忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ホンダのマリン事業

ホンダ、「電動推進機プロトタイプ」説明会 本田宗一郎氏の「水上を走るもの、水を汚すべからず」の考えを基に開発 (msn.com)

 「電動4kW」となっていますが、性能
曲線を見ると、4000rpm時のトルクは10.2Nm程度ですね。
 10.2Nm、4000rpmの出力は4.3kWなのですが・・・

 また、「エンジン 9.9馬力(7.4kW)」とあります。
 7.4kWはメートル法馬力ですと10.06≒10.1馬力ですね。
 ヤード・ポンド法馬力ですと9.92≒9.9馬力です。

   ホンダのウェブサイトでは7.3kW(9.9PS)です。
9.9馬力(BF9.9)|製品一覧|船外機|Honda公式サイト



 発電所でCO2を排出していても「CO2排出ゼロ」、「カーボンニュートラルへの貢献」を謳うレベルの資料ですから、こんなものでしょうか。

 ところで、「トーハツがギアケースやプロペラのあるロアーユニットなどのフレーム領域を担当」とあります。ホンダもマリンエンジンを販売しているのに、この領域でトーハツと組むのはホンダのマリンエンジンのこの領域はホンダ製でないのかもしれません。

 それにしても、1950年代にホンダと二輪車シェアを争い、1964年に会社更生法の適用を受け二輪事業から撤退したトーハツが、ホンダとマリン事業で協業するとは歴史を感じます。

 トーハツレーサーについてはこちら。
トーハツ (ganriki.net)

 

PR

ラルフ・ブライアンズのRC116(50㏄2気筒)

Souichiro Ogawa on Twitter: "個人所有のホンダ RC116 ラルフブライアンズが乗ったそのもの ある所にはありますねぇ https://t.co/CIOzRWhHua" / X

 1966年50㏄第4戦マン島でブライアンズが乗ったマシン。


 前輪のホイールカバーは装着されていません。

 50㏄第5戦イタリアでのブライアンズのマシン。タベリはゼッケン5でした。


 1966年東京モーターショーで展示されたマシン。



 頁最初に取り上げたtwitterのマシンは東京モーターショー展示車のタンクを交換したものではないでしょうか?

参考

RC115 (ganriki.net)





RACERS Volume 62

 1月14日発売のRCB1000特集です。私が注目したのは93頁のエンジン、フレームリスト。こんな貴重な資料を公開してくれたことに感謝です。

 私が
RS1000 HONDA (ganriki.net)
で取り上げた

RCB750E-4820001/-(フレーム番号不明) 

 もリストにあります。

 こちらの


RCB750E-2301/RS1000F-0102 
 
もリストにあり、エンジンは1977年型で改造され1979年まで用いられたもので、フレームは1979年型とのこと。私が
RS1000 HONDA (ganriki.net)
でフレームを1979年型としたことがこれで裏付けられました。

 それ以外では、私が某所で見た1976年型のフレーム:RCB750F-1402もリストにあります。

ホンダRC174(297cc6気筒)と隅谷守男

 1973年9月にホンダ創立25周年行事が行われましたが、その行事の一つが荒川テストコースでの走行会です。1960年代のホンダレーサー(二輪、四輪)が走りました。走行したマシンの中にはRC174もあり、隅谷守男が駆りました。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/31/50/33/src_31503374.jpg?1627101138


 この写真もその時のもの。


 そして、下の写真ですが
SUGO_RACERSさんはTwitterを使っています 「撮影場所·日時共に不明ですが、マイク·ヘイルウッド選手の車両(RC17系かRC181)をテストする隅谷守男選手です。背景のホンダZから70年以降の撮影と思われます。 #MorioSumiya #MikeHailwood #Honda #HondaRC #Testing #隅谷守男 #マイクヘイルウッド #ホンダ https://t.co/IFqL3Gbaen」 / Twitter

 フレームはRC174Fで、前ブレーキ、前フェンダーもRC174のものですので、マシンはRC174と思われます。もちろんライダーは隅谷守男です。おそらく走行会に向けてのテストで撮影されたものでしょう。

 でも、本番の時とフェアリングが異なります。
〇フェアリングにゼッケン番号がない。
〇フェアリングにM.HAILWOODの文字がある。
〇ゼッケン部の前部のパネル(オイルクーラー部)形状が異なる。

 このマシンのフレームも本番時のフレームもRC174Fですが、下のRC174F-301(フレーム番号、1980年撮影)とは別個体ですので、テスト時と本番時のマシンは同一個体で

〇フェアリング等が交換された
あるいは
〇フェアリングを塗装し、パネルを交換した。

の可能性が高いと思います。


1986年型ホンダNSR250(NV1B)の排気管(2)

   さて、世界選手権では、第8戦フランス(7月20日)で各ライダーのマシンが一斉に新型排気管になります。

 第7戦ベルギーGPプラクティス、レースの映像。

 以下の写真はこの映像から切り取ったもので、各マシンともフェアリングから出る下側排気管(車体右側)が短く「とぐろ」型と分ります。

アントン・マング


アルフォンシト・ポンス


ジャン・フランソワ・バルデ



ドミニク・サロン


ファウスト・リッチ


ヴィルジニオ・フェラーリ



 そして、第8戦フランスGPの映像。

 以下の写真はこの動画から切り取ったもので、下側排気管(車体右側)が後方に長く伸びています。

マング


ポンス



サロン


 当時の世界GPスケジュールを確認すると

第1戦スペイン(5月4日)、第2戦イタリア(5月18日)、第3戦ドイツ(5月25日)~第6戦オランダ(6月28日)、第7戦ベルギー(7月6日)、第8戦フランス(7月20日)

です。


 この第2戦イタリアGPがホンダにとって転換点だったようです。このレース、マングとラバードが激しいレースを繰り広げ、僅差でマングが勝ったのですが、直線が長いモンツァでヤマハ0W82がNSR250と対等に戦ったのです。


  新型排気管の開発がいつ頃始まったのかは分かりませんが、このイタリアGPの結果が、ホンダにNSR250の最高出力向上を急がせることになったと思います。そして、イタリアGPの1週間後の全日本第6戦菅生で新型排気管が姿を現しました。

 その後も何回かの仕様変更とテストが行われ、初登場(菅生)から2か月後の第8戦フランスGPで投入されました。
 おそらく、第7戦ベルギーと第8戦フランスの間の2週間に新型排気管がGPライダーによってテストされたのでしょう。



カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 5
7 8 9 12
14 15 16 17 18 20
21 22 23 25 26 27
29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[12/08 野田]
[12/08 野田]
[12/08 TFR_BIGMOSA]
[12/06 野田]
[12/06 TFR_BIGMOSA]
[12/06 野田]
[12/06 TFR_BIGMOSA]
[12/05 TFR_BIGMOSA]
[12/05 野田]
[12/05 TFR_BIGMOSA]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析