レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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公開公正中の次の記事
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/yzr3.htm
の末尾に次の文を追記しました。
1 12頁 「高回転高出力型となりやすいロータリーディスクバルブの特性を考慮して、
ボア×ストロークが以前の54×54.5に戻されていたのも、OW54と60の特徴のひとつであった」
こんな記述は本書とバイカーズステーション誌(同一ライター氏による)のみで見られたように思うが、バイカーズステーション誌では後に56×50.7mmに訂正されている。
2 28頁 写真38の0W45について「写真のマシンには、ミクニのTM(フラットバルブ)タイプキャブレターが装着されている」とあるが、この写真のキャブレターがフラットバルブに見えるか。
3 74頁 (0W98の点火間隔について)「右側の上下2気筒が同時爆発した後、左側の上下2気筒が爆発する等間隔同爆なのは、0W81と変わらない」は「対角線上の2気筒が180度間隔で同時爆発(点火)」の誤り。
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公開公正しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei21.htm
値段が値段だけに、まあこんなものか。まあ、間違いが多いのは覚悟していますが・・・
RACERS(三栄書房)で感心するのは写真説明の間違い(レース名等)が少ないこと。どなたが担当しているのか知りませんが、いい仕事しています。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E7%86%B1%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%99%82%E4%BB%A3-RIDERS-CLUB%E5%88%A5%E5%86%8A/dp/4777935523/ref=pd_sim_b_3?ie=UTF8&refRID=0H6RG3B0QSC78MB6SNKX
購入しました。基本的に新刊書は本屋で購入します。本屋が無くなったら困りますから。
中身は、
・木引繁雄カメラマンの写真集
・1983年のホンダ、ヤマハ、スズキのファクトリー500の試乗記(かつてライダースクラブに掲載された記事)
です。初めて見る写真も少なくないので、迷わず購入。お値段もお買い得です。
ただ、文章を読むのはつらいですね。新しい記述はありません。
また、42-43頁のような接戦の写真を2頁に跨らせると興奮が削がれてしまいます。そして、例によって写真説明の誤りが結構あります。
例えば、12-13頁の写真は「AUSTRIA」となっていますが、この風景がオーストリアに見えますか?
幸い14頁にオランダGPの写真があるので、12-13頁がオランダGPであることがすぐ分ります。
12頁右下の青いジャケットの観客2人が14頁下写真の左端に写っています。
他にもレース名がおかしなものが多くありますので「公開公正」で取り上げる予定です。

公開公正にタイトルの記事を追加しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei17.htm
発行されてから5年になりますね。間違いを指摘しても商売の邪魔にもならないでしょう。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/honda50year.htm
で指摘したのと同じような間違いがあることから、同一ライター氏が関わっているようにも思います。
この本ですが、貴重な写真が非常に多く、よく売れた(?)のも当然でしょう。このようなものを発行していただいたことは感謝しています。
ただ、いつものことながら 「後世畏るべし」ではなく「校正恐るべし」だと思います。
さて、今回指摘した1961年ドイツGP125ccで6位入賞したのは誰?
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei17-2.htm
ですが、結局、当時のホンダチーム自身の記録、スターティンググリッドの写真、公式記録そのもの(雑誌の記事ではなく)、ライダー自身の証言(記憶間違いがあるので、検証が必要)等々まで確認しないと、本当のところは分らないと思います。
一度、間違われると、ずっと間違われる見本だと思います。

ところで読んでいて、スズキの中野広之氏が書かれたウェブサイト上の記事に似た文がありました。
中野氏は吉村誠也氏のサイトで記事を公開していました(1999年~)。
http://www.europark.com/nakano/index.htm
ところが中野氏が記事を書かれても吉村氏がなかなかアップしてくれないのに業を煮やしたのか、中野氏自らウェブサイトを開設されます。
http://www.iom1960.com/
この本(日本グランプリレース)は2003年10月30日発行ですが、この発行までには開設されていた記憶です。
吉村氏のサイト中の記事と比較してみましょう。
「6月30日朝、浅間山が爆発したが、曇りのため煙が少々見えた程度だった」http://www.europark.com/nakano/1959.htm
「6月30日には、浅間山が爆発したが、曇りのため煙が少々見えた程度だった」(42頁)
「いろいろ新しい問題を抱えているのに、台風7号が近づいたため、雨でテストができず、焦る。13日夜半には台風が直撃し、昌和クルーザーの宿舎の屋根が吹っ飛んだ。樹木も根こそぎ倒れ、コースも水びたしだった」
http://www.europark.com/nakano/1959.htm
「8月12日には、台風7号が近づき、雨でテストができず各社が焦る。13日夜半には、台風7号が直撃し、昌和クルーザーの宿舎の屋根が吹き飛び、樹木も根こそぎ倒れ、コースも水びたしになった」(42頁)
(なお、
http://www.europark.com/nakano/1959.htmでは、上の文の前に「
12日には、他メーカーが顔を見せない早朝から、RB本命車で初の全開耐久テストを始めた。しかし、あいにくの降雨のため、数周でやむなく終了。RA練習車のときには発生しなかったエンジンの “バラバラ(不整燃焼?)” が全車に発生していた。原因はわからなかったが、分解してみて驚いた。ピストンが溶けはじめているものあり、トップリングが折損しているものあり、ピストンピンセットリングが外れて折損しているものありといったありさまだった。まったく、次から次へといろいろ問題が出るものだ。コース解放日はあと6日しかない。ホンダの本命車も姿を現わし、連続走行を始めた。我々もRA練習車で練習開始だ」とあり、12日も走行していた。)
「マン島遠征のため、ホンダチームとスズキチームで日本選手団を結成した。団長は小型自動車工業会の立松さん。5月10日、東京丸の内会館で壮行会を開催。そして翌日にはBOAC機でロンドンへ。当時はヨーロッパへの直通便はもちろん、アンカレッジ経由の北回り線もなく、東京~香港~バンコック~デリー~カラチ~ベイルート~フランクフルト~ロンドンという23時間の長旅だった。ロンドンに1泊したあと、マンチェスターを経て、ようやくマン島に着いた。」
http://www.europark.com/nakano/1959.htm
「マン島出場のため、ホンダチームとスズキチームで日本選手団を結成した。5月10日、東京丸の内会館で壮行会が開かれ、翌日BOAC機にてロンドンに向かった。当時はヨーロッパへの直行便はもちろんアンカレッジ経由の北回り線もなく、東京から香港~バンコック~デリー~カラチ~ベイルート~フランクフルト~ロンドンと移動し、なんと23時間もかかる長旅だった。ロンドンに1泊し、マンチェスターを経て、マン島にようやくたどり着いた」(47頁)
いやよく似てますね。参考文献(156頁)にはどちらのサイトも参考文献になっていませんが・・・
それにしてもこんな本をよく出しますね。著者も出版社も。音楽ライター氏にはとても無理だったのです。まあ、小説家が取材せずにF-1の本を出す(リンク)くらいの国ですから不思議でもないですが。
