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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

NR750等の出力・トルク曲線

 前回書いたように、先月26日に発売されたRACERS外伝Vol.04中のNR750(NZ0B)と86-87年のRVF750(NW1C)の出力曲線、「ホンダNRストーリー」(山海堂1992)に掲載されたNR750(おそらくNZ0A)の出力曲線の数値を読み取り、これら3機種の出力曲線を再現してみました。
 なお、
RACERS外伝には縦軸の目盛に数字が入っていません。該当2機種の縦軸数値は私が勝手に推定しました。

 まず出力曲線。横軸はrpm/100、縦軸がPS。


 そして、トルク曲線。横軸はrpm/100、縦軸がkgf・m。


 NR750を語る言葉として「ワイドパワーバンド」があります。確かに上のトルク曲線ではパワーバンドがRVF750より広いように見えます。

 しかし、最高回転数が異なるエンジンのパワーバンドの広さを回転数の幅だけで比較することは無意味です。例えば最高速度200㎞(6速時、パワーバンド上限時)の2種のマシンA、Bのエンジンを次のとおり想定してみます。

エンジンA  排気量250㏄ 50PS パワーバンドの幅 15000~10000rpm
エンジンB  排気量400㏄ 50PS パワーバンドの幅 10000~6000rpm

 パワーバンドの幅だけ見れば、Aが5000rpm、Bが4000rpmですので、Aの方がワイドパワーバンドです。しかし、6速を維持したままパワーバンドがカバーする走行速度は

A 200~133km/h
B 200~120km/h

になりますので、Bのエンジンの方が幅広い速度域に対応できる「ワイドパワーバンドです。比較すべきはパワーバンドの回転数ではなく、パワーバンドの上限回転数に対する下限回転数の比率で、

エンジンA 10000/15000=0.667→0.333
エンジンB   6000/10000=0.6→0.4

とパワーバンド回転数比はBの方が大きいことが明確に示されます。



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ホンダNR750等の出力曲線


 先月26日に発売されたRACERS外伝Vol.04にNR750(NZ0B)と86-87年のRVF750(NW1C)の出力曲線が掲載されていました。
 NR750レーサーの出力曲線としては、「ホンダNRストーリー」(山海堂1992)に掲載されたものがありましたが、この「NR750」はRACERS外伝からするとNZ0Aのようです。

 で、各出力曲線から数値を読み取り、これら3機種の出力曲線を再現してみました。若干、入力ミスがありますので、ここから修正します。


 入力したデータをもとに、いろいろ考えてみたいと思います。
 なお、RACERS外伝には縦軸の出力目盛に数字が入っていません。該当2機種の回転数毎の出力は私が勝手に推定しました。




同時点火化による出力低下(2)

 ホンダNSR500について見てみましょう。写真は1992年以降のNSR500エンジンです。

 シリンダーヘッドの数字が気筒番号で、キャブレターの数字が各吸気口が対応する気筒番号です。ヤマハとは番号の付け方が異なります。
 2-3気筒間から動力を取り出すので、キャブレターも2-3気筒間が少し離れています。

 1990~91年の180度間隔2気筒同時点火の場合、1-2、3-4番気筒がそれぞれ同時点火で、同時点火のキャブレター吸気口が隣接しています。
 
 1992年に登場した68-292度間隔2気筒同時点火の場合、1-3、2-4番気筒がそれぞれ同時点火ですので、同時点火のキャブレター吸気口は隣接していません。しかし、1-2間、3-4間の位相差は68度に過ぎないため、同時点火ほどではないにしろ吸気を奪い合うことになります。

 1997年に登場した「スクリーマー」は点火間隔は180度で、1-4、2-3番気筒がそれぞれ同時点火のようです(参考(リンク))。この場合、同時点火で隣接する吸気口は2-3のみになります。

同時点火化による出力低下

 よく「等間隔点火(等間隔爆発)から同時点火(同時爆発)に変更すると出力が低下する」と言われています。ホンダWGP参戦50周年記念冊子(PDF)中、1990年型NSR500について

「各気筒の点火タイミングを90°ずつずらした、それまでの「90°等爆」から、2気筒ワンセットで180°ずらした「180°同爆」にすると、エンジンの出力ではやや不利になるが~」

とあります。

 4ストローク直列4気筒エンジンで同時点火(同時着火)にすると、普通の4-1、4-2-1排気管では排気干渉してしまうので、これらの排気管を用いることはできず、出力面で不利になります。しかし、2ストロークエンジンの排気管は気筒毎に独立していますので、このようなことはありません。

 ひょっとしたら、トルク変動が大きい方が出力が少なめになると考える方がいるかもしれません。しかし、V型2気筒より滑らかな回転と一般に思われる直列4気筒は、高回転時の慣性力によるトルク変動が非常に大きいのですが(こちらを参照)、2リッター直列4気筒エンジンが3リッター直列6気筒エンジンよりトルク変動が大きく、出力が後者の2/3を大きく下回るなんて聞いたことはありません。

