忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

XR41(83GS1000R)

https://jfrmc.ganriki.netekkan/s/xr41/xr41.htm

を追加しました。

 2025鈴鹿8時間の生中継(BS12)を見ながら書いています。

 当時の映像は

 テレビ東京系のモータースポーツダイジェスト3回放送分をまとめたものですね。
 2025年の映像を見ると、1983年の走行シーンがツーリングに見えてしまいます。

 この頃、私はスタート時はピット上で見て、1時間30分ぐらいで移動を開始し、最終コーナー→ヘアピンと観戦場所を変え、終盤はピット上で見てました。

 1978年の観客数は7万人で1980年は10万人と観客数が増加し、年々、移動経路が混むようになり、1984年にはヘアピンへの移動途中、全く人流が止まってしまい、ヘアピン行きを諦めました。ですから、8耐をヘアピンで見たのは1983年が最後になりました。

PR

ちょうげい(潜水艦)

 
(クリックしてください)


 今日、神戸港で観光船に乗ったら近くを潜水艦が浮上航行していました。
 艦番号517・ちょうげいです。昨年10月に進水し、現在は試験中です。期待して観光船に乗ったのではありませんが、幸運でした。

1980年型カワサキKR1000


 1980年鈴鹿8時間(7月27日)で2位になったグレッグ・ハンスフォード/エディー・ローソンのKR1000です。公式予選は金曜日、土曜日に行われましたが、これは土曜日午前に撮影したもの(午後の4時間耐久の時は雨)。川崎重工業明石工場の作業服姿のメカニックがいい味を出しています。


 レースではスズキGS1000R(XR69)のグレーム・クロスビー/ウェス・クーリーと優勝を争いましたが、惜しくも40秒差で2位でした。


 レースでは夕方6時25分頃にローソンがピットイン、その時、クロスビーがピット前ストレートを通過、この時点でクロスビーが1位になったのですが、クロスビーがピット側を見て何回か頷いだようでした。
 クロスビーのペースは衰えず、ローソンから交代したハンスフォードとの差を広げていきます。そして6時45分頃にクロスビーがピットイン、燃料補給しマシン横に立つクーリーに代わるかと思ったら、そのままクロスビーがピットアウト、1位を保ったままコースに戻ったのです。
 クロスビーのペースは依然として衰えず、縮まったハンスフォードとの差を再び広げますが、7時10分頃にはさすがにペースダウン、ハンスフォードとの差を保ったまま7時31分にチェッカーを受けたのです。
 カワサキにとって、クロスビーの超人的奮闘に敗れたようなレースでした。


 ところで、この年のカワサキKR1000、スズキGS1000R、ホンダRS1000の排気音は特徴があり、極端に表現すると

カワサキ バリバリバリ・・・
スズキ  パーン
ホンダ  ギュルー

といった感じでした。あれから45年ですが、排気音、そしてレース終盤の光景は鮮明です。


 

1980年日本GP

1980年日本GP国際A750/350の写真をミヒャエルさんが公開しています。写真説明に少し誤りがありますが、全日本時代のこういう写真は貴重です。


https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886199.html

https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886206.html

https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886155.html?frm=theme

https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886231.html?frm=theme


https://ameblo.jp/mrhpkawasaki750h2/entry-12515886166.html?frm=theme

 
この日本GP、私が見ていた場所は次のとおりです。

13日土曜日
 フリープラクティス ピット上
 公式予選 逆バンクを出たところ
14日日曜日
 レース グランドスタンド(ミヒャエルさんとほぼ同じ場所?)

 1980年といえば45年前、大昔のことですが、この年の光景は(断片的ですが)記憶に残っています。




雑誌の発売日

 RACERS Volume 76の13頁に次の記述があります。

「当時は~WGPの情報などは、開催されてから少なくとも2、3ケ月ほど遅れて発売される雑誌の紹介記事を見るだけだった」

 この記事を書いたのは関谷氏ですが、以前、鈴鹿サーキットのイベントでRACERSの今井氏も「2~3ケ月」と語っていた記憶です。

 1980年500㏄の8戦の開催日とライダースクラブ発売日と時間差(日)は次のとおりです。

ですから「1~2ケ月遅れ」ですね。

 ひょっとしたら、2氏とも(例えば)ライダースクラブ8月号は昔も今も8月1日発売ではなく6月27日発売であることを知らないのかもしれません。

 ライダースクラブ1980-8には「昭和55年8月1日発行」と書いてありますが、これは出版界の先付け慣習によるものです。

  ところで、当時、レースファンが世界GPの結果を早く知る方法・・・

1 英字新聞をチェックする。日本の新聞では全く記事になりませんが、英字新聞ですと記事になることがあった。
2 一部のバイク用品店が速報を掲示していた。
3 テレホンサービス

 2については1984年にはありました。3については1988年頃にはあったという記憶です。





 




カレンダー

11 2025/12 01
S M T W T F S
1 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[12/11 HailMaryPDFCix]
[10/02 野田]
[10/02 平野克美]
[10/02 野田]
[10/01 平野克美]
[08/23 野田]
[02/01 Kuboi]
[01/19 野田]
[01/18 Kuboi]
[01/16 野田]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析