忍者ブログ

JFRMCブログ

JFRMCについてのメモです。

RACERS Volume 48(7)

13頁で(750㏄の0W29について)「ライダーを引退してロバーツのチューナーに転じたケル・キャラザースが、♯1のチャンバーを中通しにするアイデアを実用化したのも’75年だった。中通しチャンバーはファクトリーマシンにも採用されることになり、0W29の車体を一新した0W31が76年に、その量産型のTZ750が’77年にデビューした」

 68頁で「(このような)レイアウトを真っ先に採用したのが0W31だった」

 要するにライター氏は、
●0W29は基本的に1番気筒中通し排気管ではない。中通し排気管はキャラザースがロバーツの0W29用に特別に製作したもの。
●1976の0W31でヤマハが中通し排気管を全面的に採用。

と言いたいようだが、これは誤り。52頁右下の1975デイトナでの河崎のマシンも中通し。
こちらはアゴスチーニのマシン(右チェンジ)。
http://www.classicyams.com/works-racers/works-racers/yamaha-yzr750-racers.html

 そもそもモノクロスのヤマハ750が登場したのは1974年の日本GPで、その時点で既に中通しだった。

 いつもは当時の技術者等の協力があるが、今回はそのような方は登場していない。そんな訳でライター氏の「想像力」に頼るところが多いようだ。

 他の「0W23の車体に750エンジンを搭載したのが0W29で、これを改良したのが0W31」もライター氏の「想像力」によるものと推察する。

 ところで、13頁左上の「ヤマハテストコースで撮影されたと思しき記念写真」とある。当時の三栄書房の雑誌の記事では「去る2月16日、ヤマハ袋井テストコースで、同社の77年度ワークス・マシンと、ヨーロッパGPレースに出場するライダーの陣容が発表された」とあり、この写真はその時のもの。他誌でも同じような写真が多数掲載された。
PR

EACERS Volume 48(6)

  40頁で紹介されたソノートカラーのTZ7501983年に現物を見たことがある。今回記載されたフレーム番号と同じだった。1996年に別冊モーターサイクリスト誌で紹介されたマシンも同一と思われる。

 

TZ750D/E/F~合わせて250台超という生産台数は~」の生産台数はフレーム番号からの推定だろう(フレーム番号は101から始まるので)。一方で写真説明「'77年製造のTZ750Dと考えたい」とあるのはフレーム番号からすると理解しがたい。

 

 この生産台数について「Yamaha: All Factory and Production Road-Racing Two-Strokes from 1955 to 1993」では、フレーム番号を

TZ750D 200101

TZ750E 200131

TZ750F 200197

としている。そして生産台数は、「TZ750D30台が販売」、「D/Fはさらに162台が生産」としている。計192台になる。

 

一方、1978年のモトライダー誌に、3月にヤマハが菅生で行ったTZ750購入チームに対する講習の取材記事が掲載されているが、4台のマシンのフレーム番号は

「~331」から「~341

だった。19783月時点でこのフレーム番号が現認されているのだから、先の「YAMAHA~」の記事は誤りということになる

 

 そして、先のSONAUTOカラーのマシンも、フレーム番号からすると、少なくとも1977年型ではなく1978年型または1979年型(おそらく1979年型)と思われる。

 

 なお、パワージェット付キャブレターについて「後年のTZ500用~を取り付けたものと思われる」とあるが、1979年の実戦写真でもパワージェット付を確認できる。

 

TZ750Fがパワージェット付キャブレターでないなら、この写真のキャブはヤマハから特定のチームに供給されたものだろう。

 


(12/4追記)
 このマシンのエンジン番号も1983年にメモしたが・・・私がメモをミスしたのでなければ、クランクケースはTZ750D/E/Fではないことになる。 

RACERS Volume 48(5)

29頁下の方のロバーツの0W35K、レクトロンのキャブについて書かれているが、さらに重要なのは「パワーバルブがない」こと。

 78年型YZR500といえば「パワーバルブ」だが・・・この写真は第1戦ベネズエラのものだが、パワーバルブ仕様エンジンを与えられたのはセコットのみで、ロバーツ、片山はパワーバルブなしだった。当時の三栄書房の雑誌にもその記述がある。

