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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

公開校正 RACERS Volume 70(3)

17頁
「(1966年)スズキは~片山義美や森下勲の日本人ライダーもスポット参戦」

 森下は1964年を最後にスズキチームを去り、ブリヂストンに移籍した。
 片山は50㏄全6戦中3戦、125㏄全10戦中6戦走ったが、これを「スポット参戦」と言えるかどうか。

19頁
「一発の速さはアンシャイト、トータルのレースタイムではタベリが有利に思えた」

 レースで各2勝挙げた2人に対して「トータルのレースタイムではタベリ有利」とは? タベリの完走率が高いことを「トータルのレースタイム」と表現しているのだろうか。

 私なら、「高速コースのホッケンハイム、モンツァで2勝しているアンシャイトとスズキが富士スピードウェイでも有利」と思う。

「(写真1)~アンシャイトが優勝し、約50秒遅れてホンダのブライアンズが2位」

 「35秒」の誤り。同頁の結果表参照。

「(写真3)タベリが優勝、ブライアンズが3秒差~」

 「0.3秒」の誤り。同頁の結果表参照。

26頁
「~ホンダに対してスズキのRM62単気筒は常に優位を堅持」

 「第3戦以降」の文言が抜けている。

「ホンダは’62年の50㏄クラス最終戦鈴鹿に」

 このレースは世界GP最終戦ではない。

「’65シーズンは、ヤマハが125㏄クラスに水冷2気筒のRA97を~」

 誤りではないが「RA97の水冷型」の方がよい。空冷RA97が1964年オランダで登場していたからである。

「(1965年125㏄)この年のヤマハの125㏄挑戦はこれら2戦のみ」
 
 誤り。32頁の写真1が3戦目の日本GPの写真。

27頁
「(写真1)♯8がホンダのロビ」

 「ロブ(Robb)」の誤り。

「(写真3)’65年マン島TT125㏄。手前は優勝したヒュー・アンダーソン」

 「’64年マン島TT125㏄。奥は優勝したルイジ・タベリ」の誤り。

 なお、1965年マン島TT125㏄で優勝したのは(26頁にあるように)フィル・リード(ヤマハ)で、アンダーソンは最速ラップを記録したものの5位。
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