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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RC141/RC142のエンジン打刻

 日本車の世界GP初レースは1959年マン島TT125㏄で、ホンダRC142が3台、RC141が2台出場しました。ライダーは次のとおり。

RC142:谷口尚己、鈴木義一、鈴木淳三
RC141:田中楨介、ビル・ハント

 RC142とRC141の違いはエンジンのシリンダーヘッド周り、ピストン等で、現地でRC141エンジンにこれらの部品を装着しRC142エンジンとしたものです。また、車体はRC141もRC142も共通です。

 ですから、RC142のエンジン番号、フレーム番号の機種名は「RC141」のままだったと思われます。

 下はマン島で撮影された写真で、エンジンがRC142とRC141のどちらかはわかりませんが、エンジン番号は

RC141-50003

のようです。最後の数字は不明瞭ですが。

0

 1961年型までのホンダのレーサーのエンジン番号は、

RC▲▲▲E-5〇〇〇〇

で、「E」はエンジン、「5」はレーサーを示すようですが、この写真では「E」は打刻されていないようです。



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RC143E-50022/RC143F-50003

https://jfrmc.ganriki.net/rc144/rc144honbun3.htm


にRC143E-50022/RC143F-50003の下の写真を追加しました。2007年に撮影したものです。




 私がこのマシンを初めて見たのは1980年に鈴鹿サーキットで行われたホンダモータースポーツ展です。具体的な展示期間は覚えていませんが、7月の鈴鹿8時間、9月の日本GPの時に見ました。残念ながらその時の写真はありませんが、エンジン番号、フレーム番号はメモしていました。



ホンダRC171

 1961年に125㏄、250㏄の世界GPでタイトル(メーカー、個人)を手にしたホンダは1962年に50㏄、350㏄クラスにも挑戦します。

 ホンダは350㏄クラス出場に向け250ccをベースにボアを3mm拡げ47×41mmの284.5㏄としたRC170を開発し、続いて49×45mmの339.4㏄としたRC171を開発します。

 1962年世界GPは全11戦でしたが、350㏄クラスは6戦しか行われませんでした。350㏄第1戦マン島TT(6月6日)に出場したホンダレーサーはRC170で、トム・フィリス(1961年125㏄チャンピオン)、ボブ・マッキンタイヤが乗り、マッキンタイヤはリタイア、フィリスは転倒し死亡という結果でした。
 しかし、350㏄第2戦オランダ(6月30日)ではレッドマンがRC170に乗り優勝※、350㏄第3戦アルスター(8月11日)でRC171が登場しレッドマンにより優勝。残り3戦もRC171が勝ち(最終戦はトミー・ロブによる)、ホンダは350㏄クラスのメーカー、個人(レッドマン)タイトルを手にしました。

※RC171初登場のGPをオランダとする記事もありますが、アルスターの可能性が高いと考えます。


 写真は現存するRC171E-102/-(フレーム番号不明)。

ホンダRC181(1966-67年型500㏄4気筒)

 1966年、67年、ホンダ・4ストローク500㏄4気筒・RC181/2RC181で世界GPを戦い、1966年はメーカータイトルを手にしたものの、重要な個人タイトルは手にできず、1967年には僅差でメーカー/個人タイトルを手にできませんでした。

 ホンダ500㏄4気筒に乗り1966年に3勝、1967年に5勝したマイク・ヘイルウッドはこのマシンのハンドリングに不満で、1967年シーズン初め、そして1967年シーズン後に独自に車体製作を外注します(両車とも世界GPでは走らず)。

 1967年GPシーズン終了後にヘイルウッドがケン・スプレイソンに製作させたのがこちらのマシン。解説では1967年シーズン前に製作されたことになっていますが、誤りです。
https://www.mcnews.com.au/honda-rc181-as-raced-by-mike-hailwood/

エンジン番号は RC181 303 です。

 1968年に入ってすぐ、ホンダが世界GP撤退を発表、ヘイルウッドは世界GP以外のレースに出場する条件でホンダと契約し1967年型の250/350/500マシンが与えられたのですが、スプレイソン製作の車体に1967年型500㏄エンジンを搭載し、1968年、リミニ(イタリア)で行われたレースに出場し2位となりました。

 そして、1週間後のイモラ、プラクティスでエンジンが故障、翌日の決勝までに1966年型に積替え、優勝。これがこのマシンの最後のレースになりました。

 日本のレーシングモーターサイクル 栄光の歩み(八重洲出版1988)では、(当時)現存するこのマシンのエンジン番号を103としていました。

 現存する2台の1967年型の2RC181Eのエンジン番号は

RC181E-301
RC181E-302
ですので、103は1966年型と考えられ、1968年イモラで1966年型エンジンに積み替えられたことと符合します。

 しかし、現在は303エンジンになっていますので、イモラで下ろされた303が補修され、スプレイソンフレームに搭載されたものと思われます。ただ、排気管は1966年型です。

 1967年シーズン初めに製作されたマシンについてはこちら。

https://jfrmc.ganriki.net/rc181/rc181-1.htm




現存するホンダRC145E-116/RC145F-108

https://x.com/_Mizz77/status/1917219555996549230

 

フレームはレッドマン用だったようです。
https://jfrmc.tou3.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80rc145

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