レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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1975年になると新型ブレーキが用いられるようになります。カンパニョーロのキャストホイールに組み込まれたコニカルドラムブレーキです。
こちらのリンク先の写真をご覧ください。
https://www.southbayriders.com/forums/threads/90740/
ドラムが円錐状になっており、120度間隔で配されたパッドが油圧で押し付けられます。通常のドラムブレーキであれば、高温になるドラムのブレーキシュー接触面に風を豊富に当てることが難しいのに対して、コニカルドラムではそれが可能です。
メリットは・・・ディスクブレーキより軽量だったのでしょうか。
なお、全面的にコニカルドラムに変更されたわけではありません。
また、1975年にはヤマハのモノクロス風の後サスペンションも用いられるようになります。
1974年型のハーレー250は
(1)前後ドラムブレーキ
(2)前ダブルディスク+後ドラムブレーキ
(3)前シングルディスク+後ドラムブレーキ
の順に変化したようです。
(2)の状態。ライダーはVilla。
(3)の状態。左端の人物がWalter Villa。
この写真はおそらくオランダGPと思われますが、手前のマシンのブレーキキャリパー、ブレーキローターはヤマハ車のもののようです。奥のNo21のマシンも、(手前のマシンと異なり左フォークにキャリパーがありますが)同様です。No21は350㏄?

に乗るWalter Villaが世界GP250ccクラスでタイトルを手にしたのは1974~76年ですが、1974年にVillaが4勝、1975年はVillaが5勝、ミッシェル・ルジュリーが2勝、そして1976年はVillaが7勝、ジャンフランコ・ボネラが1勝しました。また、1976年には350ccクラスでVillaが4勝してタイトルを手にしました。
この時期は片山敬済が活躍した頃と重なります。片山は1974年250ccクラス第4戦オランダから参戦開始、早くも第6戦スエーデンで初優勝しました。片山のマシンは市販レーサーTZ250ですが、市販状態の前ドラムブレーキではなく、前ディスクブレーキで、当然、前フォークも市販状態とは異なります。当時、世界GPを走る他のヤマハライダーも同じパーツを使っているようですので、ヤマハから供給されたのでしょうか。
片山は1975年は世界GPに参戦せず、1976年に、この年にモデルチェンジしモノクロスサスペンション+前後ディスクブレーキになったTZ250/350で再参戦、250ccクラスではランキング2位(スエーデンで優勝)、350ccクラスでランキング7位。
そして1977年は250ccクラスでランキング4位(スペインで優勝)、350ccクラスでタイトル獲得(ドイツ、フランス、フィンランドは3気筒で、ユーゴスラビア、スエーデンは2気筒で優勝)しました。
この1977年、ハーレーは350ccクラスではフランコ・ウンチーニがランキング20位に入ったのみで、250ccクラスでウンチーニがランキング2位(2勝)、Villaが同3位(3勝)に終わりました。そして、1978年、Villaはマシン貸与の体制で250ccクラスを走り、250cc第6戦ベルギーでシーズン初入賞(3位)したのが、ハーレー250ccの最後のレースのようです(ランキング16位)。第7戦スエーデンの戦績は分りませんが、第8戦フィンランドでVillaはMBAに乗っています。

RACERS Volume 42(リンク)では、このスタジオ写真
と異なる、後サスペンションアームが丸パイプ(上写真は角パイプ)で、後排気管が車体右側に取りまわされているマシン(1975年オランダGP)を「1976年型:601B」としていました。
ライター氏のFACEBOOKでは、リンク先のこの写真のマシンを1976年2型としています。
しかし、この写真は1975年シーズン前のものです。ほぼ同じアングル、背景の写真がモーターサイクリスト誌1975-5(1975年4月1日発売)の表紙にあります。「日本の古本屋」(リンク)をご覧ください。
1975年シーズン前(直前なのかどうかは分りませんが)に撮影されたマシンである以上、この写真のマシンを1976年型とすることはできません。このマシンも1975年型です。