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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(10)

2024年8月1日、中島氏は
鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)
を読みMoerkerk等について知り、オランダの知人に問い合わせたところ

「His(フーゲンホルツJr) father had contact with Honda long before Hans Moerkerk became  Honda dealer. 」

との返事を受けたことをもって、

「ジョン・フーゲンホルツ氏はハンス・モーカルク氏がホンダ・ディーラーになる以前からホンダとコンタクトを持っています。よって野田健一氏の主張する「モーカルク氏がフーゲンホルツ氏をホンダに紹介した」は時系列的におかしいということが判明しました。 」

としています。


検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?→実在した!しかしホンダとのコンタクトはフーゲンホルツ氏が先行していた!|Takahiko Nakajima (note.com)


 しかし、オランダからの返答では次の時期の記述がありません。
〇Moerkerkがホンダディーラーになった時期
〇フーゲンホルツSrがホンダと接触した時期 

 検証1で「FACEBOOKのオランダ・ベルギーでのホンダコミュニティ内で上記の2点を質問してみた」結果

「ロッテルダムにはホンダ販売店はなかった。ホンダを輸入するHonda Motors NV はロッテルダム近くにある都市Ridderkerkにある会社であったが、存在したのは1967年~1979年であった。1960年時点でホンダ代理店がオランダには存在していなかったのである。」

としたのは誤りでしたが、今回の調査も似たような検証方法ですので、このの誤りを引きずっている懸念があります。

そもそも、「ホンダの某氏がMoerkerkからフーゲンホルツを紹介される」と「既に飯田はフーゲンホルツと面識があった」は並立可能だと思います。



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鈴鹿サーキットの設計者は誰?(9)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

 に次の画像を追加しました。フーゲンホルツ修正案と最終形を対比したものです。


 上のフーゲンホルツ修正案に最終形のコースが薄く見えますが、メインストレート、スプーンカーブ、西ストレート、最終コーナーの位置が異なります。そしてS字カーブのカーブ数が異なる(4→3)のをはじめ、各カーブの形、曲率が変更され「よく似たサーキット」になりました。

鈴鹿サーキットの設計者は誰?(7)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の終わりを修正しました。


(5)文献1・22頁「この図では第5案をもって最終とされているが実はその後もあるのである」
  「第5案」とは1のコース図のE、6であるが、完成後の鈴鹿サーキットとどこが異なるのかよく分らない。

(5)文献1・22頁「この図では第5案をもって最終とされているが実はその後もあるのである」
  「第5案」とは1のコース図のE、6であるが、鈴鹿サーキット開業頃に公開されたコース図(下)とどこが異なるのか分らない。


鈴鹿サーキットの設計者は誰?(6)


 Honda C72, C77, C114 and CB72 – ホンダ広告アーカイブ (4-stroke.nl) 

 1961年マン島TT125㏄で優勝したマイク・ヘイルウッドの写真がありますので、1961年後半のものではないかと思われます。

 この時点でHET MOTORPALEIS(ロッテルダム)とRAMO(エイントホーフェン)がオランダのホンダ輸入元でした。

 1960年オランダGP(6月)でヒューベルツがホンダ250㏄4気筒(RC161)に乗りましたが、これはHet MotorpaleisのHans Moerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたとされています。


 これはMoerkerkが

〇ホンダからいいライダーを紹介するよう依頼された
あるいは
〇ヒューベルツに250㏄4気筒を与えるようホンダに依頼した

のどちらかでしょう。1960年6月時点でMoerkerkのHet Motorpaleisがホンダ輸入元なら、これぐらいのことは当然だったと思います。









鈴鹿サーキットの設計者は誰?(5)(加筆あり)

鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)

の「3 中島のその他の記事について」の「(1)検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?|Takahiko Nakajima (note.com)

 に次の記事を追加し、(2)も修正しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「結果2 モーカルクというファミリーネームはオランダには存在しない」(MOCALC、MOHKARUC、MOUKALCなどを照会した結果)
「~「モーカルク氏」について(中島の)オランダの友人は誰ひとりとしてそのファミリーネームをオランダ国内で聞いたことがないというのである。すべてが捏造の疑いがあるのである」(文献1・18頁)

 「~オランダのロッテルダムでホンダ販売店「ヘッド・モト・パリス」のモーカルク氏の紹介により塩崎氏らはジョン・フーゲンホルツ氏と知り合ったという話」に対する検証結果と、それを元にした捏造疑惑だが、中島の調査方法で得られた結果1が誤りだったことから、結果2の価値も低い。そもそも「モーカルク」はカタカナなのでオランダに存在しないのは当然であり、結果2の正しい結論は「MOCALC、MOHKARUC、MOUKALC等というファミリーネームはオランダには存在しない可能性がある」である。

 ヘッド・モト・パリスはHet Motorpaleis、モーカルクはHans Moerkerkである。1960年オランダGP250㏄クラス(6月)でヤン・ヒューベルツがホンダ4気筒に乗り7位となったが、これはMoerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたことによるもので、1960年6月時点でのMoerkerkとホンダとの深い関係を示している。出典Kjmv clubdag hmr134 by Peter van der Zon - Issuu(写真は1961年以降のもの)

  Het Motorpaleisは後にヤマハ輸入元になったが、写真(リンク)がMoerkerkと思われる。




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