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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

水と大気中のCO2等から生成する人工石油

大阪市:水と大気中のCO2等から生成する人工石油(合成燃料)を活用した実証実験を支援します (…>大阪市の環境の施策>地球温暖化対策) (osaka.lg.jp)

 図中にエネルギー源がありませんが、「光触媒」を使用するので、太陽光を使用するのかと思いましたが、

ニッポンの救世主⁉「人工石油」の実験が大阪でスタート - YouTube

では、太陽光を利用しているようには見えません。

技術を持つ会社の資料
publication.pdf (ittech.co.jp)

からすると、
UV light :UV sterilization lump: Panasonic GL-40 40w (254nm) 

Black light: Toshiba FL40S BLB 40w (315nm-400nm, peak wave 
length 352nm)

を30分使用するようです。

 ですから、反応対象物に与えるエネルギーは

40×2×30×60/1000000=0.144(MJ)

です。

 一方、10リットルの軽油の体積が5~10%増加(密度はほぼ同じ)、つまり0.5~1.0リットルの新油が得られるということです。新油の
高位発熱量は46MJ/kg程度となっています。軽油の密度0.82kg/Lとすると、新油0.5~1.0リットルの発熱量は18.9~37.7MJになります。

 つまり
 二酸化炭素+水+0.144MJ→新油(
18.9~37.7MJ)

という主張です。

 エネルギー保存の法則からして有り得ません。付け加えると、実際にこの反応を進めるなら燃料が燃焼して得られるエネルギーより大きなエネルギーが必要です。

 
この技術は、何等かの操作ミス、測定ミス、あるいは●●だと思います。

 動画のコメント欄からすると、エネルギー保存の法則等はあまり知られていないようです。大阪市長、大阪市担当者、商工会議所、報道機関も知らないのでしょう。

 高校の物理、化学を理解しない者による「成長分野への選択と集中」なんてこんなものです。














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道路凍結防止剤

 昨晩からの雪で私の住んでいる地域(太平洋側)でも道路凍結防止剤が散布されました。この凍結防止剤です。

 塩化カルシウムとばかり思っていましたが、塩化ナトリウムと塩化マグネシウムの混合物でした。

 で、今日、撮影した歩道の様子。粒々が散布物です。

 成分によって、そして対象物(鉄、アルミ、クロムメッキ・・・)によって腐食性が異なるのですが、どの成分であっても、しばらくは太平洋側でその微粉末が飛散するので、バイクに乗るのにちょっと抵抗があります。





公開校正

知られざるホンダの歴史 ~1950年代から1980年代~ (msn.com)

マン島TT初参戦から現在に至るまでレース界を牽引するホンダ」

 世界GPに参戦しなかった1968~78の11年間が忘れられています。1976年以降の耐久レースのファクトリーレース活動を「レース活動を牽引」と評価したとしても、1968~75年の8年間のレース活動は「レース界を牽引する」とはとてもいえないものでした。
 そもそも1959年のマン島TT初参戦の前の国内レース参戦は「レース界」ではないのでしょうか?


「補助エンジン付き自転車とは、現在でいうところの電動アシスト付き自転車にあたります。」

 補助エンジン付き自転車と異なり、電動アシスト自転車は普通の自転車と同様に惰行時を除きペダルを踏まないといけないのですが・・・この頃は補助エンジン付き自転車は免許不要だったのですが、そのことを書かれていないと違和感があります。

「そして1959年には、今でも抜群の知名度を誇るスーパーカブの初代モデル「スーパーカブC100」を発売して大ヒットを記録します」

スーパーカブの発売は1958年8月とされています。
『3つの喜び』から『良品に国境なし』まで、 Honda哲学を具現化したクルマ、スーパーカブ C100、ついに登場 / 1956 | 限りない夢、あふれる情熱 | Honda公式サイト


「同年、マン島TTレースの125ccクラスに初出場し、バイクレースに参入しました。」

 ライター氏にとって国内レースは「バイクレース」ではないようです。


「1960年11月にはCBシリーズの初代モデル「ドリーム CB72スーパースポーツ」の発売」

 市販された初のCBは1959年発売のCB92(125㏄)だと思います。

「そして時は流れ1978年、世界のトップライダーが集まる最高峰の世界GPに復帰するため、新しくトラックオーバル(長円)ピストンエンジンを開発したNR500で1979年8月のイギリスGPに出場。」

 日本語がかなり??ですね。

「なお、同年8月に、排気量50ccの「ゴリラ Z50J-III」を発表し、コンパクトレジャーバイクとしてライダーの間で広く知られていきます。」

 肝心のモンキーについて書かず、モンキー派生車のゴリラについて書く意味がわかりません。

「このように、創立から技術の躍進に挑んできたホンダですが」

 ライター氏が書いたことは、技術の躍進というより先駆者のとしてのホンダだと思います。

ヤマハTZ125R

 2ストローク単気筒・背面ロータリーディスクバルブ吸気エンジンです。
1983年 TZ125R(0W37改) - コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)

 


 1984年当時はYSP豊橋南にあったようです。
250_YamahaNews_J_1984.pdf (yamaha-motor.com)

 私は1985年に東海地方の別の場所で見ました。同じマシンだと思います。もう38年前のことですね。

 そして、2005年に関東地方で見たのも同じマシンだと思います。その場所のオーナーにお聞きしたところ、東海地方云云ということでしたから。

 最終的に安住の地を得たようですね。

ヤマハRD05A(1967-68年型ヤマハ250ccV型4気筒)

RD05A YAMAHA (ganriki.net) その2で

相変わらず「RD05は90度VでRD05Aは70度V」とする記事もある。元記事はバイカーズステーション誌掲載記事。「RD05を基に、シリンダー挟み角を90度から70度に縮小するとともに水冷化したエンジン」とあるが、記事中のRD05Aエンジン真横の写真を見ればV角が70度ではないことに気が付きそうなものだ」

と書いていました。
 分りやすくするため、リンク先の記事の写真を白黒化してシリンダーの中心線(黄線)を加筆した写真を追加しました。この写真です。

 黄線がなくてもV角が60度あたりだということがわかると思います。

 この「RD05:90度、RD05A:70度」は1973年12日発刊された「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(八重洲出版)の記事が始まりではないかと思います。

 一方、オートバイ誌1974-6号(おそらく1974年5月1日発売)では1967年型RA31(125㏄V型4気筒)のV角について「対向角80°の2ストロークV型4気筒のエンジンレイアウト~RD05Aと変わるところはない」とあり、RD05AのV角を80度としています。同誌該当頁の紙質はあまりよくなく、掲載写真もあまりいいものではなありませんが、その写真をよく見れば80度より小さいことはわかりますが。

 このように、1973~1974年頃、「RD05:90度、RD05A:70度」と「RD05A:80度」の2説があり、どちらも誤りなのですが、前者がしぶとく生き残ったのは「RD05:90度、RD05A:70度」の本家:八重洲出版が発行する別冊モーターサイクリスト誌と関係者による「貢献」が大であると思います。

 
 
 

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