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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

イタリアGPの名称(2)

 私はイタリア語やイタリアの歴史についてあまり知りませんが、誤謬を恐れず、個人的な感想を書きます。
・・・・
 まず、イタリアで開催されたGPの名称を整理します。

1913、1921  Gran Premio d'Italia
1922~1934  Gran Premio delle Nazioni
1936~1938  Gran Premio d'Italia
1947~1990  Gran Premio delle Nazioni(1949年から世界選手権)
1991~          Gran Premio d'Italia
 
 さて、イタリアがある程度統一されたのは1861年です。その後、ローマ、ベネツィア一帯がイタリアになり、第一次大戦後の1920年に「未回収のイタリア」の大部分がイタリアになりました。
未回収のイタリア (y-history.net
 イタリアGPの名称がGrand Premio delle Nazioniになった1922年は、このような情勢下です。

 さて、レースの方に話を戻すと、20世紀に入り、各国で国名、地域名、組織名(U.M.F.:Union Motocycliste de France)を冠したGPが行われるようになっていました(マン島TTを除いて)。

 当時、ヨーロッパで各国のレース主催団体が集まった組織としてFICM(Fédération Internationale des Clubs Motocyclistes)があり、イタリアの団体も加盟していました。そして、1924年からGrand Prix d'Europe F.I.C.M.が行われるようになります。これは、毎年、各地を転戦する今のような選手権ではなく、ある国のグランプリをGrand Prix d'Europe F.I.C.M.としても行い、勝者をヨーロッパチャンピオンとするものです。

 さて、delleは英語ではofに相当します。Grand Prix d'Europe F.I.C.M.の「d'」はフランス語のdeの語尾音省略形で、これもofに相当します。

ofの意味は
ofの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

 レースの名称が

Grand Prix of 「国名(又は地名、組織名)」


 ならofの意味が理解できます。Grand Prix d'Europe F.I.C.Mも、F.I.C.M.として
〇「ヨーロッパに属する」Grand  Prix
あるいは
〇「ヨーロッパが行う」Grand Prix
を開催するのですから。

 しかし、Nazioniをイタリア及びイタリア以外の国々の「諸国」とした場合、ofの意味の理解に苦しみます。各国のグランプリには国名(又は地名、組織名)を冠するのが一般的であったにも関わらず、Grand Prix d'Europe F.I.C.Mが始まる2年前に、イタリアでのGPがF.I.C.M.(第二次大戦後はF.I.M.)の名の下に、諸国を代表する形で行われたとは考えられないからです。

 2024年からGrand Prix d'Europe F.I.C.M.が始まるのに先んじて、イタリアの主催団体が、勝手に「諸国」を使い出したということも考えられますが、そもそもグランプリ、Gran Premio は「大賞」→その国で最高の賞を争うレースであり、1922年当時、(未回収のイタリアが領土となり)民族意識が高まっていたのに、そのようなレースに「諸国」を冠するとは思えません。

 ちょっと話題を変えて、Inno delle nazioniという曲について考えてみます。イタリア統一(1961年)の翌年のロンドン万博(1962年)のためにヴェルディが作曲した曲で、歌詞と曲の解説はこちら。
ヴェルディ Inno delle nazioni (biglobe.ne.jp)
 
 日本語の曲名が「諸国民の賛歌」となっています。確かに「万博のために作曲」という背景、「フランス国歌、イギリス国歌が盛り込まれている」ことからすると、この訳が適切なように思えてしまいます。

 しかし、歌詞からすると、私にはこの曲に「イタリア万歳、統一を応援してくれたフランスさん、イギリスさん、ありがとう」というイメージしか湧きません。
 とすると、この曲のnazioniはイタリア統一前の国々(諸国)を指すのではないかと思えるのです。つまり、この曲名は

(統一された諸国=)イタリアの賛歌

という意味が込められているように思えてなりません。

 Gran Premio delle NazioniのNazioniも同様だとするなら、

「(統一された諸国=)イタリアのグランプリ」

あるいは

「全国グランプリ」(「国の全て」ではなく「我々の全ての国」)

のような意味なのでしょうか。そうなら、上で書いた疑問点も解決するのですが。

 仮に、この解釈が正しいとするなら、そのような名称を採用した理由としては、
〇四輪のイタリアでのグランプリは、一貫してGran Premio d'Italiaと称されていたことからすると、「四輪のGran Premio」と区別するため
〇イタリアとして統一されたとはいえ、地域による言葉の違い、南北格差がある中で、「我々の全ての国」を訴えるため

ぐらいが想像できます。

 このNazioniが何を指すのかを知るためには、現在のイタリア人に確認するだけでは不十分で、1922年当時、そして第二次大戦後、再びdelle Nazioniを冠するようになった1947年当時、Nazioniにどんな意味があったのか、あるいはどんな意味が込められていたのかを確認する必要があります。


 なお、私のサイト中では、Gran Premio delle Nazioniを「イタリアグランプリ(イタリアGP)」と表記しています。「ネイションズグランプリ」としてしまうと、「F.I.Mの名の下、ヨーロッパを代表するグランプリ」のようなものかと思われてしまいますので。
 
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「的を得る」は誤用ではないーイタリアGPの名称

 詳しくはこちら。
11.「的を得る」は「的を射る」の誤用ではない? 底無しの「日本語沼」の話 - 間違えやすい日本語表現(澤田慎梧) - カクヨム (kakuyomu.jp)

