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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RT63-RT67Ⅲその2の続き

http://jfrmc.ganriki.net/rt63-rt67/rt66-rt67.htm
公開しました。

 RT63改A、RT65、RT66、RT67Ⅱエンジンのクランクケースの違いの分かりやすい部分を示しましたが、それ以外にも識別点があります。

 おそらくアンシャイト、グレアムに渡されたRT67Ⅱはエンジン+フレームだけでなく、スペアエンジンもあったのではないかと思われます。
現存するマシンのうちRT67Ⅱクランクケースを用いたRT66風のようなマシンが幾つかありますが、これらのエンジンはRT67Ⅱスペアエンジンのクランクケースが用いられたのではないかと想像します。

 ところで、バリー・シーンにV型4気筒のRS67Ⅱエンジンが渡ったルートはグレアム経由としか考えられませんが、このエンジンがなぜグレアムに渡ったのかわかりません。
http://jfrmc.ganriki.net/rs67/rs67-2.htm


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ディーター・ブラウンは左シフト? 右シフト?

 前回紹介したブラウンのスズキ125㏄2気筒の写真について疑問を持たれた方がいらっしゃるかもしれません。というのはシフトペダルが車体右側にあるからです。

 今では「シフトペダル:車体左側、後ブレーキペダル:車体右側」が常識ですが、かつては

イギリス連邦諸国のライダー、イタリア人  
 シフトペダル:車体右側、後ブレーキペダル:車体左側

ドイツ人、日本人
 シフトペダル:車体左側、後ブレーキペダル:車体右側

でした。ディーター・ブラウンはドイツ人なのに「シフトペダルが右?」と疑問を持つのが当然です。でも、次の走行中写真ではクランクケース左のシフトシャフトに何も取り付けられていません。シフトペダルは車体右側にあるのです。
https://i.pinimg.com/originals/a8/b6/10/a8b61090ac3077ceca1f92e31a6d037d.jpg

 アンシャイトからこのマシンを入手したのなら、元々、左シトだったはずなのに、なぜ右シフトなのか疑問です。
 
 さて、ブラウンが1973年にヤマハTZ250に乗った2枚の写真では、右にシフトペダルがなく左にシフトペダルがあります。
https://www.nolan.it/en/riders/dieter-braun/53 
https://www.alamy.com/stock-photo-braun-dieter-221943-german-businessman-and-motorcycle-racer-at-a-race-48320271.html

 片山義美はコースによってシフトペダルの配置を左右使い分けていたということですが、ブラウンもそうだったのでしょうか? 

RT63-RT67Ⅲその2

部分公開しました。http://jfrmc.ganriki.net/rt63-rt67/rt66-rt67.htm


 今後、RT63改A、RT65、RT66、RT67Ⅱ/Ⅲの違いについて若干触れます。今回の記事で1966年のRT66にはアルミフレームとスチールフレームがあり、スチールフレームに2種類あったことがフレーム番号から推察されるとしていますが、そのあたりについても少し詳しく書きます。

 その上でディーター・ブラウン、Cees van Dongenが1969年以降に用いたマシンについても触れることにしていますが・・・こちらのブラウンのマシン(1971年の状態)はRT67Ⅱエンジン+RT66スチールフレームのように思えます。

https://knmvwegraces.wordpress.com/wegraces-deel-2/1971-sterglas-racing-dieter-braun-suzuki-125/

スズキの手を離れた125㏄2気筒

 スズキ2ストロークによるGP優勝について整理していますが、各優勝毎のマシン名についても整理しています。ただ、1975年以降のマシンについては、以前はデタラメ記事が蔓延していましたが、最近はそうでもないようですし、1960年代については、元スズキの中野広之氏のhttp://www.iom1960.com/で整理されているので、新たな内容はありません。

 ただ、54勝のうちスズキの手を離れた125㏄2気筒が1969~71年に9勝しています。ディーター・ブラウンの5勝、Cees van Dongenの1勝、バリー・シーンの3勝です。これらのマシンがどんなマシンなのかについても触れておく必要があります。

  元スズキの中野広之氏のこちらの頁
http://www.iom1960.com/1968/1968-honbun.htmlでは、アンシャイトにRK67とRT67Ⅱが貸与されたとありますが、グレアムにもRT67Ⅱが貸与されました。
 また、アンシャイトの自伝「王座への道」(1969八重洲出版)によると、1966年、アンシャイトは50㏄のみの契約だったが、125㏄マシンも貸与されたということです。そして、アンシャイトは1967年にも66年型マシンを貸与され世界GPに2戦出場しています。スズキのGP撤退後もこのRT66がアンシャイトの手元に残りました。したがって、1968年シーズン開始時に、グレアムのRT67Ⅱ、アンシャイトのRT67ⅡとRT66の計3台がヨーロッパにあり、1969年以降この3台が他者の手に渡ったのです。

 そんなわけでhttp://jfrmc.ganriki.net/rt63-rt67/rt63-rt65.htmの続編も書きだしました。

ヤマハとホンダの

「GP〇〇勝」サイトに触発されて、スズキ2ストロークマシンによるGP優勝を整理しています。

 スズキ2ストロークによる勝利数は(集計中)155154勝で、最多優勝ライダーはヒュー・アンダーソン(1962~65)、ケビン・シュワンツ(1988~94)の25勝です。スズキといえば、バリー・シーンを思い浮かべる人も少なくないと思いますが、バリー・シーンは21勝で、そのうち500㏄クラスでは18勝で他の3勝は125㏄クラスです。シーンが1971年125㏄クラスで挙げた3勝は125㏄2気筒のRT67-Ⅱによるものです。

 なお、シーンは他に50㏄クラスでクライトラー、500㏄クラスでヤマハに乗り、各1勝しています。

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