 なぜ、2ストロークエンジンを同時点火にすると出力低下するかといえば、それは吸気系の問題だと考えます。

 これはヤマハ0W70(1983年型YZR500)エンジンです。

  シリンダーヘッドの数字が気筒番号です。1・2気筒に対して3・4気筒は右(向かって左)にずれています。1-4、2-3がそれぞれ同時点火で、点火間隔は180度です。
 キャブレターは2気筒用一体で、スロットルバルブが収まる部分に対応する気筒番号を白数字で記入しています。そして、青線、黄線で結んだキャブレターがそれぞれ同時点火気筒に対応します。

 これで分るように、2-3気筒のキャブレター吸気口が隣接しており、その周囲の空気を2つの吸気口が同時に奪い合うことになります。また、キャブレターのベルマウス部が隣接する部分は、ベルマウスの効果も少なくなります。


 さらに1992年シーズン後半以降、ヤマハ500㏄4気筒エンジンは90-270度間隔点火になりますが、1-3、2-4番気筒が各々同時点火と思われます。いずれも同時点火の吸気口が隣接するので、180度間隔同時点火より吸気への悪影響が大きくなります。

ケニー・ロバーツのGP出場数(2)

 前回、ロバーツの500ccクラス出場レースを整理したので、続いて250ccクラス。

 ケニー・ロバーツは1974年250ccオランダGPに出場、3位入賞したことが知られていますが、問題は1978年の250ccクラスです。この1978年、ロバーツは世界GPでは250ccと500ccに出場、F750世界選手権にも出場し、3つのタイトル獲得の構えでした。

 250ccクラスは全12戦で、入賞したのは250cc第1戦ベネズエラ(優勝)、第2戦スペイン(2位)、第3戦フランス(2位)、第5戦オランダ(優勝)です。ですから得点ランキング表だけみても4戦に出場したことがわかります。
 なお、MOTOGPの公式サイト(リンク)ではこの4戦のみ参戦として記載されています。

 無得点だったレースの結果について、MOTOCOURSE1978-79、ライダースクラブ誌(当時)の記述等をたよりに整理しますと

第4戦イタリア
 プラクティス 1位 レース リタイア(焼付き)

第6戦ベルギー
 プラクティス 7位 レース リタイア(焼付き)


第7戦スエーデン
 プラクティス 順位不明  レース 欠場

第8戦フィンランド
 プラクティス 4位 レース リタイア(ミスファイア)

第9戦イギリス
 プラクティス 2位 

第10戦 ドイツ
 プラクティス 5位

第11戦チェコスロバキア 
 欠場

第12戦ユーゴスラビア 
 欠場

 第8戦スエーデンGPでのロバーツについて、ライダースクラブ誌1978-10では「金曜日のプラクティスでめずらしくクラッシュしてしまったスーパー・アメリカン、ケニーロバーツ。かなりのダメージを小さな体に受け、さしものロバーツも250はあきらめ、500になんとか賭けたが7位を得るだけが精いっぱいであった」とあり、250㏄は欠場したことが書かれています。

 また、第8戦フィンランドについて、MOTOCOURSE1978-79では

  Roberts, with a theoretical chance of taking the championship and still in need of circuit knowledge, started brightly and held third place until a misfire put him out of the race and the championship.

とあり、レースに出場しました。
 
 フィンランドGP終了時点でランキング1位はコーク・バリントン(カワサキ 84点)、2位はグレッグ・ハンスフォード(カワサキ 79点)で、ロバーツはランキング3位(54点)でした。残り4戦ロバーツが2人に追い越すためには、2人がそれぞれ1~2回無得点にならないと困難な状況になっていました。
 
 一方、500㏄クラスでは僅差でランキング首位に立っていたので、500㏄クラスに集中することになりましたが、ロバーツにとって初めて走るコースが多く、プラクティスだけは250㏄マシンを走らせコース習熟を行ったとされています。

 
 年間ランキング表からすると、それはベルギーGP以降のように思われるかもしれませんが、イギリスGP以降と思われます。


 というわけで、ロバーツは250ccクラスについて、1974年は1戦、1978年は7戦出場し、500ccクラスの59戦と合わせて67戦出場、というのが現時点での私の考えです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
 1978年250ccクラスのランキングです。最終ランキング3位のフェルナンデスは終盤のロバーツ欠場で最終的にロバーツを1点上回っただけなので、ここでは記載していません。

  1V 2E 3F 4I 5N 6B 7S 8Fin 9GB 10D 11Cz 12Y
Ballington  6 14 24 39 51 57 69 84 99 114 124
Hansford   15 30 42 52 67 79 91 103 118
Roberts 15 27 39 54

 ロバーツは第6戦ベルギーでリタイアしたものの、ライバルも上位入賞できなかったために、バリントンに3点差のランキング2位でした。第7戦スエーデンを欠場しても首位に15点差のランキング3位で、残り5戦で逆転の可能性は十分ありました。そして第8戦フィンランドのリタイアで、250ccタイトル獲得の可能性が非常に低くなったのです。

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