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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

カワサキワールドのKR500

カワサキワールドに久しぶりに行ってきました。
これは何年か前の特別展で展示されたKR500。
http://jfrmc.ganriki.net/bekkan/k/kr500/kr500.htm

で、今回、展示されているKR500の説明書きはこれ。この説明、1980年型については正しいんですが、展示されているのは1982年型です。1982年型は「アルミ製の燃料タンク一体式モノコックフレーム」ではありません。燃料タンクは(普通のバイクと同じように)フレームとは別部品です。
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合流式下水道

タイトルは「し尿、生活雑排水と雨水を同じ管渠で処理場に流す下水道」のことです。うろ覚えですが、歴史的に元々の下水道は都市部のし尿や雨水を排除するだけの目的で処理施設がなかった古い時代のなごりのシステムです。
 
 で、大雨が降ると、管渠の能力を超えてしまうので吐口からオーバーフローする(させる)ことになります。
 http://www.env.go.jp/council/09water/y097-04/mat04-4.pdf

 ちょっと古いデータですが、〇川って河川じゃなくて「うんが」のようですね。

ノートンマンクスM30

https://twitter.com/TWIN_mc_/status/1029902697636360192

「1960年当時、マン島レースで無敵のシングルレーサー」

 M30は500㏄ですが、この頃、マン島TTレース、というより世界GPの500㏄クラスはMVアグスタ4気筒の独擅場でしたね。1961年はMVアグスタはレース活動を縮小し、マン島500㏄TTではゲーリー・ホッキングのみが出場、ホッキングがリタイアしたため、M30に乗るマイク・ヘイルウッドが優勝しましたが。
 
 「シングルレーサーとしては無敵」の意味なのかな。でもマチレスG50もあるし・・・

 それにしても当時の世界GP500㏄クラスの何という情けなさ。

世界のランキングを求めて

今朝、出張先のホテルで早朝にテレビをつけると、見覚えのある写真が写りました。

 BS朝日の「日本の力」という番組の中で「ブックスドクター」(本の修理をする方)と依頼した人達が取り上げられていたのですが、テレビをつけた瞬間に「世界のランキングを求めて」の写真が・・・
 途中から見たのですが、依頼者の父上は本田技術研究所の社員だったようで、退職して販売店を経営、息子さんが店を継がれたようです。

 この本は、1961年のホンダの世界GP125/250㏄クラス制覇を記録した豪華本で、125/250㏄クラス中心ですが、350/500㏄、サイドカーも取り上げられていますし、その他にも多くの記事があります。付録は第2戦西ドイツGP250㏄のソノシート。

 私は1977年3月頃に入手しました。発行したのはモータースポーツランドで、モータースポーツランド→テクニランド(1962年6月)→ホンダランド・・・・・現在はモビリティランドです。
https://www.mobilityland.co.jp/company/history/

 入手直後、ホンダランドにこの本について問い合わせたところ、日本語版10000、英語版2000冊が発行され、一般市販はされず、社員、関係者に配布されたということでした。


ホンダNR

RACERS Volume 54はNR500を取り上げています。
 http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kaigainowadai.htm
で書いたが、NR500がデビューした1979年イギリスGPがNHKの「海外の話題」という10分番組で少し取り上げられたことからわかるように、これは二輪の世界を超えた大ニュースだった。
 
 1979年6月に公開されたNRを伝える雑誌記事で、すでに楕円(長円)ピストンであることが推測されており、これがうまくいくなら出力的に2ストロークに対抗できるのではないかと期待したことを思いだす。あれから40年か。

 NRについては
http://jfrmc.ganriki.net/zatu/nr/NR.html
にも少し書いていましたが、いろいろ思うこともあるので、どうしようか思案中です。
・・・・・・・・・・・・・
 で、NRとは関係ないのですが、本号14頁に「4スト最後の砦であった3気筒のMVアグスタ 500-3と渡り合えたのは’75年までで」とあります。

 1968年から1972年までMV3気筒の天下だったのですが、1973年にヤマハ500が登場すると、500㏄3気筒に加え350㏄のスケールアップ版の433.5cc、さらにフルスケール500㏄が投入されます。ただ、アゴスチーニは3気筒に乗り続け、リードは当初4気筒に乗っていましたが、ヤマハが(イタリアGP250㏄でのサーリネンの事故死により)参戦を休止するとリードも3気筒に乗ります。

 1974年、アゴスチーニはヤマハに移籍し、リード、ボネラの2人体制になり、4気筒が用いられました。ボネラが世界選手権以外のレースで3気筒に乗った写真はありますが。

 そして1975年は、もちろん4気筒のみが用いられました。

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