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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ちょっとだけ公開公正

http://www.honda.co.jp/SEEVERT/gallery/13_rc181/
「平均時速108.77マイル≒174km/h」
1マイル1.609344kmでなく1.6kmで計算しているのが何とも・・・

http://www.honda.co.jp/SEEVERT/gallery/07_rc143/
「(RC143)23ps/14,000rpmまでアップしたのである」
どんな資料を見たのだろう。

「4バルブ・べべルギヤ駆動のRC143型エンジンを搭載した2RC143というマシンが誕生した」
現存する2RC143のエンジン打刻がなぜ2RC143なんだろう。

http://www.honda.co.jp/SEEVERT/gallery/05_rc115/
「1961年にHondaが世界グランプリ50ccクラスに投入した4ストローク単気筒のRC111が一新され、1962年に世界初の4ストローク、2気筒50ccレーサーRC112がデビューした」
何を勘違いしているのか。世界GPに50㏄クラスが設けられたのは1962年シーズンからなのだが。

「1965年~7戦中5勝を挙げ」、「(1966年)6戦中3勝を挙げ」
1965年は欠場したUSGPを除外して「7戦」、1966年は欠場した日本GPを含み「6戦」。何かを丸写しして確認していないのかな。

「RC116は最大出力14ps/21,500rpm」
1973年に公開されたデータだが今となっては・・・

http://www.honda.co.jp/SEEVERT/gallery/02_rc142/
「ライトウエイト125ccクラス」
ウルトラライトウエイトの誤り。

「6位谷口のタイムは1時間34分8秒」
1時間34分48秒の誤り。したがって「タルキニオ・プロビーニの記録に遅れること6分43秒」も誤り。

http://www.honda.co.jp/SEEVERT/gallery/03_rc166/
「'66年、マグネシウムやチタン等の軽金属を多用した大幅な軽量化が施され、最大の問題であった熱対策もオイルクーラーを設ける事により解決された6気筒最終型となる"RC166"が完成」
当初は3RC165が用いられた。ところで1965年は「軽量化」されていなかったようだ。
 
「(1966年)Hondaが不参加の2レースを除き、出走した全てのレースに優勝」
不参加だったのはボイコットした最終戦日本GPのみ。優勝しなかったアルスターGPではグレアムが6気筒で出場している。「Honda」を「ヘイルウッド」にすれば正しくなる。

「(1967年)一方ヤマハがRD56に替わり前年登場させた2ストロークV型4気筒"RD05"が十分な信頼性を獲得」
RD05が登場したのは1965年の終盤。1967年には改設計されRD05Aになった。

「総獲得ポイントは同点」
有効ポイントの勘違い?
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出力表示

出力表示は

 kW あるいはPS、HPが用いられます。

PSはドイツ語pferdestärkeの略で日本ではメートル法馬力の記号として用いられます。
HPは英語horsepowerの略です。ややこしいのは英語の代表国イギリス、アメリカはメートル法ではなくヤード・ポンドが幅を利かせていることです。
で、
1ヤード・ポンド馬力(550フット・ポンド/秒)=1.014メートル法馬力(75kgf・m/秒)
になります。馬力に2種類あることを知らない方が少なくないので、イギリス、アメリカでのHP表記をそのままPSに書き換えている場合もあるようです。

ロードスター1.5リッターの馬力表記も
日本 96kW 131PS
ドイツ 96kW 131PS
フランス 96kW 131ch
イギリス 96kW 129bhp または131ps

と129と131の2種類あるのもそのためです。

日本では(現在は)kWが基本でPSを用いることも認められています。雑誌等では馬力の単位がなぜかイギリスに倣ってpsがよく用いられているようです。キロワットもkwと表記されることが少なくありません。

参考 bhpはbrake horse power です。堂々とbritish horse power と書いた工学部出身の自動車評論家がいたような記憶です。

いつの日も遠く(安川力 著)

ヤマハの安川力氏の自伝が公開(連載中)されています。
https://global.yamaha-motor.com/jp/profile/technology/daysgoneby/#new

 原書はコミュニケーションプラザのライブラリーにあります。
「生い立ち~三菱重工」あたりは省略され、ヤマハに入社した頃から始まっています。

 トヨタ2000GTプロジェクトの前に関係があった某社や車のデザイナーの某氏の名前は書いてありませんが、当時の経緯をある程度知っている人なら分りますね。

 このような貴重な資料をネットで公開されたことに感謝します。

wikipediaの記事?


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BBTZ
 ではヤマハTZ750について「ワークスマシンYZR750(0W31)の量産車にあたる市販ロードレーサーである。1975年から数年にわたり供給された市販レーサーだが、台数は限定的なものであった。」とあります。

実際は市販レーサー・TZ750が1973年終わり頃に多くの国に出荷開始され、1974年3月のデイトナ200にも多数が出走しています。

「1976年のファクトリーマシン:0W31とその市販版:1977年のTZ750D」の話が2年遡ってしまっているようです。

RACERS volume 38 9頁の記述「(1974年)時代は水冷が主流であり、ヤマハの水冷4気筒ファクトリーマシンが幅を利かせており、’75年にはそのレプリカである市販レーサーTZ750も販売され」
はwikipediaの記述を参考に作文したのでしょうか。


同じく9頁末~10頁の「FIM規定のF750が’78年で終了したため」ですが、正しくは’79年です。ネットで検索してもこんな間違いは見当たりませんでした。どうしたらこんな間違いができるのか不思議です。


バニラエア+車いす(2)

こちらの記事
http://harukaze.tokyo/2017/06/28/baniraair/

を読んで・・・

基本的に飛行機はリスクの高い乗り物で、そのリスクを軽減するために多くの措置が講じられています。

障害者が搭乗するのであれば、障害者がどの座席に座らせるのか、そして非常時にその介助を誰がするのか、乗客全員を守るためにはどうしたらよいか・・・その最終権限と責任は機長にあります。

このことを忘れて「可哀そう」だけで報道するマスゴミはいつものことですが、あっさり謝罪したバニラエアにはがっかりです。これだけでバニラエアを選択肢から外したくなります。



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