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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

1961アルスターGP125㏄

1961年、1961年型125㏄・RC144は第2戦ドイツGPで登場しますが、MZ勢に遠く及ばず、RC144E(RC144エンジン)と並行して開発を進めていた2RC143EをRC144F(RC144フレーム)に搭載したマシンが第3戦フランスGPに登場しトム・フィリスの手により優勝、第4戦以降もこのマシンが用いられました。

 1961年、世界GPでホンダ125㏄、250㏄に乗り優勝した外国人ライダーはトム・フィリス、ジム・レッドマン、ルイジ・タベリ、マイク・ヘイルウッド、ボブ・マッキンタイヤ(250㏄だけ乗る )ですが、これら以外にも特定のレースで外国人ライダーがホンダに乗りました。

 思いつくのは、ジョン・ハートル、ヤン・ヒューベルツ、ディッキー・カーター、Pierrot Vervroegenです。

 ハートルは有名なライダーですし、ヒューベルツは1960年オランダGP250㏄でホンダに乗った実績がありました。

 一方、Pierrot Vervroegen(ベルギー)はベルギーGP125㏄が初GPのようです。そして、250㏄で乗ったのはRC161(1960年型)でした。ですから125㏄で乗ったのはRC143E/RC143Fではないかと思われます。

 そして、ディッキー・カーター(エントリーリストではG.G.CARTERになっているので、ディッキーは誤りの可能性がある)はアルスターGP125㏄に出場し1周遅れの12位でした。ゼッケン28がカーターです。 (20+) Facebook

 車体は一見してRC144Fと分ります。そしてフェアリングの奥に見える排気管からするとエンジンはRC144E(シリンダーが10度前傾)ではなく2RC143E(35度前傾)またはRC143E(35度前傾)のようです。




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RACERS Volume 76

48頁のランキング表の誤りが多いのはWikipediaを参考にしているためのようで、1980年のランキング表はRACERS Vol.76 TZ500 で校正済ですが、1981年も校正してみました。

 これがWikipedia。



 49頁のランキング表はWikipediaにさらに誤りが追加されたようです。

 下がRACERS49頁のランキング表の校正版で、太字が修正分です。マシンの名称についての元記事の記述が誤りではないなら、加筆しても太字にはしていません。



 RACERS Vol.76 TZ500 からも校正版にリンクするようにしています。

 ところで、1980年と比べると明らかに「出走者不足により得点対象とならなかった順位」が減少しています。1979年まではTZ750が市販されていたといはいえ、その出走台数は少なく優勝しても得点が与えられないことが珍しくなかったのですが、1980年のTZ500国内市販以降、得点対象とならない順位が減少し、それがはっきり表れたのが1981年でした。


スーパーチャージャー

(1) DaDa on X: "1950年NSU 500kompressor DOHCパラレルツインに スーパーチャージャー装備 500ccながら98馬力をマークした怪物レーサー 後に世界GPからスーパーチャージャーは禁止される https://t.co/FqYje4K3vh" / X

 第二次大戦後、スーパーチャージャーは禁止されていました。このマシンは戦後の世界GPは走らず、ドイツ国内レースのみで走ったのです。

 また、ドイツは戦後、1951年まではFIMから締め出されており、ドイツチームが世界GPで走れるようになるのは1952年からです。

GRAND PRIX ARCHIVES 05 最高峰クラスを闘った日本人たち(2)

 119頁の「Riders Plofile」、ところどころ変な記述があります。例えば片山敬済の「翌'76年は~250㏄ランキング2位に。さらに’77年は250㏄ランキング4位になる傍ら、WGP350にも参戦して~ワールドチャンピオンになった」ですが、1977年に初めて350㏄クラスに参戦したかのように受け取れますが、1976年にも350㏄クラスに参戦しランキング7位でした。

 また、高井幾次郎の「~’79年、'81にもWGP500にスポット参戦した。最高位は’79年オランダGPでの14位だった」ですが、1978年スペインにも出場しましたし、最高位は1979年スウエーデンGP、1981年イギリスGPの8位です。


 ところで、水谷勝が1986年オランダGP、ベルギーGPに出場したのに、この本で取りあげられていないのは? フル参戦、フル参戦に近い参戦でないというなら、なぜ藤原儀彦は取りあげられたのでしょうか?




GRAND PRIX ARCHIVES 05 最高峰クラスを闘った日本人たち

 今日、本屋で見かけて買いました。このシリーズ5冊全て買ったことになります。

17頁上写真 19780 Rd.7 GREAT BRITAIN

  1980年ドイツの誤り。この風景はニュルブルクリング。

23頁上写真 1979 Rd.5 SPAIN

  1978年スペインの誤り。1979年、高井は第6戦ユーゴスラビアGP以降のレースを走った。1979年スペインGPは走っていません。
 また、マシンも、知っている人なら1979年型(0W45)ではなく1978年型(0W35)とすぐ気が付くでしょう。

22頁 1979 Rd.4 NATIONS(イタリア)

 前述のように1979年、高井は第6戦ユーゴスラビアGP以降のレースを走ったので、写真説明が誤りだということは分りますが、どのGPなのかは不明。

30頁 1984 Rd.8 The NETHERLANDS

  1985年オーストリアの誤り。33頁上写真と同じレース。オイルのスポンサーがベルレイではなくトタルなので1985年とすぐ分るし、フェアリング、皮つなぎのMarlboroの文字が消されているので、オランダではないとすぐ分る。

32頁 1985 Rd.5 AUSTRIA

 1984年ベルギーの誤り。ローソンのゼッケンが1ではなく4なので1984年とすぐ分ります。

   



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