レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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ちょっと遅くなりましたが・・・BS12の実況放送を見ました。
ヤマハファクトリーの参戦等々が注目されたレースでしたが、正にヤマハファクトリーのためのレースとなりました。ただ、何があるかわからない耐久レースで勝つべくして勝つ難しさが歴史で示されている中での優勝です。
スタートライダーを務めた中須賀がスタートで遅れるものの3位に上がり、2位のライダーを抜けそうなのに抜かない・・・アナウンサーは背後について燃費アップを狙ったとの見解。もちろん、それもあるでしょうが、私が感じたのは
勝つためのタイムを設定、その設定を守る
長いレース、一時の順位のため、無理な走りをして転倒するリスクは避ける
ということでした。そしてその方針が他の2ライダーにも徹底していたようでした。他のチームより長時間を要したピット作業時間も(各回すべてではないでしょうが)確実な作業と確認を重視したからとさえ思えます。
また、3人のライダーのペースが差がなかった(詳細データは確認できていない)のも勝利の大きな要因でしょう。
転倒したケーシー・ストーナーですが、ストーナーはスロットルトラブルと語り、HRCもそれを認めています。
http://itatwagp.com/2015/07/30/suzuka_8h_2015-9/
「ファクトリー」ということになっていますね。
レースそのものとは関係ないことですが、レース前の国歌演奏の時、スタート位置で座り込んでいる選手がいたように思います。
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甥の結婚式に出かけました。
ついでに行った湘南海岸で見かけた自衛隊のC-130輸送機。
コンパクトカメラで撮影したのでこの程度です。
C-130といえば航空自衛隊、と思いましたが、近くにあるのは厚木基地。調べると海上自衛隊厚木基地にYS-11の後継として昨年度、C-130が配備されたのですね。
で、1500円のガイドブックを買いました。
すでにオークションに出品されています。
http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n150008728
「これまで築いてきた歴史やモータースポーツの醍醐味を、さらに多くの方々に伝えていくことを決意いたしました」とあります。
その心意気やよし。そのガイドブックがこの程度なの?
19頁
1988 PEPSI Suzuki RGV-Γ
ボア×ストローク:Φ54×54.5mm→56×50.7mmの誤り
吸気方式:ロータリーディスクバルブ→リードバルブの誤り
他のデータなんて全く信用できない。
20頁 頁上の文章が間違いだらけ。1987年のV型4気筒XR72が全く忘れられている。
36頁 SUZUKI T250 この写真のマシンは1962年全日本選手権(鈴鹿サーキット)で登場した125㏄2気筒RT63X。
37頁 Honda CB125J/JX 説明は1975年のマシンを1972年のマシンと混同している。
当時、次の3種のマシンがありました。
1970年に発売された単気筒 CB125S
http://www.honda.co.jp/news/1970/2700919c.html
1972年に発売された2気筒 CB125JX
http://www.honda.co.jp/news/1970/2700919c.html
1975年に発売された単気筒 CB125JX
http://www.honda.co.jp/news/1975/2750430.html
行ってきました。
http://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/
2日間の日程で2日とも見ることができました。2日目の天気予報は悪かったのですが、大外れで晴天でした。
いつもマシン中心に見ていますが、今回、非常に興味深かったのは、ロバーツ、ローソン、シュワンツの3人によるトークショー。特にローソンの発言に感動しました。
特に2日目の午前中のトークショーで、ローソンが、ローソンがタイトルを手にした1989年シーズンについて、観客側にいたホンダの技術者の山本さん、メカニックだった小原(こはら)さんを指して、2人に対する感謝の言葉を述べた時にはちょっと涙が出てきました。
山本さんはローソンと今でもメールのやり取りをしてる(RACERS 2015特別号)そうですから、ローソンも山本さんらが来ることを事前に知っていたのでしょう。
1978~1993の16年、この3人で8個の世界タイトルを手にしたのですが、こんな統計上の数字で表すことができないほどの印象を3人は残しています。何をもって「偉大な時代」と言うか、人によって根拠が異なるとは思いますが、私にとってまさに「偉大な時代」でした。
ロバーツは1983年、ローソンは1992年シーズンを最後にGPから引退。そして1995年シーズン前、シュワンツが1995年限りで引退する意志を示していました。鈴鹿での日本GP、シュワンツのレースシーンを見るのもこれが最後となることを覚悟し鈴鹿に行き、シュワンツのゴールを見届けたのです。そして、結果的にこれがシュワンツの最後のGPレースになりました。あれから20年、私も年を取りました。
先日、仕事で韓国に行ってきました。
距離が近い国だけに仕事だけの遠征で、韓国に滞在した時間は24時間もありません。
そんなわけで撮影した写真も現地の空港だけです。
利用したのは2枚目と同じ大韓航空です。
往路は気流が悪く激しく揺れ、時間切れで軽食が出なくなるのではないかと思うくらいでした。
帰路はそんなことはありませんでしたが、日本の空港に着陸する時、「ガツン」というショックを感じました。「ガスン」や「ドスン」は今までも感じたことがありますが・・・
アシアナ航空の事件といい、ちょっと怖いですね。