 どうも最近のライター氏が当時の記事を書くときは、メーカーの公表資料だけをたよりに想像を膨らますようで、当時の雑誌を読み返すことはないようだ。だから、28頁の「開幕戦、~スペイン(ハラマ)までは、ケニーは大人しかった。なんだ大したことはないじゃないか・・・・・」という記事になる。
 スペインでロバーツは独走していたがマシントラブルで2位に後退したことを、「ケニーは大人しかった」と書いて欲しくない。

 ところで、26-27頁の写真は「1980~Belgium」とあるが、1980年フィンランドの誤り。この雰囲気が公道レースに見えないのだろうか。

RACERS Volume 48(4)

56頁に次の記述がある。
「’76デイトナでヤマハは車体も750㏄専用設計の新型TZ750(0W31)をデビューさせた。このマシンもAMA認定のため、市販価格4万ドルとされた」

 1976年の0W31をTZ750としている・・・何か根本的に勘違いしているのでは?

 また、「市販価格4万ドル」はひょっとしたらAMAのclaming rule※のことを指しているのか?
そうなら「市販価格」はおかしな表現。


※優勝マシンを一定価格で買い取ることができる制度。プライベートライダーのマシンとファクトリーマシンの差を埋めるためのもの。

ところで、52頁下中と61頁上右の写真が同じだが、説明が異なる。61頁が正解。

RACERS Volume 48(3)

70頁に次の記述がある。

「(TZ750Dがファクトリーマシン0W31の)フルコピー=同一機種とすれば、市販車でなければ出場できないレースにファクトリーマシンで出場できるというメリットもあった。F750シリーズも、最後の’79シーズン以外は、「25台以上製造されたマシン」というホモロゲーション規定があり、そこに5台程度しか存在しなかったYZR500が出場できたのは、TZ750の改造車として認められたからである」

 ライター氏のいう「市販車でなければ出場できないレース」が何なのかよくわからない、というか、そんなレースあるのかと思う。

 F750は「25台以上生産された車のエンジンを使用する」であるため、市販車の車体を使用する必要はない。だからこそ1976年型のTZ750Cと似ても似つかぬ車体の0W31が1976年のF750を走ることができた。つまり「(エンジンも車体も)市販車でなければ出場できないレース」ではない。

 日本国内は、公認車両制で、TZ750Dは公認された。当時の全日本選手権は「市販車でなければ出場できないレース」に近く、公認車両以外はポイント対象外だった。そして1977年型0W31はTZ750Dとフレームが異なるため、公認車両とならずポイント対象外だった。

 そして「YZR500が~TZ750の改造車と認められた」に至っては全く理解できない。

 ところで、70頁で紹介されたソノートカラーのTZ750だが、1983年に現物を見たことがある。今回記載されたフレーム番号と同じだった。そして「TZ750D/E/Fを合わせて250台超という生産台数は~」とあるのは、フレーム番号からの推定だろう。このあたりを含めて、この頁の記述には思うところもあるので、後日書くことにする。

(12月5日追記)
 このライター氏は「YZR500が~TZ750の改造車と認められた」を全日本選手権と思っているのではないか。別のライター氏が83頁で、1978年、1979年の日本GPでYZR500(YZR750の誤り)が走ったように書いているし、しかも単に「750㏄」ではなく「全日本F750」としているので、国内レースもF750と同じ規定だと考えているようだ。
 なお、1979年日本GPで、金谷は2分14秒67ではなく2分14秒05をレース中に出している。

カレンダー

10 2018/11 12
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[11/17 バッグ,財布&小物専門店,]
[03/07 野田]
[03/05 読者]
[03/04 野田]
[03/03 読者]
[02/25 野田]
[02/25 齋藤勝之]
[02/01 野田]
[01/31 POLO]
[06/27 山元 正年]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析