レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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KR250/KR350 Kawasaki
に、1976年の記事を追加しました。1976年シーズンの終わり頃に、180度間隔点火から2気筒同時点火になったのですが、その初レースは1976年日本GPではなく、その1週間前のリバーサイド(アメリカ)だった、というのが日本語の記事としては目新しいのかなと思います。
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JFRMCブログ 2026年02月04日
で、
の清原さんインタビューの12分28秒あたりに出るコース図が誤っていると指摘した続きです。
1964年5月の航空写真
八代さんが書いた図とは異なるテストコースがあります。左(西)に走り、左に曲がった後で右ループを回ります。清原さんが13分20秒くらいからの発言で「右コーナー」と語っているのはこのループです。
1967年8月の航空写真
このコースの上(北)にオフロードコースのようなものができています。
1969年の航空写真
ループ部分に工場内道路があり、ループの整地が進んでいるようです。そして赤矢印のところに現在も残る直線コースが出来ています。
1973年5月撮影の航空写真
ループテストコースは完全に姿を消しています。
なお、現在残っている直線コースは全長が少し短くなっています。
KR250/KR350 Kawasaki
に1975年オンタリオの写真を追加しました。この写真です。
「17」の「1」の少し上に黒っぽく見えているのが、後排気管の排気口です。
KR250/KR350 Kawasaki
取り合えず1975年までの記事を書きました。以前、ブログにいろいろ記事を書いていたので、いつかはきちんとまとめたいと思っていましたが、やっと着手しました。
今回の記事については、この本
LEAN, MEAN AND LIME GREEN
が大変参考になりました。
私が購入したのは1ドル=110円の頃でしたので、今よりは安かったです。なお、購入当時はAmazonで取り扱っていなかったので、別ルートで BRG Multimediaから直接入手しました。
前編・後編の2冊となるとかなり高価ですが、それだけの価値はあると思います(主観)。
以前、ブログに書いていた記事をまとめたりしてKR250/KR350の記事を書いています。
KR250の開発について、RACERS Vol.42(三栄書房2017)ではKR250の開発は1974年10月に決定されたとしています。
しかし、KR250開発計画は1973年にスタートしています。カワサキの吉田和人によると、最初は並列2気筒リードバルブを構想していたが、上司の指示でロータリーバルブで行くことになり、幾つかのシリンダーレイアウトを検討した上でタンデム2気筒になりました。
タンデム2気筒で進めることになったのは1973年10月頃のようです。KMC(カワサキのアメリカ現地法人)のレース部門の監督・エンジニアだったランディ・ホールによると、同年11月頃の打合せの際にタンデム2気筒のレイアウトを提示されたとのことです。
さて、当時、AMA(アメリカ)のレースに出場するためには200台以上の生産が必要でしたから、計画は200台生産が前提でした。200台生産ですから、その大半を市販することになります。
しかし、カワサキはKR250だけでなくKR750の開発も進めており、両車を各200台以上生産し、1975年3月のデイトナ200マイル出場(250は200マイルの前日の100マイルレース)のは、カワサキにとって大事業で、間に合うかどうか微妙なところでした。
ところが1974年10月に台数基準が200→25台になり、計画実現可能性が高まったのです。RACERSの記事の「1974年10月」はこの時期です。