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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ホンダとモンディアル

https://x.com/dadakomach/status/1888558255871549441

しかしそんなホンダもGP参戦当初はまったくパワーがなく絶望的に遅いマシン  いつも苦労して整備していた日本人を熱い目で見ていたのが 老舗メーカーのイタリアのモンディアル  資金難でGP撤退が決まっていた 「よかったら、俺たちのエンジンをもらってくれ」と ホンダチームにGPエンジンを進呈 帰国後ホンダは~モンディアルのビアルベーロエンジンを徹底研究 ホンダはそれを上回るパワーのエンジンを作ってしまう

 ホンダのGP初参戦は1959年マン島TT125ですが、この記事ではモンディアルエンジン入手は1959年マン島の後、あるいは1960年シーズンのことになりますし、「(モンディアルの)GP撤退は決まっていた」からすると、1959年、または1960年にモンディアルはGP参戦していたことになります。
 
 しかし、ホンダがモンディアル125㏄レーサー(エンジンだけではなく完成車)を入手したのは1958年ですし、モンディアルのGP撤退は1957年シーズン後のことです。
 これはよく知られた話で、どうしたらこんな勘違い記事を書けるのか不思議なくらいです。


 当時の技術者の八木静夫氏の記事(HONDA R&D Technical Review 1994)

RC140 1958年、本格的なTTレース出場を目指した125ccエンジンの開発に当り~4月にRC140(φ45.0×39.0×2)の設計に入った。~その当時、我々は幸運にもイタリアの市販レーサであるモンディアル125ccを入手することが出来、急遽その性能解析を行った。最高出力は16.5PS(132PS/L)/11500rpmで、排気系のディフューザ効果など学ぶべきことが多くあった。
RC141 RC140の試作およびモンディアルの解析により本田社長および担当者から次々と新しいアイデアが出され、10月には改良モデルRC141(φ44.0×41.0×2)のレイアウトに入った~


 RC141及びその4バルブ型のRC142が1959年マン島に出場しました。
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