レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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あちこちで報道されていますね。
私の大学時代、大抵の実習は保護眼鏡着用が必須でした。普通の事故は起こそうと思って起きるのではありません。どんな物質であっても、ちょっとした人間の動きで飛沫、粉末が飛散し、目に入り負傷することがあるのです。
35年程前、実験室で濃硫酸を扱っていたときにこれを体験して眼鏡の効果を確認しました。ただ、頬に濃硫酸飛沫が付着したので流し台ですぐ洗顔しましたが、水がない場所だったらどうなったか。
結論 人がいる場所に濃硫酸が漏れるのは危険な状態です。
化学に詳しいはずの人がXで「危険の意味が一般人と違う」などと発言しているのは如何かと思います。
ICSC 0362 - 硫酸 (濃度51%以上100%未満) (ilo.org)
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Books&Cafeドレッドノート/株式会社鈴木商会 on X: "私の場合…昔話しで恐縮ですが、大使館にお手紙を書いて、「戦争関係の本を買いたいのですが、専門店を紹介してください」、するとかくかくしかじかの店が良いとお返事が来ます。 その紹介してくれたお店へお手紙でカタログを請求します。…" / X (twitter.com)
今はネットでクレジットカードで購入しています。例えばアマゾンでしたら日本、イギリス、アメリカのアマゾンをチェックして一番安いところから買っています。海外の方が航空便代込みでも安いことがあるのです。
1970年代~1995年ぐらいまではイギリスの本屋から購入していました。最初、丸善でイギリスのバイク雑誌を1冊購入し、広告欄(個人の「売りたし」~商店の広告まで)に小さく載っていた本屋に手紙を書いてカタログを送ってもらいました。
広告には「カタログ所望の方はsend SAE※」とあって、何のことか分からなかったので、取り合えず、礼儀として交換返信切手券1枚同封。
そして航空便で送られてきたカタログを見て注文、送金は初めは郵便為替で行いましたが・・・
ところで、味を占めてマン島の店からあるものを買うことにしたのですが、郵便為替は(マン島はイギリスではないので)使えませんでしたので、銀行送金になり手数料が高くつきました。改めてマン島が特別な存在だということを再認識した次第です。
当時、航空便は高かったのでいつも船便を利用しましたが、イギリス→日本は2か月~2.5か月程度要した記憶です。
※SAE stamped addressed envelope 切手を貼った返信用封筒
ミシュランのバイク用タイヤの歴史|2輪用ラジアルタイヤの時代を切り拓いたフランスの名門 (autoby.jp)
「1973年6月8日、マン島TT 500ccクラスで優勝したミシュランユーザーのジャック フィンドレー(スズキ)。」
この写真のマシンはスズキTR500Ⅱ(1973年型XR05)ではなく、1973年型TR750(1973年型XR11)です。横ゼッケンの地色が黄色ではなく白色なのですぐ分りますが、フェアリングの形も500とはかなり異なります。
正しい写真はこちら。
Sale of Suzuki TR 500 (XR 05), 1973 | Classic Motorbikes (classic-motorbikes.com)
「同年 ミシュランはPZ レンジのタイヤを発売したのだが、このタイヤは一般のタイヤショップで購入できる製品にも関わらず、レース専用タイヤ並みのポテンシャルを有していた。丸みのあるPZ のプロファイルは大きい接地面積を稼ぎ、強いグリップを確保することが出来たのである。」
当時のミシュランのレース用タイヤは、一般市販車用タイヤと同じ外観でした。 M38、S41、M45の3種です。他に存在したかどうかは知りません。上写真のマシンの前輪はS41です。
しかし、一般市販車用タイヤがレースでそのまま用いられマン島TTで優勝したのではありません。というか、そんなことある訳がないでしょう。
レース用タイヤでは当然、コンパウンドが一般市販車用とは異なります。このレース用タイヤが(PZではなく)PZ2と称されていました。前述のように3種類のパターンがありますので、これらを区別するときは「M45 PZ2」とされていた記憶です。
では、PZ2が登場したのは「同年(1973年)」なのでしょうか?(続く)
参考 ミシュラン技術者の回顧
Dupasquier, 67, first joined Michelin in the early 60s and became fully involved in the company's race efforts in '73, just before Charade was struck from the GP calendar.
"It was an absolutely marvellous circuit, like a mini Nurburging," he recalls. "It was in the hills, so it was uphill, downhill, blind crests, amazing, but also very dangerous. I remember the last few GPs there, giving our new PZ2 tyres to Christian Bourgeois, who was one of the first riders to start going really fast with our tyres. The PZ was just a road tyre, the PZ2 was the same tyre with a softer compound for racing. But these were the tyres that started us on the road to the success that we enjoy today."
French GP: Michelin preview (motorsport.com)
メリージェーン on Twitter: "この動画を観た感想が「暴力性高そう」なのが悲しいね プロのテニスプレイヤーは1試合1試合の重みが違うし、個人競技で流れが掴めない時のストレスは本当にキツいと思う 短い時間で気持ちをリセットするにはラケット破壊or叫ぶくらいしか無いんじゃないかな" / Twitter
という意見もありますが、私は下の意見と同じです。
naga on Twitter: "プロの人だったらラケットとかスポンサーに付いてくれてる場合あると思うけど、スポンサー企業のモノをぶっ壊すこと自体がアレと言うかモノに当たるのって人として恥ずかしいって思うけど" / Twitter
プロ野球でも打てなかった打者がバットを折ったり、ノックアウトされた投手がグラブを叩きつけたりするのも、精魂込めて用具を製作した方への侮辱だと思います。
1980年代、全日本選手権時代の日本GP(最終戦)でした。
国際A級のレースでファクトリーマシンを与えられたライダー(タイトル争い中)が、接戦で最終コーナーのシケインで他車と接触して転倒、すぐにマシンを起こしたのですが、走れる状態でないことが分ったのか、そのままマシンを投げ捨てるかのようにして歩き出したことがありました。
その光景は今でも記憶に残っています。
で、検索してもほとんど記事が出てきませんね。
「輪乗り」は、かつて鈴鹿サーキットでの二輪レースでのウォームアップの方法です。ホームストレートの中央部分500m程度の区間を使用するのですが、その両端のコース幅中央にポールを立てて、ライダー+マシンが直線を走り、ポールで折り返して回るのです。
ゆっくりウォームアップしながら走ったり、加速して減速したり、あるいはコースの端(幅方向)に停車してエンジンウォームアップ(調整)に徹したり・・・
これが危険だという声が出たのと、他のサーキットではやっていない、海外でも例が少ないということで、行われなくなった記憶です。外国のライダーのエントリーが多くなったころと記憶しています。1981年ごろでしょうか?
で、
VIDEO
を見ていると、かつてのマン島TTレースでも輪乗りをしていますね。1分40秒辺りから。コース幅が狭いので折り返しに苦労しています。
当時、ヨーロッパの他のGPではどうだったのかわかりませんが、公道サーキットが多く、十分な施設がないことが多かったでしょうから、マン島以外でも輪乗りをしていたかもしれません。
ですから、1962年に開業した鈴鹿で輪乗りが行われていたのは不思議ではないと思います。