レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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15日まで無料で見られます。
汚れた英雄 | 映画 | 無料動画GYAO! (yahoo.co.jp)
40年程前、テレビ放送で初めて見ました。ストーリーははっきり言ってどうでもよくて、レースシーンだけが記憶に残りました。主役は草刈正雄ですが、本当の主役は平忠彦、ヤマハTZ500H、TZ500Jです。
助演は木下恵司、ヤマハ0W53、0W60のようですね。
マシンの詳細については後で書くことにします。
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masaoazumax on Twitter: "全日本MX 名阪大会 IA1クラスは下田丈が圧倒的な速さで優勝したのは凄かったけど、表彰台の下田丈を見ようと真ん前に陣取ってた大勢のMXファン達から、この状況に失望と文句の声がいっぱい聞こえてきた https://t.co/nD3PP03MS0" / Twitter
全日本選手権ロードレースのスターティンググリッドも似たようなものだったと思います。
チーム、スポンサーの大きなノボリが乱立して、肝心のライダー、マシンがよく見えません。
私のスポンサーへの反感を増大するのに大きな役割を果たしたを想います。
表彰式に較べれば大したことはありませんが。
2006年の菅生。最近の状況は違うかもしれません。

スズキにヤマハ、かつてはホンダも…静岡はなぜバイク大国? (msn.com)
「楽器メーカーとして創業したヤマハが、バイクを手掛けるようになったのは1955年と、ホンダやスズキに比べると後発です。当初は、稼働の少なかった楽器工場の有効活用が目的であったとされています」
「スズキは織機の製造を、ヤマハは楽器の製造から派生しており、それぞれが行っていた既存の事業のノウハウが、バイクの製造へと役立てられたということのようです」
誤りです
日本楽器(ヤマハ)は木工加工技術を生かして木製プロペラを製造するようになり、さらには金属製プロペラを製造しました。そして、太平洋戦争末期、プロペラ製造施設を新設の佐久良工場に疎開させましたが、戦後、米軍管理下に置かれます。
そして、その工作機械がヤマハに返還されたのですが、ピアノ等の製造に使えるものはなく、その活用法としてバイクの製造に乗り出すことになったのです。「楽器製造工場の活用」ではなく「プロペラ製造施設の活用」です。
ヤマハ発動機のウエブサイト中の
やまももの木は知っている ヤマハ発動機創立時代のうらばなし | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では次のように書かれています。
「プロペラ用工作機械は佐久良工場へ運び出されていたために、ほとんど戦火にあわずに済んだ」
「昭和22年(1947年)にはピアノの生産も再開され、昭和25年9月15日には日本楽器の経営は川上嘉市社長から川上源一社長に継がれ、一つの転機を迎えることになった私も昭和27年11月に技術部の能率課長を命ぜられ、川上源一社長の工場近代化方針に基づき、家内工業的生産方式からの脱皮をはかるための仕事に参加させて頂くことになった。」
「そのころ佐久良工場において、賠償指定を受け整備保管されていた工作機械が、平和産業のためなら使用してよいということになって賠償指定は解除された。これらの工作機械は、当時の日本楽器の仕事の内容からするとほとんど使いみちはなく、何か活用の道はないだろうかと川上社長も頭を痛められていた様子であった」
なお、ヤマハのウエブサイト中の記事の全体の目次は
やまももの木は知っている ヤマハ発動機創立時代のうらばなし | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
です。この記事の元資料はヤマハ発動機創立25年記念誌です。
ヤマハ発動機創立の原点 挑戦 ヤマハ発動機創立の原点 挑戦 [BBqRQmU] - (ontoile.xyz)

について、こちら
RC147 HONDA (ganriki.net)
で書いています。
前から漫画「ジャジャ」(えのあきら、月刊サンデージェネックス2000/10~)でRC147が取り上げられていることは知っていましたが、こちらで無料で見ることができます。
コレクション 3 (2)|ジャジャ(えのあきら)|ピッコマ (piccoma.com) (前編)
コレクション 4 (1)|ジャジャ(えのあきら)|ピッコマ (piccoma.com) (後編)
漫画の中ではRC147についての資料が全くないことになっていますが、連載開始時、既に1994 HONDA R&D Technical Reviewに記事がありました。まあ、漫画のことですから。
ウチューじん・ささきさんはTwitterを使っています: 「パイロットという人種、特に戦闘機パイロットには自分がいかに危険な仕事をやっているかという矜持が行き過ぎて、自分の乗っている機体の難しさや危険性を大袈裟に吹聴する人もいる。それが「パイロット本人から聞いたから間違いない」として伝説の種になる。」 /
スズキ50㏄2気筒10/12/14段変速機に乗り優勝したライダーと優勝数。
ハンス・ゲオルク・アンシャイト 8勝
スチュアート・グレアム 1勝
ヒュー・アンダーソン 1勝
エルンスト・デグナー 2勝
片山 義美 3勝
伊藤 光夫 1勝
神経質な2ストローク50㏄2気筒エンジンを多段変速機コントロールするのは常人の技ではありませんが、スズキのライダーの多くが乗りこなしていたようです。差はあったでしょうが、特に「このライダーでなければ」というようなものではないと思います。
「今の人は乗りこなせないでしょう」という意見もありました。しかし、4ストローク350/500cc単気筒に乗っていたアンダーソンが乗りこなすことができたのですから、現代のライダーでも、訓練を積めば乗りこなすことができると思います。