レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
この写真、ライダーの谷口尚己氏のアルバムに残るものだそうです。
https://www.instagram.com/p/BjjPMVzn4JK/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=drduq0m4uqaw
ブランデッシュコーナー(Brandish=ブランディッシュ)とされていますが、この風景はブランディッシュコーナーではありません。写真右下に構造物の一部が写っていますが、ブランディッシュコーナー周辺にはこのようなものはありません。また、写真右側のコース端とマシンの位置関係、マシンの向き・姿勢からここが低速コーナーと分りますが、ブランディッシュコーナーは高速コーナーです。
下の写真をご覧ください。路面の影(木陰)が上の写真と同じです。
https://www.motorcyclistonline.com/1959-isle-man-tt/
この場所はパークフィールドコーナーです。スタート地点からここまではマウンテンコースと同じですが、クリップスコースではここで右に曲がります。
現在のパークフィールドコーナー。
プリントされた写真を整理する段階で間違えてしまった例です。アルバムに貼られているだけなら個人の思い出ですが、公にする段階ではチェックが必要です。
「1959年、ホンダチームはマン島に行って初めてクリップスコースが使われることを知ったって?」でMat Oxleyの誤った認識を取り上げましたが、その続編です。
これは1959年1月にマン島を訪れたホンダの新妻氏、Hunt(左2人)。
この場所は「Clypseコース」で紹介した場所です。二人が立っていた場所の現在はこちら。
奥の木々は下の写真のようにかなり伐採されています。
ここは上写真の左コーナーに続いて2つ上写真の短い直線と右コーナーがあるセクションで、「Nursery Bends」という名前が付けられていました。マウンテンコースとクリップスコースで共通の道路もありますが、ここはクリップスコースのみに用いられた道路です。
当たり前のことですが、ホンダは1959年1月の段階でクリップスコースの下見をしていたのです。