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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡(11)


59頁上の写真で「~レッグニーバーを行く」とあります。こんな地名は知らないのですが、多分、Creg-ny-Baa クレッグニーバーの誤りでしょう。では、この写真はクレッグニーバーなのでしょうか? クレッグニーバーの地図です。

 
 通常のマウンテンコースが赤矢印、この年の125㏄クラスに用いられたクリップスコースが青矢印です。で、交差点にレストランがあります。

現状は

File:IOM Creg-ny-Baa pub.jpg

 なお、クリップスコースでしたら写真右側から(現在なら)建物の左側を右に曲がることになります。写真の手前側に建物はありませんから、59頁の写真は撮影不可能ということになります。ただ、かつては建物の右側に道があった可能性もあります。その前提で話を進めます。

 このクリーム色の建物、かつては Keppel Hotel でした。1936年(リンク)と比べると増築されているものの、建物の右側は昔のままだということがわかります。59頁の写真に写る建物とは似ても似つかない形です。

 59頁の写真ですが、同じ写真がこちらにあります。
http://sutobai.com/blog/9128/最新号にて大変失礼な誤字。訂正しお詫び申し上
 そして、別の撮影地点から写したものがこちらで、左側歩道の奥の壁が写っています。
http://www.artprintsforpleasure.com/motorsport-tt-race/fastest-member-japanese-team-taniguchi-11213828.html (観客が少ないので公式練習時でしょう)

 この地点はパークフィールドコーナーと思われます。現在のパークフィールドはこちら。右の建物、左の(青の自動車の奥の)壁に注目してください。左側から進入し写真撮影者の方向に回る右コーナーです。


 














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CB750FOUR その真実 -ホンダを変えた二輪作りの記録ー

 昨日、本屋で見かけて購入しました。3月11日発売だそうです。

 この本、「監修 松田 稔」となっていますが、実質的にはホンダの技術者だった松田稔さんが書いた本です。私はCB750について詳しく調べたことはないので、マニアの方々からすれば見当違いの感想になるかもしれませんが・・・

 一般的にこのような本はライターさんが技術者に取材して書くことが多いのですが、どうしてもライターさんの理解不足のせいなのか、脚色が入るのかわかりませんが、事実と異なることが書かれ、それが流布されてしまうこと多いように思います。この本では開発に大きく関わった、そしてそのバイクを愛する技術者が自ら確認しながら書いた記事ばかりで、初めて知ることが多くありました。

 ところで、ホンダのウェブサイトの記事の誤りも指摘され「聞きかじりの情報を紡いだものだと思われるが、これをチェックできる人材もいなくなってしまったのかと、時の流れを少々寂しく思う限りだ」(48頁)と書かれています。
 こういったウェブサイトの記事はライターさんに外注されているのではと思います。ただ、ホンダの現役技術者が「語り継ぎたいこと」(ウェブサイトの記事のタイトル)に関心がないのか、ウェブサイトの記事を現役技術者がチェックするような社内体制になってないのか、あるいは現役技術者がおかしな記事であることに気が付かないレベルなのかということなのでしょう。

 48頁のような記述を掲載する本を出版した心意気に敬意を表します。

ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡(10)

  33頁の写真01「67年のダッチT.T.の250を走る~」
 350の誤り。

 写真02、05「ベルギーGP250」
 いずれも東ドイツGP250の誤り。

 http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/rule.htm をご覧ください。西ドイツと東ドイツのゼッケン番号の付け方に特徴があるのがわかるでしょう。ただし、西ドイツの場合、Solitudeで行われたレース(ホンダ参戦時であれば60、62、64年)は番号の付け方が異なります。

 写真04「マン島T.T.でのRC166とヘイルウッド」
 RC174(350㏄クラス)の誤り。

 1967年マン島TT250のスタートの音。1分ぐらいから。

 ゼッケン順に2台ずつスタートで、ヘイルウッドはゼッケン7で4番目のスタート。写真03はゼッケン3。

ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡(9)

 ちょっと飛ばして81頁の写真01「開幕戦~これ以降ゼッケン1を付けて走るスペンサーを見ることはなかった」
 
 第4戦オーストリアGPに出場しリタイアしています。1分57秒あたりから。

 


 73頁下の写真はイタリアGPではなくベルギーGP。
 76頁下の写真はスペインGPではなくユーゴスラビアGP。




ホンダWGP参戦60周年 挑戦と勝利の軌跡(8)

37頁の写真01「(RC142について)バルブ挟み角45°でリフト量はIN・EXともに15.5mm、ピストンバルブクリアランスは1.5~2mmの範囲となっている。最高出力は2バルブのRC141で17.3ps/13,000rpmだから、それ以上と思われる」  

単に「バルブ挟み角」といえば吸気バルブ・排気バルブの向かい合う角度ですが、当時のホンダRCは75前後のものが多く、45度なら各バルブのシリンダー方向に対する角度になります。でも、当時のホンダ125㏄2気筒RCで45度といえば、RC144の排気バルブですが。  

「リフト量が15.5mm」とあります。ホンダの技術者だった八木静夫氏によるとRC141の吸排気バルブ径は「16.5/14.5mm」ですので、バルブ径とほぼ同じバルブリフトという化け物エンジンということになります。普通はバルブ径の30%前後です。 

「ピストンバルブクリアランスは1.5~2mmの範囲」 ピストンとバルブの間のクリアランスのことかな。  

「2バルブのRC141で17.3ps/13,000rpmだから、(RC142は)それ以上と思われる」とあります。八木静夫氏によるとRC141が15.3PS/12500rpm、RC142が17.3PS/13000rpmです。これは153頁右列の河島氏の回想「(1958)年の暮れ近くには、やっと15馬力まで到達することができました~4バルブ~やっと17馬力まで上げることに成功し~」とも符合します。

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