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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

川崎航空機明石工場の航空機エンジン生産数

 括弧内は設計社です。ハー40、140はダイムラーベンツDB601のライセンス生産です。


ハ-13甲 400台 (東京瓦斯電気工業)
ハ-25 1708台 (中島飛行機)
ハ-40 3315台
ハ-140 199台
ハ-115-1 3714台 (中島飛行機)
ハ-115-2 1797台 (中島飛行機)
計   11133台

出典は「明石工場50年史」(川崎重工業株式会社明石工場 1990.10.15)。

ハ-25、115は一式戦闘機のエンジンとしても有名ですが、川崎が生産した飛行機では
一式貨物輸送機(明石)
99式双発軽爆撃機(岐阜?)
にこれらのエンジンが装着されましたので、川崎生産エンジンの多くは自社生産飛行機用だと思われますが、この2機(飛行機)の生産数からすると他社の飛行機に装着されたエンジンもあるのでしょうか?



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四国自動車博物館

に行ってきました。四輪中心で、これはフェラーリ・ディーノ206S。

 かつてはポルシェ910も展示されていましたが、今はありません。

 で、私の目当ては1976年型RCB1000。

 フレーム番号RCB750F-1402です。数年前に息子がこの博物館に行ったのでフレーム番号は知っていましたが、48年前のレーシングマシンを実際に見られてよかったです。


ウエブサイトはこちら。
四国自動車博物館【公式ホームページ】|ラブモタ!高知 (vistanet.co.jp)

中国製の電動モペット(モペッド)の事故

「モペット」のハンドル根元が折れて転倒、顔面骨折した女性が製造販売元に損害賠償請求へ (msn.com)


「女性は読売新聞の取材に「日本企業の製品だから安心していたのに、裏切られた思い。同じような事故を二度と繰り返さないでほしい」と話した。」


 日本製ではありません。中国製です。

 2020年11月に新型GFR-02を発表しています。
glafitがフルモデルチェンジした「ハイブリッドバイクGFR-02」を発表 | glafit公式|公道走行可能な電動バイク・電動キックボードメーカー

 が、読売新聞記事では購入は2020年5月ですから、購入モデルはGFR-01で、このモデルは中国製です。
【GFR-01】glafitバイクGFR-01の生産国はどこですか? – glafit


 事故に関するグラフィット社のプレスリリース。
GFR-01のハンドルポスト破損に関する報道について | glafit公式|公道走行可能な電動バイク・電動キックボードメーカー

 では
「原因解明には至っていません」
「それでも事態を重く受け止め、ハンドルポスト自体の構造を変更するなどの対策を講じており、その後現在に至るまで同様の破損事例の報告はありません。」

 「原因不明ですが対策を講じた」と理解しました。

 この会社、ヤマハ発動機も資本参加しているようです。
【独占】世界のヤマハが社員8人の電動バイクベンチャーに「1億円」出資した理由 | Business Insider Japan








エチレングリコールによる液冷エンジン

naga on X: "液冷って本来は略100%のエチレングリコールを示してます これだと1気圧で沸点が水の略倍まで許容することが出来るのですが比熱が約6割くらいなので許容温度の差で熱奪うんです所謂高温冷却に当たります 比熱低いので冷めやすいですのでラジエターの小型化が出来速度向上が見込めていたんですが… https://t.co/B3az0FIShA" / X (twitter.com)


naga on X: "上手く表現出来て無いんだけど 例えば水の比熱を1、毎分100ℓ流した時の温度差が入口80出口100の時の温度差20なので奪った熱量を100×20で2000とした場合 Eグリコールが比熱0.6とした場合は同じ量流すなら入口80の時出口は113度であれば同じ熱量奪った事になるやん そういう事よ(何がw" / X (twitter.com)


  4ストロークガソリンエンジンの冷却で重要なのはシリンダーヘッド、特に点火プラグ、排気ポート周辺で、その部分を如何に冷やして金属部分の温度を適正に保つかが課題です。エンジンの温度管理は水温、油温で行われることが普通ですが、これらは測定しやすいからであって、金属部品の温度といつも相関があるわけではありません。

 冷却媒体として水ではなく比熱の小さいエチレングリコールを用いると、エンジンの冷却液入口と出口の温度差が大きくなるのはそのとおりだと思いますが、エンジンの金属部分から奪われる熱量(時間当たり)が減少し金属部分の温度が高くなってしまうのが大きな問題だと考えます。








パット・ヘネン

が亡くなりました。

Remembering Pat Hennen (motogp.com)

 1976年500㏄フィンランドGPで優勝し「500㏄クラス初のアメリカ人勝者」とされます。もちろん、それは正しいのですが、500㏄どころか全クラス通じて初のアメリカ人勝者です。
 
 ヘネンが世界GPに参戦するまで、ヨーロッパ中心の世界GPとアメリカ国内レースは隔絶した関係にあったといえるでしょう。そして1977年にはスティーブ・ベーカー、1978年にはケニー・ロバーツが世界GPに本格参戦します。


 その1978年、500㏄第5戦イタリアを終えた時点でロバーツ3勝57点、ヘネン1勝51点、バリー・シーン1勝47点でした。そしてシーズン後半にはロバーツが慣れていない公道サーキットのGPが2つあること等を考慮すれば、ヘネンのタイトル獲得の可能性は十分あったのです。

 そして、第6戦オランダの前、マン島TTレース500㏄クラスに出場します。前年(1977年)、ヘネンはスズキ1977年型XR14(1977年型RG500・2ストローク500㏄スクエア4気筒)に乗り5 位でしたが、1978年はアメリカ人初のマン島TT優勝を狙ったのでしょうか。

 レースはトム・ヘロン(市販スズキRG500)とヘネン(XR22(RGA500))の一騎打ちになります。ヘネンがゼッケン3、ヘロンはゼッケン8,つまりヘネンが20秒先にスタートしており(タイムレース)、二人は互いに相手をほとんど見ずに争いました。

 60.725km6周のレース、ヘロンがリードを続けますが、ヘネンも(タイム上)追い上げ5周目にはTTレース史上初めて20分を切る19分53.2秒を記録します。そして最終ラップの半ば、ビショップスコートでクラッシュ、重傷を負い、レース界から去ることになりました。

 それから12年後、500㏄US-GPでケビン・シュワンツが転倒した場面の写真にヘネンが写っており、元気な姿を見せてくれたことにほっとしたことを思い出します(シュワンツには申し訳ないですが)。


 左端を拡大。


 それから34年後、70歳で去りました。



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