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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Vol.76  TZ500(2)

買いました。
 
 いつも思うのですが、執筆陣の方々は当時の雑誌を読んでもいないのでしょうか。空想が過ぎますね。

 例えば
34頁 「最終戦、750の毛利を追う500の鈴木」
 毛利は第4戦鈴鹿以降、TZ500で出場しています。最終戦でTZ750に乗ったのは佐藤順造1人です。

35頁「~木下が連勝、しかし、木下は急遽ボルドール24時間の参戦が決まり、その後のレースは欠場」
 マレーシアGPに出場したため3レース欠場(内、1レースは出走台数不足により不成立)、第8戦菅生では2位、第9戦、最終戦はボルドール24時間出場のため欠場。

35頁中列終わり~「~最終戦の日本GPではTZ500の鈴木とTZ750に乗る毛利がチャンピオンをかけて争う展開となった」
 毛利が乗ったのはTZ500。
 最終ランキングは下表のとおり。最終戦前の得点は次のとおり(括弧内は日本GPで優勝した場合の得点)で、4人にチャンピオンの可能性があった。
鈴木 47(65)
水谷 39(57)
毛利 50(68)
佐藤 44(56)※


 通常の得点は15、12、10、8、6~だが、日本GPでは3点が加算される。
 ベスト5戦を合計する有効得点制のため、佐藤は優勝しても12点しか加算されない。


35頁終わり「そしてTZ500の3位・水谷に続いて鈴木は4位、毛利は他車と接触してしまい転倒~」
 誤りではないが次のように書いて欲しい。
「TZ500の水谷、毛利、TZ750の佐藤が2位争い(クラス1位争い)を演じるが、13周目のヘアピンで水谷が転倒、これに毛利、佐藤が巻き込まれて転倒。水谷は素早く再スタートし3位(クラス1位)で復帰するが、佐藤はマシン破損でリタイア、毛利は再スタートが遅れる。水谷は石川、鈴木との接戦の後に3位でゴール、鈴木4位、石川5位で、毛利は9位」

36頁左上・写真1「1980 R10 鈴鹿」
  このカラーリングはR10(最終戦)決勝のものではない。水谷がTZ500で初めて出場した第6戦鈴鹿100マイルの可能性がある。

写真2・3「~木下を追うのはTZ750で3位になった金谷秀夫」
 金谷が乗ったのはTZ500。

37頁写真2「’78年のA750チャンピオン#20上野真一も、’80年はTZ750で走り続けた」
 ’78年のエキスパート750チャンピオン♯20上野真一も、’80年第4戦からTZ500で走った。


 さらに校正します。

当時の雑誌記事では佐藤(TZ750)は第8戦、第9戦に入賞していましたし、日本GP前のライディング(MFJ機関誌)に掲載されたランキング表でもその得点が記載されています。
 しかし、最終ランキング表ではその得点が見当たりません。原因として

(1)2レースとも後から失格になった。
(2)TZ750はMFJ公認車両ではなくFIM・F750公認車両として得点対象だったが、FIMの公認期限が過ぎた。
(3)最終ランキング表の誤り。

のいずれかと推測します。(2)が原因なら、佐藤は日本GP出場前にチャンピオンになる可能性がなくなっていたことになります。

 実はTZ500はヤマハの申請によりMFJの公認を得ていたのですが、スズキRG500は販売台数が少ないということでスズキが申請しなかったため公認車両になっていませんでした。
 このことがMFJの担当者も雑誌記者にも見過ごされていたのですが、日本GPの後になってこれが問題となりました。
 RG500が公認車両でないことが明らかになり、公認車両による順位が見直されました。そして、MFJの規則では得点は出場者数によって何位まで与えられるかが決まので、公認車両出場者が減算され下位の得点が抹消されたのです。



