レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
バイク業界では珍しくないレベルの記事だと思います。ライター氏、翻訳者の両方の責任のようです。
https://www.as-web.jp/bike/585007?all
1979年
「彼らは両者とも同じ周回でフィニッシュし、そのうち3周でレースレコードを破った。」
多分、翻訳者がレースと日本語を知らないのだろうと思いますが、「前年の優勝記録194周を3周上回った」ことを指しているのだと思います。
「ホンダのRSC(レーシング・サービス・センター)の仕事ぶりを証明した。同センターは耐久およびTT-F1クラスのレースに参戦するプライベートチームを支援するために設立された。」
ホンダ技研の一部門だったRSC(レーシング・サービス・クラブ)が別会社のRSC(レーシング・サービス・センター)になったのは1973年ですが、その頃は、CB500Rによるレース活動、耐久レーサーの製作、モトクロス、そして様々なキットパーツ販売が主業務でした。1973年、CB125Sのキットパーツ装着車がノービス、ジュニア、セニア125㏄のタイトルを手にしています。OxleyはRSC設立を1979年と思っているのでしょうか。
1981年
「鈴鹿8耐は、1980年にFIMクーペエンデュランスから世界耐久選手権に昇格。その年のファステストラップはイギリス人ライダーのハスラム/ジョイ・ダンロップ組がRS1000で出している。しかし、彼らはクラッシュとエンジントラブルのためリタイアを喫した。翌年の1981年~」
1979年の鈴鹿8耐がFIM Coupe d'Enduranceの1戦だったように書かれていますが誤り。1979年の鈴鹿8耐久はFIMカップとは関係ありません。
1980年、ホンダ・ブリテンでハスラムと組んだのはロジャー・マーシャルで、ダンロップは1981年にハスラムと組んで出場、リタイアしました。
「彼らはRS1000で凄まじい速さを見せ、2周の差をつけて優勝を果たした。」
公式記録では「3周」です。
https://www.suzukacircuit.jp/motorsports_s/library/img/history/1981-final.gif
1981年の優勝周回数は199周で前年の200周を下回りました。優勝者の周回数は1978年から194→197→200→199で、前年の記録を下回ったのはこの年が初めてです。「凄まじい速さ」は絶対評価ではなく、この年限りの相対評価です。
1982年
「6時間後にレースは安全上の理由で中止された」
8時間の予定でレースが始まり6時間後に中断したかのように書かれていますが、誤り。悪天候によりスタート時点で6時間に短縮されていました。
「飯嶋茂男/萩原紳治組は、2位の伊藤裕之/吉村俊宏組に28秒差をつけて」
0.28秒差の誤りです。公式記録はこちら。
https://www.suzukacircuit.jp/motorsports_s/library/img/history/1982-final.gif
この頃、8耐をよく見に行ってました。1981年、ダンロップの転倒した場所は、ライダースクラブ誌ではヘアピンでしたが、正しくはヘアピン手前の右コーナーです。レース中盤、転倒してヘアピン少し手前のコース内側のガードレール辺りまでマシン、ライダーが飛んできた光景が記憶にあります。拍手に送られて再スタートし、レースを継続しましたが、ゴール直前でエンジン故障でストップ。184周して14位でした。
実はこの年、ダンロップにサインを頂戴していたのです。そんなこともあって、あれから39年経っても転倒シーンがはっきり記憶に残っているのでしょうか。
1982年は仕事の都合で行けませんでしたが、行ってたらその日のうちに帰宅できたかどうか。