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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

カワサキのユニトラックとティレル007

公開公正でRACERS Volume 42 を取り上げています。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm


 その中で車体設計者の平松氏が1976年F-1選手権イン・ジャパンで見たブラバムBT45のサスペンションにヒントを得てカワサキKR250のユニトラックサスペンションの形を思いついた記述が誤りであり、実は平松氏が見たのは8月4日のティレル007のテストであろうと推測していました。
 
 で、ティレルの写真がリンク切れになっていたので、リンク先URLを修正しています。

https://www.flickr.com/photos/38921598@N05/4327656393
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1965年50㏄クラス第2戦ドイツGP

ホンダRC115-RC116その1
http://jfrmc.ganriki.net/rc50/rc115/RC115-1.htm
の1965年第2戦ドイツGPについて、ブライアンズ、タベリのマシンがRC115ではなく2RC114E搭載車としていましたが、少なくともタベリのマシンはRC115の可能性が高いことが判明しましたので修正しました。申し訳ありません。

NR500のバルブ挟角(12月1日夜加筆)

 RACERS Volume 54 の40頁に、1979年イギリスGP出場仕様として、バルブアングル65°とあります。

 NR500を実質500㏄V型8気筒と見なすなら、ストローク36mmなので、ストローク/ボア=36/47=0.766になります。
 一方、当時の4輪用4ストロークレーシンンエンジンのバルブ挟角はストローク/ボア比との兼ね合いで40度から20度の範囲にあります。ストローク/ボア比が大きいほどバルブ挟角が大きくなる傾向でした。
 フォード・コスワースDFVはストローク/ボア比0.756・バルブ挟角32度で、当時の標準的な値です。このエンジンが1967年に登場しレースでも実績を上げたのですから、その先進性は高く評価されるべきです。
 これと比べると1979年に登場したNRの65度は非常に大きな値で、前世期の遺物のようです。もちろん、真円ピストンと長円ピストンの違い、気筒当たり排気量の違いがあり、これらがどう影響するかはわかりませんが、65度と32度ではあまりにも違いが大きすぎます。
 
 さて、「ホンダNRストーリー」(1992年山海堂)には次の記述があります。

「K0→初期0Xの段階では、吸排気バルブの挟角は65°に設定されていた~後に55°ヘッドが製作されることになる」(15頁)。
 
「デビュー戦イギリスGPとフランスGPの2戦を終えたNRメンバーは、早速NR500に生じた問題点の対策を開始した」
「シリンダーヘッドに関しては~バルブ挟角が55°から~40°に変更され、65°のときには110PSであった出力が55°のときには113PSに上がり、40°ではさらにどんどん向上していったのである」
「'79年末の時点では、エンジン出力もコンスタントに115PSを上回るようになったのである」(以上、54~55頁)

 これらの記述からすると、1979年イギリスGP出場車のバルブ挟角は55度のように思えます。これでも当時としては異常に大きな値には違いありませんが。



 

RACERS Volume 48

http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei26.htm
 で取り上げていますが、冒頭の記事を以下のとおり修正しました。

 全日本選手権がフォーミュラ750(F750)だったという記事をよくみかけますが、ひょっとしたらFL750(フォーミュラ・リブレ750)と混同しているのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 本号は1973年から1981年のヤマハ500/750cc並列4気筒レーサーを取り上げている。このうち、500㏄は世界GPがその中心舞台だったが、750㏄は フォーミュラ750(F750、1976年までFIMプライズ、1977-79は世界選手権)、全日本選手権、その他の国際レース等が主な舞台だった。本号では全日本選手権もFもF750と書かれている。ウィキペディアの記述を本号のライター氏も信用したようだ。また、市販車ベースであることが義務付けられたレースに、ヤマハ500㏄ファクトリーマシン=YZR500がTZ750の改造車と認められて出場できたとも書かれている。
 本号の最大の問題点はこのように「当時のレースがどのようなものだったかを知らないライター氏が思い込みだけで記事を書いている」ことにある。

 F750、全日本選手権何れのレギュレーションもマシンの由来についても規定があったが、同じ規定ではなかった。

 F750は1974年までは200台以上生産された「市販車」のエンジンを使用することとされていた。フレームの由来に制限はなく、カワサキH2R、スズキTR750(XR11)いずれもフレームは市販車と全く異なる マシンがF750に出場していたのはこのためである。そして水冷シリンダーブロック、シリンダーヘッドが空冷の一般市販車と明確に異なる(クランクケースも実は同じではない)市販レーサー・TZ350も 「市販車」には違いないので、F750に出場できた。そして1974年、市販レーサー・TZ750はレギュレーションに適合しないとされたが、1975年になるとF750は「25台以上生産されたマシン のエンジン」になったのでTZ750はF750適合になった。同時に最低排気量が251㏄から451㏄に引き上げられたため、TZ350はF750不適合になった。そして1979年には生産台数の制限はなくなった。

 F750用にTZ750が市販されたにも関わらず、1974年3月31日、FIM春期会議でTZ750がフォーミュラ750の規定に適合しないことが決定された。 この混乱の原因はF750の曖昧なレギュレーションと市販レーサーTZ350の出場が1973年に認められていたことが原因であり、FIM自身の責任である。

 一方、全日本選手権は公認車両制で、1972年から市販レーサーも公認対象となった。H2R、TR750はエンジンが一般市販車ベースであっても公認車両にはならず、FL750(フォーミュラ・リブレ750)として出場することはできた(ランキングポイント対象外)。市販レーサーTZ350も公認車両であり、全日本選手権750㏄クラスはF750ではないので、1975年にF750規定に不適合となったTZ350も全日本選手権750㏄クラスに出場することができた。また、公認車両とは異なるシリンダーヘッド、シリンダー等も「公認パーツ」として公認されれば装着することができた。

 エンジン関係では、1973年シーズンのホンダCB125S(4ストローク125㏄空冷単気筒)用シリンダーヘッド等、1978年シーズン終盤に登場したホンダMT125R用水冷キットが記憶にある。

 1974年日本GP、1975年日本GP750㏄クラスにヤマハYZR500が出場しているがFLとしての出場であり、TZ750の改造車として認められたからではない。そもそもTZ750は少なくとも1976年シーズン終盤までは公認車両ではなかった。

デスモのフリクション



http://jfrmc.ganriki.net/zatu/pvs/pvs.htm

で、ドゥカティ・ジャパンが発表したデスモのフリクションの計算結果を読み取って作成したグラフを掲載しました。

 こちらで元データを引用しているので紹介します。
https://twitter.com/TFR_BIGMOSA

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