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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Volume 70


RACERS Volume 70 (ganriki.net)

を公開していますが、元資料の19、35、51頁の結果表もチェックしましたので、校正結果を追加しました。
  他にも加筆した箇所があります。
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1960年代のホンダRCレーサーの出力

『マン島TTレース初出場』。 若者たちは、力いっぱい世界にチャレンジした / 1959 | 限りない夢、あふれる情熱 | Honda公式サイト (global.honda)

では

RC142 17.4PS、RC141 15.3PS、モンディアル(1956) 16.5PS

とあります。他の文献ではRC142 17.3PSとされています。

 
 排気量と回転数 (ganriki.net) で書いたように「回転数限界は近似的に気筒当たり排気量の1/3乗に反比例する」し、出力も同様に「近似的に気筒当たり排気量の1/3乗に反比例する」します。ですから、RC142の出力がモンディアルを上回っていても16.5×(2の0.333乗)=20.8PSよりかなり低く、1959年時点では換算出力レベルはモンディアルより低いものでした。

 1960年代のホンダRCレーサーについて、同様に上の関係式等々から250㏄4気筒相当出力を計算して年ごとにまとめてみました。

 
 検討途中なので機種名等は記入していませんが、RCレーサーについて詳しい人ならイメージがつかめると思います。なお、モンディアル125単気筒は41.8PSになります。
 
 多気筒化による様々な困難は無視した上での比較であることを忘れないでいただきたいのですが、ホンダRCの換算出力レベルがモンディアルの換算出力を上回ったのは1962年頃です。



1960年代のホンダF1・F2エンジンの正味平均有効圧

 前回紹介したホンダCB125SのRSCキット(1973)の最高出力20.8PS/12000rpm発揮時の正味平均有効圧は12.57kgf/cm2です。これは変速機出力軸での値ですので、変速機伝達効率0.95としてクランク軸に換算すると13.23kgf/cm2になります。
 
 同様に1960年台のF1エンジン、F2エンジンについても計算してみます。出力の出典は「ホンダエンジン開発史(四ストロークサイクルエンジンの基礎確立まで)」(八木静夫)です。備考は本頁末をご覧ください。

 270~272はクランクシャフト中央動力取出しで、RCレーサーと同様に動力が伝達されるのでクランクシャフトでの出力測定は困難なはず。このため動力伝達効率0.95で除した値も記載した。
 273~301もクランクシャフト中央動力取出しですが、変速機は別構造なので動力取出し軸で出力測定されていたと思われます。

 

 上表で分るように正味平均有効圧が年とともに増加していることが分ります。


備考

正味平均有効圧(bmep)は排気量当たりトルクと比例関係にあり、異なる排気量の性能比較の際に用いられます。関係式は次のとおり。

 出力PS=排気量(L)×bmep(kgf/cm2)×回転数(rpm)/900


k005:1.5リッターV12気筒エンジン製作前にテスト用に製作された250㏄V型2気
270~301:RA270~RA301
300:RA300のエンジンはRA273E
303:RA300Eとしても知られているF2エンジン
546:RA302Eとしても知られているF2エンジン
機種名が2段あるのは開発過程で出力向上したもの
★:原典では222だが、原典に記載された正味平均有効圧からすると220
▲:原典では9900だが、原典に記載された正味平均有効圧からすると9000

 

ホンダCB125S RSCレースキット

 1973年当時、ホンダの125㏄ロードモデルは2機種あり、単気筒:CB125S、2気筒:CB125JXです。このCB125Sのレース用キットがホンダRSCから発売されました。

 当時の雑誌記事では出力20.8PS/12000rpmとされていましたが、これは変速機出力軸の出力です。
 こちらはパーツリストに記載された性能表です。

 CS90・CB90レーサー RSC CB125Sレーサー性能表 (fc2.com)

 手書きで「TRANSMISSION - OUTPUT」と書かれています。

 日本語で書かれたパーツリストもあるようです。1分55秒から。



 125㏄単気筒で20.8PSですから500㏄4気筒で83.2PS、1967年の2RC181の出力とほぼ同じになります。
 しかも、2RC181はDOHC4バルブなのに、CB125S・RSCは市販車ベースのSOHC2バルブです。6年間の進歩があるにしても、これをどのように考えたらよいのでしょうか?

 
・・・・・・・・
1975年にモデルチェンジして、単気筒:CB125JX、2気筒:CB125Tになるので、ホンダのウェブサイトでも間違えることがあります。

1973年には、2ストロークエンジン主流の状況の中、4ストロークエンジンの公道用市販車CB125JXベースのマシンで角谷新二が全日本選手権125ccクラスのチャンピオンを獲得している。」
 Honda | 夢を背負ったマシンRS125Rの軌跡

ホンダRC162とRC163

 1963年以降、雑誌記事では

 1961年型250㏄4気筒 RC162

 1962年型250㏄4気筒 RC163

とされていましたが、1994年に元ホンダ技術者の八木静夫氏が書かれた
世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史 | 本田技術研究所 論文サイト (hondarandd.jp)
 
では
 RC162:1961年初戦スペインから連戦連勝
      1962年初戦から9連勝
 RC163:第1回全日本選手権(鈴鹿)用(注:世界GP後)
 RC164:1963年用
 2RC164:1964年8月のアイルランドまで

 となっています。なお、1961年初戦(第1戦)スペインではRC161のみが走りRC162は走っていません。
 また、1964年アルスターGP(北アイルランド)の後のイタリアGPでレッドマンは6気筒RC165(3RC164)に乗り換えましたが、2RC164は他のライダーの手によってイタリアGP、日本GPを走りましたし、1965年にもブルース・ビールが何戦か走らせています。


 さて、これはRC162E-50001


 これはRC162E-50017

 シリンダーヘッドとシリンダーの冷却フィンの一部が欠けていますが、50001と同型です。

 これはRC163E-110

 クランクケース下側の形状、クランク端カバー形状、シリンダー後部ギアトレーン部蓋、シリンダーヘッド前端部形状、吸気管長等々が異なります。

  さて、1966年までホンダのファクトリーライダーだったルイジ・タベリは、引退後も手元に125㏄5気筒と250㏄4気筒を保有し様々なイベントで走らせていましたが、その250㏄4気筒をHarry Miethが入手してレストアしました。

 このエンジンはRC163Eです。

 1962年全日本選手権ではジム・レッドマン、トミー・ロブ、田中楨助、北野元がホンダの250㏄4気筒に乗りましたが、4人が全てRC163に乗ったとしても4台です。
 
 八木静夫氏が書いたように1962年全日本選手権でRC163が役目を終えたとすると次の疑問が生じます。

●日本に現存するRC163E-110の「110」は「1番目の型の10号機」を示すと思われるが、(欠番がないとして)なぜ10基以上も作られたのか?テスト用があるとしても多すぎるのではないか?
●なぜRC163が日本を離れてタベリの元にあったのか?

 というようなことを含めて記事にしようと思います。

 参考まで、前回載せたRC164E-102








 

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