 他にも詳しく解説されている方がおられます。

 「ガールズ&パンツァー」のパンツァー=panzer はドイツ語で「装甲」、「戦車」ですが、ドイツ人にとってpanzerといえば戦車をまず思い浮かべるそうです。
 では、第二次世界大戦中はどうだったのでしょうか? ドイツの宣伝映画をyoutubeで見ることができますが、ナレーターが「panzer!」と叫んだ後に戦車が登場するシーンがあったりするので、第二次世界大戦中でもpanzerの一義的な意味は戦車だったようです。

 さて、かつて、イタリアグランプリの正式名称は

Gran Premio delle Nazioni
でした。nazioniはnazioneの複数形です。

 そのまま英語に訳すと
Grand Prix of Nations
になります。MOTO GPの公式サイトでも、かつてのイタリアGPをこのように表記していますし、これに倣ってか、日本の雑誌等でもかつてのイタリアGPをネイションズGPと表記するようになりました。

 問題はnazioniが何を指すかです。辞書では
国家(複数形なので諸国とした方がいいかな)
国民
が主な意味です。
  
   イタリアでGPが初めて開催されたのは1914年で、その時、そして第1次世界大戦を挟んで1921年は Gran Premio d'Italie でした。そして1922からGran Premio delle Nazioniになりました。

 その2年前に国際連盟が成立しましたが、国際連盟はイタリア語では
Società delle Nazioniです。このNazioniはイタリア、イギリス・・・等の諸国です。

 では、Gran Premio delle Nazioni のNazioniも同じ「諸国」なのでしょうか。

 

タンデム2気筒

 前回(リンク)カワサキKR250/350の前にMZが125㏄クラスでクランク横置タンデム2気筒を走らせていたことを紹介しましたが、別にカワサキのタンデム2気筒が「世界初ではない」からどうだと言う意図はありません。

 1963-65年にスズキは250㏄クラスでスクエア4気筒を走らせていましたが、これを縦に半分にすればタンデム2気筒になります。
 そもそも、ロータリーディスクバルブ2気筒でエンジン幅を極小にしようとすれば、必然的にタンデム2気筒かクランク2軸V型2気筒になってしまうのです。

 タンデム2気筒というレイアウト自体、誰でも思いつきそうなものです。しかし、レーシングマシンは形だけの品評会に出展するためのものではありません。大事なの
は、タンデム2気筒エンジンの振動を抑え、長いエンジン長のために車体の軸距が長くなりがちなマシンをレーシングマシンとして成功させることなのです。

9月13日

は私にとって思い出深い1980年日本GP予選(土曜日)の日です。

 その数日前、ヤマハの金谷秀夫さんが書かれたこの本(リンク)を購入し、土曜日の車両検査の時に金谷さんにこの本にサインを頂きました。日付もちゃんと入れていただいて。金谷さんが「もう買ってくれたんや~」、「本の中で「パーシャル」と言ってるけど分った? スロットルを1/5ぐらい(だったかな?忘れた)開けた状態なんやけど」と話されたのをよく覚えています。

 予選で金谷さんはポールタイムを出しながら転倒して心配しましたが、パドックを覗くと金谷さん、高井幾次郎さんらが談笑しており、ケガは大したことはなかったようです。ただ、翌日のレースは欠場、そして高井さんが優勝したのです。

 この日本GP、私にとって他にも意味があり、そんなわけで9月13日という日付はずっと記憶にあります。

 私が金谷さん、高井さんの走る姿を見るのはこの日本GPが最後になりました。そして高井さんはその1年半後、金谷さんは33年後に亡くなられました。

タンデム2気筒の慣性力の釣り合い

 1975年に登場したカワサキKR250(T601)はタンデム2気筒でした。簡単に言えば、単気筒を前後に繋げたエンジンですが、ここでは2気筒の各クランクシャウトが平行に位置するように連結したものをタンデム2気筒エンジンとします。

 このKR250、当初は180度等間隔点火でしたが、振動に悩まされ、1976年10月の日本GPに登場した新型で2気筒同人点火になり、振動問題が解決されました。

 世界で初めてのタンデム2気筒がどんなものが知りませんが、私が着目しているのは第二次世界大戦前に製作されたベロセット・Roarer(500㏄スーパーチャージャー)です。
http://velobanjogent.blogspot.com/2014/06/the-roarer-re-createddan-smith-in.html
 一見、並列2気筒に見えますが、タンデム2気筒です。
https://www.flickr.com/photos/velton/4640552918

 なぜ、このようなエンジンレイアウトにしたかというと、

1 当時はチェーンドライブの信頼性が低かったので、シャフトドライブにしたかった。
2 シャフトドライブにするためには、クランクシャフト縦置きの方がよい。
3 クランクシャフトを縦濃きすると、トルクモーメントがハンドリングに大きく影響する→クランクシャフトを2本にして、相互逆回転にすればトルクモーメントは相殺される。

です。

 この1次慣性力を釣り合わせるために、クランクシャフトのバランスウエイトを1次慣性力相当分にし、ピストンの動きを2気筒同じにすれば1次慣性力を打ち合わせることができます。

 ピストンが上死点にあるときはバランスウエイトが1次慣性力を打ち消してくれます。赤矢印が1次慣性力、青矢印バランスウエイトの遠心力です。


 そこから90度回転すると1次慣性力はゼロになり、横方向のバランスウエイト遠心力は互いに逆方向なので打ち消されます。


 2ストロークであれば必然的に同時点火になりますが、Roarerは4ストロークですので、360度等間隔点火だったと思います。ただ、その場合、2気筒を連結するギアの耐久性が心配です。
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/2crank/2crank.htm

 もう一つ心配なのは、クランクベアリングの荷重です。バランスウエイトを1次慣性力相当分にしますと、横方向に1次慣性力相当分の遠心力が働くからです。

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