revised leverage ratio endowed the rear suspension with better rising rate characteristics.

  これらの記述からすると、イギリスGPで登場したのがXR34M2と考えられます。
(続く)



ヤマハRD05Aが1971年シンガポールGPで走った?

 ヤマハのメカニック(だった)斎藤静生さんへの取材だそうです。

YOSHIMURA NobuyaさんはTwitterを使っています 「@FeliceAki それです。藤原選手のYZR500押してる御大の写真を見て、そういば斎藤さん「初の海外レースは本橋さんのRD05A担当だった」と仰しゃってたな…と思って、う~んと前にもらったメモを読み返したら『1971年シンガポールGPにて長谷川R、本橋R参戦:海外レース初出張』と書いてあったというわけです。」 / Twitter

 ホンダは1967年を最後に世界GPから撤退しましたし、ヤマハもRD05Aを世界GPで走らせたのは1968年が最後です。既に1970年から250㏄世界GPが2気筒・6段変速に制限されることが決まっており、RD05Aの開発は遅くとも1968年シーズン終了時点で終了していたはずです。

 RD05Aは1969年4月のシンガポールGPを走っていますが、その後、1971年シンガポールGPまでレースを走らなかったとするなら、1971年シンガポールGPまで2年間もブランクがあったことになります。

 1969~70年の2シーズン、空冷2気筒市販レーサーTR2(350cc)・TD2(250cc)が十分な実績を示していたにも関わらず、2年間、レースはもちろんヤマハテストコースを走ることがなかったであろうRD05Aをメンテナンスして1971年シンガポールGPのために走らせる必要性があったのでしょうか?RD05Aの出力がTR2を上回るとはいえ。

 それとも2年間、RD05Aのメンテナンスとテストを継続していたのでしょうか? 何のために?

 
 RACERS Volume 02(2010三栄書房)では斉藤さんについて次のように書かれています。

「入社3年目の’67年から研究2課に所属し、RD05A、RA97を皮切りに、YZR500/250の実験と実戦の両方でメカニックを務め~」

 1971年シンガポールGPが斉藤さんの初海外出張とするなら、研究2課所属5年目ということになりますが、すこし遅すぎるように思います。

 こちらはシンガポールのナショナルアーカイブにアップされている1971年シンガーポールGの写真
Track photographers at the Singapore Grand Prix 1971 at … (nas.gov.sg)

Start of the motorcycle race during the Singapore Grand Prix … (nas.gov.sg)

 ゼッケン10は優勝したジェフ・ペリー(スズキTR500(XR05))。

 ゼッケン20はTR2です。空冷冷却フィンが見えます。
Motorcyclists preparing to ride their motorcycles before the … (nas.gov.sg)

 ゼッケン77もTR2です。
A motorcyclist preparing to ride his motorcycle before the … (nas.gov.sg)

  ゼッケン105の大きな写真はないようですが、これもTR2のように見えます。

 これらの写真のレースは、TR500が走っていることからオープンクラスのようですが、これとは別に250㏄クラスでRD05Aが走ったのでしょうか?TD2が1970年250cc世界GPチャンピオンマシンになった翌年に、なぜRD05Aを走らせる必要がある?

 これらのことから「1971年シンガポールGP」のメモは誤りの可能性が十分あると思います。

 さて、
RD05A YAMAHA (ganriki.net)

 では、1968、1969年シンガポールGPのことについて触れていなかったので、これを加筆しました。
 また、現存する1968年型RD05Aを「1967年製作」とするネット記事、雑誌記事がありますので、これについての私の意見も加筆しています。



 

ヤマハ0W82(1985-86年型YZR250)

YZR250-86 OW82 (ganriki.net)
を公開しました。7~8月にブログで書いた内容をまとめたものです。1985年の記事が増えていますので、ご覧ください。

1974年型0W16

 1974年、250ccのヤマハ0W17は姿を見せず、350ccの0W16がジャコモ・アゴスチーニ、Teuvo Länsivuoriに与えられました。この2人、500㏄クラスとのダブルエントリーです。
 
 1974年350㏄第1戦フランスのみ前年のチャンピオンマシン・MVアグスタ4ストローク4気筒が出場しましたが、第2戦ドイツはトップライダーがボイコットし、MVは第3戦オーストリア以降姿を見せなくなりました。
 そんな訳でアゴスチーニは350㏄クラス全10戦中フランス、オーストリア、イタリア、オランダ、ユーゴスラビアと5勝(入賞したのはこの5勝のみ)しタイトルを手にし、Länsivuoriは1勝(スエーデン)したものの、他に入賞したのは第1戦の2位だけでランキング6位に留まりました。
 1974年型0W16は前年型の前後ドラムブレーキから前輪のみディスクブレーキになったことが目を引きます。基本はシングルディスクで、 Länsivuoriの0W16はツインディスクが基本だったようです。
 これは第1戦フランスでのアゴスチーニと0W16。

 後クッションユニットはチェリアーニ製のようです。前フォークは一見チェリアーニ製ですが、チェリアーニ製に似せただけのようです。

 その他のレースで、アゴスチーニは後クッションユニットに引き続きチェリアーニ製を用いたようです。
  Länsivuoriの0W16のサスペンションは基本的に0W16本来のものでした。
 

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