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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(9)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

 に次の画像を追加しました。フーゲンホルツ修正案と最終形を対比したものです。


 上のフーゲンホルツ修正案に最終形のコースが薄く見えますが、メインストレート、スプーンカーブ、西ストレート、最終コーナーの位置が異なります。そしてS字カーブのカーブ数が異なる(4→3)のをはじめ、各カーブの形、曲率が変更され「よく似たサーキット」になりました。
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鈴鹿サーキットの設計者は誰?(7)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の終わりを修正しました。


(5)文献1・22頁「この図では第5案をもって最終とされているが実はその後もあるのである」
  「第5案」とは1のコース図のE、6であるが、完成後の鈴鹿サーキットとどこが異なるのかよく分らない。

(5)文献1・22頁「この図では第5案をもって最終とされているが実はその後もあるのである」
  「第5案」とは1のコース図のE、6であるが、鈴鹿サーキット開業頃に公開されたコース図(下)とどこが異なるのか分らない。


鈴鹿サーキットの設計者は誰?(6)


 Honda C72, C77, C114 and CB72 – ホンダ広告アーカイブ (4-stroke.nl) 

 1961年マン島TT125㏄で優勝したマイク・ヘイルウッドの写真がありますので、1961年後半のものではないかと思われます。

 この時点でHET MOTORPALEIS(ロッテルダム)とRAMO(エイントホーフェン)がオランダのホンダ輸入元でした。

 1960年オランダGP(6月)でヒューベルツがホンダ250㏄4気筒(RC161)に乗りましたが、これはHet MotorpaleisのHans Moerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたとされています。


 これはMoerkerkが

〇ホンダからいいライダーを紹介するよう依頼された
あるいは
〇ヒューベルツに250㏄4気筒を与えるようホンダに依頼した

のどちらかでしょう。1960年6月時点でMoerkerkのHet Motorpaleisがホンダ輸入元なら、これぐらいのことは当然だったと思います。









鈴鹿サーキットの設計者は誰?(5)(加筆あり)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の「3 中島のその他の記事について」の「(1)検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?|Takahiko Nakajima (note.com)

 に次の記事を追加し、(2)も修正しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「結果2 モーカルクというファミリーネームはオランダには存在しない」(MOCALC、MOHKARUC、MOUKALCなどを照会した結果)
「~「モーカルク氏」について(中島の)オランダの友人は誰ひとりとしてそのファミリーネームをオランダ国内で聞いたことがないというのである。すべてが捏造の疑いがあるのである」(文献1・18頁)

 「~オランダのロッテルダムでホンダ販売店「ヘッド・モト・パリス」のモーカルク氏の紹介により塩崎氏らはジョン・フーゲンホルツ氏と知り合ったという話」に対する検証結果と、それを元にした捏造疑惑だが、中島の調査方法で得られた結果1が誤りだったことから、結果2の価値も低い。そもそも「モーカルク」はカタカナなのでオランダに存在しないのは当然であり、結果2の正しい結論は「MOCALC、MOHKARUC、MOUKALC等というファミリーネームはオランダには存在しない可能性がある」である。

 ヘッド・モト・パリスはHet Motorpaleis、モーカルクはHans Moerkerkである。1960年オランダGP250㏄クラス(6月)でヤン・ヒューベルツがホンダ4気筒に乗り7位となったが、これはMoerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたことによるもので、1960年6月時点でのMoerkerkとホンダとの深い関係を示している。出典Kjmv clubdag hmr134 by Peter van der Zon - Issuu(写真は1961年以降のもの)

  Het Motorpaleisは後にヤマハ輸入元になったが、写真(リンク)がMoerkerkと思われる。




鈴鹿サーキットの設計者は誰?(4)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の続きを追加しました。

 オランダのホンダ販売店の件は前にブログ
JFRMCブログ 鈴鹿サーキットの設計者は誰? (tou3.com)
で書いた内容とほぼ同じです。

 前にも書きましたが「サーキットの設計」とは何なのか? が整理されないままの論争は不毛です。そして、中島氏のウェブサイトにある
ジョン・フーゲンホルツ氏が鈴鹿サーキットの設計者である証拠リスト (takahikonakajima.com)

の「誰々が鈴鹿サーキットの設計者はフーゲンホルツと書いた」云云に大した意味はありません。「誰々はなぜそのような判断をしたのか」が大事です。




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