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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

サイクルサウンズ誌

俺たちのロードレース1985 (Motor Magazine Mook) | オフィスとらくしょん |本 | 通販 | Amazon


 1985年のサイクルサウンズ誌を寄せ集めて、若干の記事を追加したものですね。

 なんというか、書き出しから脱力させられます。

「サイクルサウンズは~82年から復刊し、85年から月刊誌になった」


 「82年に復刊し、84年5月号から月刊誌になった」の誤り。


「私の最初の8耐取材は82年~~鈴鹿8耐はこの7年前、78年に始まっている」


 ちゃんと校正しましょう。


「それ以前にも10時間耐久が行われていたが、今の8耐の原型となったのが、78年の第1回大会だ」


 「それ以前にも耐久レースが行われていたが~」の方がよい。


 鈴鹿での耐久レースは、63年:6時間、64年:18時間、65年:24時間、67年:12時間、68~72年:10時間、73年:8時間、77年:6時間。


「ホンダは75年から~ファクトリー体制~RCBという1000㏄のファクトリーマシン~」


 76年の誤り。


68年に最後の日本グランプリが開催されてから~」


 「67年に世界選手権日本グランプリ~」の誤り。68年の日本グランプリは中止、69~86年は全日本選手権日本GPが行われた。
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RACERS Volume 76

48頁のランキング表の誤りが多いのはWikipediaを参考にしているためのようで、1980年のランキング表はRACERS Vol.76 TZ500 で校正済ですが、1981年も校正してみました。

 これがWikipedia。



 49頁のランキング表はWikipediaにさらに誤りが追加されたようです。

 下がRACERS49頁のランキング表の校正版で、太字が修正分です。マシンの名称についての元記事の記述が誤りではないなら、加筆しても太字にはしていません。



 RACERS Vol.76 TZ500 からも校正版にリンクするようにしています。

 ところで、1980年と比べると明らかに「出走者不足により得点対象とならなかった順位」が減少しています。1979年まではTZ750が市販されていたといはいえ、その出走台数は少なく優勝しても得点が与えられないことが珍しくなかったのですが、1980年のTZ500国内市販以降、得点対象とならない順位が減少し、それがはっきり表れたのが1981年でした。


GRAND PRIX ARCHIVES 02 エディ・ローソンの一強支配  1986-1990

 レース名等を校正しました。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei37.htm


 前回の「ケニーとフレディーの時代 1978-1985」
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei36.htm

と比べると、誤りが減っていますね。

 ところで、ローソンは1986-1990年の5年間で3回、チャンピオンになったのですが、これを「1強支配」とされると「?」になります。こんな書名を付けず、単に「GRAND PRIX ARCHIVES 1986-1990」の方がいいと思います。
 このような本を買う人の多くは、当時、レースファンだった人でしょうから、これが最適ではなかと。



GRAND PRIX ARCHIVES 02 エディ・ローソンの一強支配 (Motor Magazine Mook)

GRAND PRIX ARCHIVES 02 エディ・ローソンの一強支配 (Motor Magazine Mook) 

を買いました。今回は1986~1990年を取りあげています。
 
 この頃といえば、1987年から世界選手権日本GPが鈴鹿で開催されるようになった頃です。1983年以降、全日本選手権に世界GPライダーが走ることがあり、世界GPの世界を垣間見ていましたが、現実に目の前で世界GPを見た時は感無量でした。

 1987年日本GPの時は、土曜日に仕事が入ったので夕方にバイクで出発し、夜に鈴鹿に着き、3月だというのに野宿(寒かった)し、日曜日に観戦、小雨の中、帰りました。

 翌年からは土日で見に行けるようになりましたが、土曜日の予選が終わった後にグランドスタンド裏でいろんな店や展示を見るのが楽しく、夜は友人と語り合いながら車中泊していました。
 
 そんなことを思い出しながら本の写真を見ています。


 「校正」については一つだけ。109頁右下の1988年型カジバ500の写真に「Rd1 SPAIN Jarama」とあります。
 第1戦は日本(鈴鹿)で、スペインは第3戦です。で、この写真のピットはハラマではなく鈴鹿です。





富士スピードウェイショートコースの1周距離

「富士スピードウェイ 最初の40年 1963-2003」(三木書房2005)174頁に次のように書かれています。

「1974年夏の30度バンク廃止によって、富士スピードウェイのコースは右回り4.3kmコース一本に統一された。F1GP招致の際に改めて一周距離を測定したところ、4.359kmであることが判明した」

 巻末の記録表を見ると、1976年10月10日の富士マスターズ250kmまでは4.3km、10月24日の「F1世界選手権 in Japan」(これが正式名称)以降は4.359kmになっています。

 また、「富士スピードウェイ50年のあゆみ」(2016富士スピードウェイ)の記録集でも同様です。

 しかし、1967年日本GP(二輪)を伝えるモーターサイクリスト誌1967-12、オートバイ誌1967-12、そしてライディングNo30(MFJ機関誌)では一周4.359kmとなっていますし、レース距離、平均速度も4.359kmで計算されています。

 ですから、元々4.359kmだったが、1968年以降、富士スピードウェイ側が何等かの理由、気まぐれで4.3kmと公表していただけでないか、というのが私の考えです。

 そして、記事の「測定したところ」は

〇再測定したが、やはり4.359kmだった
〇実際は測定していない

の何れかではないかと思います。

 なお、4.359kmだったのは1983年までで、1984年シーズン以降、何回か変更されました。



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