レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
https://jfrmc.ganriki.net/rc144/rc144honbun3.htm
にRC143E-50022/RC143F-50003の下の写真を追加しました。2007年に撮影したものです。
私がこのマシンを初めて見たのは1980年に鈴鹿サーキットで行われたホンダモータースポーツ展です。具体的な展示期間は覚えていませんが、7月の鈴鹿8時間、9月の日本GPの時に見ました。残念ながらその時の写真はありませんが、エンジン番号、フレーム番号はメモしていました。
ホンダRC171で、1962年世界GPは全11戦で350㏄クラスは6戦だけだったことを書きました。
1960年代、全クラス開催のGPはマン島TT、オランダGP(ダッチTT)、ドイツGPぐらいで、GPによっては6クラス中3クラスしか行わないGPもあったのです。
下表は各年ごとの全GP数とクラス別のレース数を整理したものです。
備考1 赤太字は全GPで開催されたもの、青太字は「全GP数マイナス1」、黒太字は「全GP数×2/3以下」。
備考2 ( )がある欄は、( )外:予定数、( )内:実レース数。この差は、出走者が少なく世界選手権とならなかったレース(1963年日本350㏄、1964年日本50㏄)、天候不良による中止(1963年フランス250㏄、サイドカー)による。
1960年代、ホンダ、スズキ、ヤマハが競った125㏄、250㏄のレース数が多いことが分ります。
350㏄クラスは人気がないですね。MVアグスタ350㏄3気筒が登場しホンダとタイトルを争った1965年の翌年(1966年)はレース数が増えましたが、1967年のレース数はまた少なくなりました。
50㏄クラスは初年度こそレース数が多かったのですが、すぐにレース数が減少してしまいました。
500㏄クラスは「最高峰クラス」といわれることもありましたが、1958~1965年はMVアグスタ以外に競争力のあるマシンがありませんでしたし、レース数も多くありませんでした。
一方、250㏄クラスはレース数も多く、1963~1967年にはメーカー間のタイトル争いが演じられました。
1961年終盤~1965年に350/500㏄クラスでMVアグスタに乗っていたヘイルウッドがホンダに移籍した理由の一つは、彼が250㏄クラスで競争力のあるマシンに乗りたかったことです。繰り返しますが「理由の一つ」です。
1961年に125㏄、250㏄の世界GPでタイトル(メーカー、個人)を手にしたホンダは1962年に50㏄、350㏄クラスにも挑戦します。
ホンダは350㏄クラス出場に向け250ccをベースにボアを3mm拡げ47×41mmの284.5㏄としたRC170を開発し、続いて49×45mmの339.4㏄としたRC171を開発します。
1962年世界GPは全11戦でしたが、350㏄クラスは6戦しか行われませんでした。350㏄第1戦マン島TT(6月6日)に出場したホンダレーサーはRC170で、トム・フィリス(1961年125㏄チャンピオン)、ボブ・マッキンタイヤが乗り、マッキンタイヤはリタイア、フィリスは転倒し死亡という結果でした。
しかし、350㏄第2戦オランダ(6月30日)ではレッドマンがRC170に乗り優勝※、350㏄第3戦アルスター(8月11日)でRC171が登場しレッドマンにより優勝。残り3戦もRC171が勝ち(最終戦はトミー・ロブによる)、ホンダは350㏄クラスのメーカー、個人(レッドマン)タイトルを手にしました。
※RC171初登場のGPをオランダとする記事もありますが、アルスターの可能性が高いと考えます。
写真は現存するRC171E-102/-(フレーム番号不明)。
小泉農水相「営業利益が前年比500%は異常」発言にコメ卸大手が反論 「利益率は5%、暴利むさぼっていない」
「1億円の売上で1万円の利益」 利益率0.01%
↓
「1億円の売上で2万円の利益」 利益率0.02%
利益率の前年度比
100×0.02/0.01=200% です。
「1億円の売上で1万円の赤字」 利益率-0.01%
↓
「1億円の売上で1万円の利益」 利益率0.01%
利益率の前年度比は「-100%」になるのでしょうか?
「前年度比」はこの程度の数字です。
「利益率の前年度比500%」で「業者は暴利を貪っている」と反応する人は、「利益率」、「の前年度比」の後者を読めていないのかもしれません。大臣もそうかもしれませんが。