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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

訂正

ヤマハ0W54(1981年型YZR500)
http://jfrmc.tou3.com/その他/ヤマハ0w54-1981年型yzr500-

で2軸間で同時点火にする必要があることに言及し、参考頁にリンクさせていますが、リンク先を間違えていました。申し訳ありません。正しくはこちら。上のブログ記事も修正しています。

http://jfrmc.ganriki.net/zatu/2crank/2crank.htm
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ヘイルウッドのヘルメット等

 こちらにアップしました。http://jfrmc.ganriki.net/zatu/67hailwood/67hailwood.htm

 この写真、1977年に初めて見ました、レース名が書いておらず(書いてあったとして信用できるかどうかは別ですが)、どのレースで撮影されたのか、当時は分りませんでした。


 1979年にホンダ6気筒について調べ出し、250と297のフレームが違うことにも気が付いたのですが、ヘイルウッドのグローブに何種類かあること、ヘルメットのホンダ・ウイングマークの向きが左右それぞれあることが分りました。

 1979年頃は各レース毎の写真も見ることができませんでしたが、上の写真については、マシンは250らしいこと、そしてヘルメット、つなぎ、グローブから67年のマン島、オランダ、ベルギーらしいことがわかり、マン島250でヘイルウッドがゼッケン7だったことは知っていたので、オランダかベルギー・・・この風景からするとオランダではないかと考えたのです。もちろん、今では1966-67年にヘイルウッドが出場した全世界選手権レースのゼッケン番号を把握していますので、もっと簡単に世界選手権名を特定できます。
 ウイングマークの向き等の変化は絶対的な判断基準ではありませんが、私にとっては、今でも写真のレース名を特定する際の大事な参考データです。

カワサキのユニトラックとティレル007

公開公正でRACERS Volume 42 を取り上げています。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm


 その中で車体設計者の平松氏が1976年F-1選手権イン・ジャパンで見たブラバムBT45のサスペンションにヒントを得てカワサキKR250のユニトラックサスペンションの形を思いついた記述が誤りであり、実は平松氏が見たのは8月4日のティレル007のテストであろうと推測していました。
 
 で、ティレルの写真がリンク切れになっていたので、リンク先URLを修正しています。

https://www.flickr.com/photos/38921598@N05/4327656393

1965年50㏄クラス第2戦ドイツGP

ホンダRC115-RC116その1
http://jfrmc.ganriki.net/rc50/rc115/RC115-1.htm
の1965年第2戦ドイツGPについて、ブライアンズ、タベリのマシンがRC115ではなく2RC114E搭載車としていましたが、少なくともタベリのマシンはRC115の可能性が高いことが判明しましたので修正しました。申し訳ありません。

NR500のバルブ挟角(12月1日夜加筆)

 RACERS Volume 54 の40頁に、1979年イギリスGP出場仕様として、バルブアングル65°とあります。

 NR500を実質500㏄V型8気筒と見なすなら、ストローク36mmなので、ストローク/ボア=36/47=0.766になります。
 一方、当時の4輪用4ストロークレーシンンエンジンのバルブ挟角はストローク/ボア比との兼ね合いで40度から20度の範囲にあります。ストローク/ボア比が大きいほどバルブ挟角が大きくなる傾向でした。
 フォード・コスワースDFVはストローク/ボア比0.756・バルブ挟角32度で、当時の標準的な値です。このエンジンが1967年に登場しレースでも実績を上げたのですから、その先進性は高く評価されるべきです。
 これと比べると1979年に登場したNRの65度は非常に大きな値で、前世期の遺物のようです。もちろん、真円ピストンと長円ピストンの違い、気筒当たり排気量の違いがあり、これらがどう影響するかはわかりませんが、65度と32度ではあまりにも違いが大きすぎます。
 
 さて、「ホンダNRストーリー」(1992年山海堂)には次の記述があります。

「K0→初期0Xの段階では、吸排気バルブの挟角は65°に設定されていた~後に55°ヘッドが製作されることになる」(15頁)。
 
「デビュー戦イギリスGPとフランスGPの2戦を終えたNRメンバーは、早速NR500に生じた問題点の対策を開始した」
「シリンダーヘッドに関しては~バルブ挟角が55°から~40°に変更され、65°のときには110PSであった出力が55°のときには113PSに上がり、40°ではさらにどんどん向上していったのである」
「'79年末の時点では、エンジン出力もコンスタントに115PSを上回るようになったのである」(以上、54~55頁)

 これらの記述からすると、1979年イギリスGP出場車のバルブ挟角は55度のように思えます。これでも当時としては異常に大きな値には違いありませんが。



 

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