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RACERS Vol.76  TZ500

明日、発売です。こういう本(ムック)は通販ではなく本屋で買っています。

 アマゾンで記事のごく一部を読むことが出来ます。

 50頁に「~木下さんが、国際A級500に転向したのはTZ500が発売された’80年だ」とありますが、1980年は国際A級750㏄で、ヤマハTZ750も走っていました。国際A級500㏄になるのは1981年。
「この’80年、木下さんは序盤に2連勝して~続く中盤の3戦ではレースを欠場し、さらに終盤の2戦も欠場~」ですが、中盤欠場したのは2戦です。3戦予定されていましたが、1戦は出場者が少なくレース不成立でした。



  2連勝したレースのうち2戦目の鈴鹿は、接戦の末にスズキXR34に乗る河崎裕之を退けての優勝したレースでした。このレースに限らず、1980年の全日本選手権はTZ500によって席巻されたのですが・・・

RACERS Volume 75

  昨日、買いました。'94-'99 ホンダNSR500特集です。これらのマシンが走っていたのは30年程前のことになるのですね。あの頃の鈴鹿サーキットの風景が懐かしいです。

 1994~99の6年間、ホンダが500㏄タイトル(個人、メーカー)を獲得しましたが、日本GPに限ると、94、95、96、99は勝てていません。このあたりが面白いところです。

 今回の記事で気になったのは53頁の排気管のリキッドインジェクション(水噴射)の説明です。

「排気ポート直後の排気チャンバー内に噴射した水によって排気温度を下げ、排気脈動の反射波の速度を速める目的を持っている」
反射波が速くなった、排気ポートから漏れ出た混合気をシリンダー内に押し戻す作用が向上するため、特に脈動効果による排ガスの押し戻し(カデナシー効果)が弱い、低中回転での充填効率がアップして~」

 
 反射波の速度=音速で、音速は温度低下で遅くなります。常識です。

 また、ライター氏は

 反射波=気体の連続流

と理解しているのでしょうか?


 仮に2ストロークエンジンの最大トルク発生時に排気ポートが2.5ms(ミリ秒)開いていて、充填効率が最大になるとします。
 回転数を1/2にすると排気ポート開口時間は5msになり、排気チャンバーの反射波が排気ポートに到達するのが早すぎ、新気の流出を防ぐどころか燃焼室からの排ガスの排出を妨げてしまいます。

 で、水噴射によって反射波の速度(m/s(メートル毎秒))を下げ、反射波到達時期を適正にしようというものです。


 ホンダの技術者がおかしな説明をしたとは思えません。ライター氏が説明を理解できなかっただけと信じたいです。


RACERS Volume 70

 ブログで書いていた記事をまとめ、加筆しました。

RACERS Volume 70 (ganriki.net)

 

RACERS Volume 70

 これは公開校正ではありません。

 68頁に、ホンダの宮腰氏によるRC165のコンロッド長の設定について


「1955年にF-1で活躍したメルセデスベンツW196Sのコンロッドレシオ3.8を参考にし~」

とあります。

 ところが「勝利のエンジン50選」(カール・ルドヴィクセン、二玄社2004)では、1955年のメルセデス・ベンツF-1エンジンのコンロッドレシオを4.0としています。

 また、F-1カーはW196R(エンジンはM196R)で、W196S(エンジンM196S)は3リッタースポーツカー(ルマン24時間レース等を走る)ですので、宮腰氏の言う「W196S」はF-1ではなくスポーツカーのはずです。

 各エンジンのボア×ストロークは
M196R 76×68.8 mm
M196S 78×78 mm

 69頁右上の図の説明に「~M196のエンジンは~2496㏄~先進的エンジンだった」とありますから、この図はM196Rということになります。

 しかし、図を拡大してみると

ボア(黄線)とストローク(赤線✖2)が同じに見えますので、本図のエンジンはM196Sのものと思われますし、同様に図ではコンロッドレシオ(白線/赤線)=3.8あたりに見えます。


 このようなことから、宮腰氏がF-1エンジンと思っていたコンロッドレシオはスポーツカーエンジンのものの可能性が高いと思われます。

 ところで、「先進的エンジン」とは他者の先駆けになるエンジンだと思いますが、他社が採用しないようなメカニズムのエンジンが先進的なエンジンなのでしょうか?





 

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