レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm
を加筆修正しました。
●2-(3)鈴鹿サーキットの「設計者」 フーゲンホルツと塩崎の寄与比率の修正等
●3-(2)-虚偽2について フーゲンホルツの日本招聘に関し、ビザ取得の可能性について言及
等々です。
外務省のウェブサイトからすると、短期であっても日本企業から報酬を得るならビザが必要です。
外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/
1961年当時、現在よりビザの必要な条件が緩いとは考えにくく、フーゲンホルツは就労ビザを取得していた可能性が高いと考えます。
ビザ申請にあたってはホンダからの招聘状が必要ですし、「PLEASE COME TO TOKYO」だけの電報は招聘状になりえません。また、観光等のビザではなく就労ビザとなれば申請からビザ交付まで1ヵ月以上は必要でしょう。とすると、1960年10月頃には招聘状がフーゲンホルツに渡っている必要がありますし、それなら塩崎、飯田らがフーゲンホルツに直接渡したと考えるのが自然です。
また、フーゲンホルツの招聘に関しては、依頼内容、期間、報酬等をフーゲンホルツに提示する必要がありますし、それは「PLEASE COME TO TOKYO」だけ書かれた電報ではありません。塩崎、飯田らは1960年訪欧時にフーゲンホルツに会ったのですから、直接依頼したはずです。
塩崎が語った「フーゲンホルツを連れて帰った」を「連れて帰ったようなもの」と解するなら、まさにそのとおりだと思います。
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